零の旋律 | ナノ

Before even one step


 長月へ移り変わり、真夏の暑さが潜めだし始める頃
 教室内で閖姫、佳弥、十夜の三人は次の実技実習について会話が盛り上がっていた。それを傍目で奈月は眺める。

「むう……」

 亜月のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると皺が寄る。その様子に気がついた李真が奈月に声をひっそりと声をかける。

「閖姫の楽しそうな姿を眺めていたくないから会話に入ったらどうですか?」
「そんなことして閖姫の楽しい時間を妨害したくないよ」
「ふむ、我儘ですねぇ」
「李真には言われたくない」
「そうですか? 私の方が貴方と比べればまだマシだと思っているんですけどね」

 クスクスと李真が笑うので奈月はナイフを投げたい衝動にかられたが、閖姫がいる場所では出来ない、と半分まで掴みかかった手を慌てて亜月を握り直す。

「なに、お前ら授業内容で盛り上がっているんだよ。実技授業なんてカッタルイだけだろうが」

 そこに別の授業で教室を移動していた冬馬がやってきて、奈月が出来なかったこと――会話に入るという――をあっさりやり遂げる。

「そりゃ、魔術師様にはわかんないでしょーな。魔術師様には用がないあっちいってろ」

 十夜が舌を出しながら手を数度払う。

「あぁ、駄目だよ十夜。僕が冬馬に用があるからあっちへ行かれたら困る」
「そっか、なら仕方ねぇなー」
「仕方ないのかよ。で、佳弥用って何だよ?」
「僕、暫くの間学園から離れるから」

 佳弥があっさりと言い放ったので、

「は? どういうことだ。いや、そうか実家の都合か」

 一で二を冬馬は理解する。

「そういうことさ」

 佳弥は意味が通じて満足そうに頷いた。
 実家の都合であれば冬馬は此処で深く追求することは出来ない。

「学園って外に出られるんですね」

 会話に加わっていなかった、とはいえ会話が聞こえる位置にはいた李真が疑問を口にする。十夜も頷いた。この場に不在なのは授業の関係でいない久遠だけだった。

「ん? 李真は知らないのかい。学園は正式な手続きを踏めば外に出られるんだよ。何も一度入学したら学園を去るまで出られないわけじゃない」

 実際に許可を取った佳弥が答える。

「気をつけていってこいよ」

 冬馬の言葉に佳弥は何を言っているんだい、と首を傾げるわけではなく――不敵な笑みを浮かべた。

「冬馬も行くに決まっているじゃないか」
「なんで俺が行くんだよ。つか、俺はそんな手続きをしていないぞ」

 普段無断で外出していることは棚に上げて冬馬は言う。

「大丈夫、僕が冬馬の分も済ませといたから」
「勝手に人の分までやるなよ」

 佳弥が実家に一旦戻るということは、王族間で何かが起きた、ということだ。
 冬馬は十中八九大貴族トライデュース家の嫡男として赴かなければならなくなる。
 実家に嫌気がさして家出をし、実家の手が伸びないように閉鎖学園に入学した冬馬にとってそれは喜ぶべきことではない。
 断ろうと、冬馬が思っているとそれを見越した佳弥が

「お兄様から手紙を預かっているんだ」

 と手紙を懐から取り出した。

「……行きます行かせて頂きます。お願いです行かせて下さい」

 冬馬が手紙を見るよりも早く、土下座する勢いで言いだした。行かない選択肢も断る手段も手紙一通で消えうせた。
 佳弥は相変わらずお兄様には逆らえないねと苦笑しながら、手紙を渡した。
 冬馬が恐る恐る手紙を開いて硬直した。十夜がどんな内容なのか気になって勝手に盗み見る。

「……なんだ、これ?」
「勝手に見るなよ、十夜。まぁ見られても困るもんじゃないけど……」

 そう言って冬馬が全員にも見えるよう机の上に手紙を広げると、そこには

『こい』

 の一言しか書かれていなかった。
 差出の名前も宛名も何もなく、『こい』としか書かれていない。

「おい、佳弥。お前のお兄様は何時から人を脅迫するようになった」
「生まれた時からじゃない?」
「恐ろしいこというなよ」
「まぁどの道お兄様が冬馬を呼んだ以上、冬馬に拒否権なんてないんだから、諦めてくるんだね」
「わかったよ。で、いつ」
「今日の夕方」
「もっと早く教えろや!」

 冬馬の口調が少し変になった。

「よかったじゃないか、ほら僕のお兄様に会う覚悟を決めるより早く出発出来るんだから、ありがたいと思うんだね」
「いや、覚悟させろよ! お兄様へのお土産なんて俺買ってないぞ。今からみつくろうのか? 時間が足りないだろ」
「大丈夫だよ。お兄様には冬馬の愛を上げればそれだけで歓喜してくれるから」
「それはそれで怖いわっ」

 仲睦まじい会話をする佳弥と冬馬を冷ややかな目で李真が見ていたのに気づいたのは隣にいた奈月だけだった。


 夕日が沈みかけた頃、冬馬と佳弥は普段内側からは開かれない正門から堂々と学園の外に足を踏み出す。

「そうだ。佳弥、確かに学園の外へは正式な手続きを出せば出られるが、手続き自体が煩雑で余程の事情がないと無理だって聞いたぞ」

 学園の外は閑散としており、人通りがない。故に会話を聞かれる心配はなかった。ゆったりと歩く。

「その辺は融通が利くに決まっているじゃないか」
「わぁお。王族の権力乱用」
「私がこの学園にきた時点で権力なんて乱用されているよ」

 彼女が“佳弥”として振舞う時は男装をしているが故に僕という一人称を使用するが、本来は私であった。
 冬馬は彼女の正体を知っているから、“佳弥”を演じなくていい時にわざわざ佳弥を演じる必要はない。とはいえ、一人称以外は全て素であるのだが。

「まぁな。で、一体何があるんだ? 俺はトライデュースから家出している身分なんだけど」
「それのことだけど、君は何時まで逃げ続けるつもりだい」

 冬馬の足取りが止まる。

「……それは」

 言い淀む。冬馬は会話を終わらせて逃げたかったが、佳弥は逃げを禁じる。

「君がトライデュースから家出をした所で、過去が変わるわけでも帳消しになるわけでもない。過去は過去として生き続けるだけだよ。何時か、真正面から向き合わなければいけない時が来るのはわかっているのだろう?」
「……わかっている、けど」
「怖いかい?」
「……怖くは……いや、そうだな。逃げたのだって正面から向き合うのが恐ろしかったからだ。怖いんだよ、俺は」
「けれど、そうやって逃げてばかりではいけないよ。君はどれほど逃げ続けようとも君がトライデュース家の嫡男である事実は変わらない、変えられない。君が、一人で向き合うのが怖いのならば、僕も一緒に向き合ってあげるから。だから逃げるな」

 佳弥と冬馬の瞳が重なり合う。真っ直ぐな瞳は汚れと無縁のように純粋だ。

「……全く、お前といると俺が矮小な人間だって思い知らされるよ。魔術の天才だと崇めたてられても、俺自体はただ、過去と向き合うことを恐れているだけの、臆病な人間なんだって自覚させられる」
「私は大それた人間ではないよ。ただ、私は君のためならば、何時だって傍にいてあげるだけだ。一緒にいるだけだよ」
「それが凄いってことなんだけどな。サンキュ。お前がそう言ってくれるだけで俺の心は軽くなるよ。わかっている。逃げ続けられるわけじゃないってことくらい。前を……見るよ、少しずつ」
「なら、今日この日の一歩が君とって向き合うための勇気になることを願っていこうか。明日執り行われるお兄様の王位継承式のために」
「あぁ……っては!? お兄様王位を継ぐのか!? いや継ぐのはわかっていたが、明日!? 重大なことさりげなく言うんじゃねぇよ! 何それ俺聞いていない!」

 冬馬の取り乱しぶりに佳弥は苦笑する。

「王位継承に関するごたごたはお兄様が解決させたってこの間手紙がきたんだよ、それにともなって再び面倒事が起きる前に王位につくんだって。だから、王位継承式に私の“許嫁”である君が来ないはずがないだろう」
「いや、そうだけどよ……驚き過ぎて心臓が止まるかと思ったぞ。ってかお土産云々より切実な問題発生しているじゃねぇか! お兄様の即位お祝いの品、何も用意していない事実に今鳥肌が止まらないんだけどどうすればいい!」

 切羽詰まった、ともすれば顔色を青く変貌させそうな勢いの冬馬に、佳弥は何もしなくていいよと笑い飛ばした。


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