V 伊垣が研究施設を破壊するのに水を用いた理由は、簡単だった。不可思議な意図は含まれていない。ただ、純粋に水属性の魔術が得意だから。自身が最も得意とする魔術で研究に幕引きをしたかった。他の誰かの手に渡ることなく。 「彼は、彼で状況がどう転がっても良かったんだよ。自らの研究に誇りがある以上、朧埼の力を手に入れて研究を続けようとも。けど――朧埼と共にやってきたのは一筋縄ではいかない人物たちばかりだった。なら、破棄するのに丁度いい機会、とでも思ったんでしょ」 カイヤの推測。伊垣は否定も肯定もしなかった。 「……そうだ、此処まできた御褒美を上げないとな。というより君がこれ以上それを嗅ぎまわるのも不愉快だ。遊月音音、ついてこい」 伊垣が手招きする。それが何を指しているのか遊月は直感する。 自らの目的にやっと――辿り着く。 願って、願って――望み続けたモノ。 「あぁ、わかった」 「主、一人で大丈夫ですか?」 「あぁ。問題ないさ」 何処までも研究者であるというのなら、何も心配はいらないと、遊月は一人で伊垣の後についていく。 「心臓を手に入れたら此処から素直に立ち去ることだな」 「それは忠告か?」 「……わかっているんだろ? 黒幕が誰か。なんて」 「……」 「わかっているのならば、深入りはせずに立ち去ることだ」 研究を伊垣一人で全てをすることは不可能だった。 技術者ではない遊月でも、理解出来た。どれ程伊垣が優秀な研究者で、魔術師であろうとも。未知の技術を作り上げることなど不可能に等しい。だからこそ――技術提供した人物がいる。そして、その人物が誰かわかっている。悩むまでもない程に。 「あぁ」 「これ以上は踏み入れず、心臓だけで満足して帰ることだ。それ以上の復讐等無意味。日鵺の復讐も終わるだろう」 「アンタはずっと日鵺に殺されたかったのか?」 「さぁな。安々と殺されてやるつもりはない。けれど、傾いた天秤だけは治しておこうかと思っている」 何が傾いたか、遊月には理解出来ない。何が傾いたかを知っているのは伊垣本人のみ。他の誰かが知るよしはない。 「そうか」 だからこそ、遊月が口を挟む余地はない。 「お前らは全て目的を達成する。これ以上深みへ入る必要はない。そこにあるのは死だけだ」 「先へ進むは死にたがりだけか?」 「いや、死にたがりではない。先へ進むは生を閉ざすだけだ」 「……ご忠告有難うよ」 伊垣と遊月は研究所のさらなる奥へ踏み入れる。 深淵なる空間。闇の場所。扉に手をかけ、開ける――。 「此処が」 やっとやっと手に入る――。ならない鼓動が音を立てたよう、だった。 「こっちへこい」 伊垣が手招きをする。遊月は足を踏み入れた。 伊垣は術を詠唱し始める。それは遊月の身体に心臓を取り戻す為の術式。 心臓部分に陣が浮かび上がる。それは血のように赤い。 赤は遊月の体内に侵入するように蠢く。 「……っ」 遊月の中に不思議な感覚が、あたり前でけれど今まではそのあたり前がなくて、だからこそ実感のなかった心音が聞こえる。 [*前] | [次#] TOP |