四日目 四日目――千里の恋は唐突に終わりを告げた。 いつも通り約束した時間に来訪を告げる音が鳴る。 千里は依有から新しく貰った服を着て、はやる気持ちを抑えながらゆっくりとドアノブを回した。 「いあ――っ!」 言葉は最後まで言えなかった。扉を開いた瞬間、いつもと同じ顔をした依有が、いつもと同じ表情で攻撃を仕掛けてきたからだ。針が迫ってくる。咄嗟のことに思考は理解が追いつかないまま身体だけが反応をした。急所を貫かなかった針だが、千里の肩を掠めた。猫に引っかかれた跡のような線ができ、血が流れる。 「依有!? どうし……」 「ごめんね。君のこと好きになれたらよかったんだけど、無理だったから――殺すね」 告白してきた時と同じ笑顔で呟かれた宣告。 「は――」 理解出来ない。したくない。笑顔が同じで是は悪い夢なのではないか、依有の言葉は全部幻聴ではないかと思うが、襲いかかってくる針は紛うごとなき現実だった。 思考は現実を拒絶しているのに、身体だけが動く。 「どうしてだよ、好きになれなかったってどういう……」 「言葉のままだよ。僕は君を“好きになりたかった”けどなれなかった。僕は君が“嫌い”だ。だから、僕は君を“殺す”」 「ふ、ふざけんな!」 千里は怒鳴る。悲しみを押し殺して。 依有の殺意は本物だ。躊躇がない。千里に回避するだけの実力がなければ最初の一撃であの世だ。 「ふざけてなんていないよ。だって、僕は人間が嫌いなんだもん」 余りにも身勝手な言葉。自分勝手な主張。 ――馬鹿みたい。 ――恋して、好きになって、柄にもなく舞い上がったりはしゃいだり ――依有に貰った服を着てお洒落してみて、ウチが好きになった依有は、全部全部嘘だったんかよ ――馬鹿みたい、ほんと。馬鹿だよね 初恋だった。人生初の恋人だった。愛した異性だった。 たった三日間だけの恋だった。 ――想い出なんて、消えてなくなればいいのに。 好きだったのは、愛していたのは自分だけで、千里はただ好きになるための“手段”として利用されただけなのだ。好きになる“可能性”が欠片でも存在していたから。 ただ、それだけの“理由”なのだ。 好きではないし、ましてや愛してくれてなんていなかった。 最初から最後まで徹頭徹尾、千里という“人間”が『嫌い』だったのだ。 針が飛来してくる。回避した先は依有が置いていった食器を並べていたテーブルだ。食器が針の勢いで飛ばされ地面に転がる。硝子が割れる音は恋が壊れる音のように聞こえた。 ――ふざけんな! 慟哭よりも激しい怒りが到来する。悲痛な叫びは心の奥底に埋もれた。表層に現れたのは煉獄のごとき怒り。 「ざけんなよ! あんたのっ! あんたのっ! ウチはっ……あんたが!」 部屋に逃げ込んでは逃げ場がない、と外にいる依有へ向かって殴りかかる。依有が回避をした結果、千里は外へ出ることに成功した。一瞬だけ千里と過ごした想い出の部屋に目が行くが、砕けた硝子が二度と元には修復されないことを告げていた。けれど、もとより最早――修復するつもりはない。 「なに?」 千里の激怒が理解出来ないと言わんばかりに、依有が笑う。 「だったらっ……だったら、てめぇはウチに殺されろ!」 「僕が君を殺すんだけどなぁ」 連続して蹴りを繰り出す千里の攻撃を捌きながら依有が針を投擲する。針が千里の太股に突き刺さる。普段ならば、太股は服で多少なりと壁があったのに――依有に足を褒められたから、足は素肌だった。 突き刺さる針が痛い。千里は針を無理矢理抜き取って地面へ叩きつける。 背後に回った依有が回し蹴りを千里にくらわす。千里は地面を転がりながら受け身を取って起き上がる。狙い澄ましたように針が飛んできた。 「がっ――!」 歯を食いしばって千里は耐える。地面を蹴って跳躍し依有に上空から蹴りかかるが、回避される。空ぶった攻撃が地面に当たる前に、依有の肘が千里の肩を直撃し、そのまま伸ばされた手に握られていた針が千里の身体――心臓付近を貫く。 「ちぇっ外しちゃった」 千里は転がりながら起き上がる。視界がふらつく。 蹲りたい程の痛みを無視して拳を振るう。繰り返される攻防。 「つっう……」 針が掠めていく。一撃一撃の殺傷能力は低いとは言え、針を何度喰らったか最早わからない。綺麗だと褒められた足には血の跡が流れ、地面を転がった衝撃で擦過傷が無数に出来た。 身体の節々が痛く、骨も何本か折れているだろう。 「くそっ。ふざけんじゃねぇぞ!」 攻撃を繰り出す度に明確になっていく実力差。けれど千里は諦めず攻撃を続ける。皮膚が針で避ける。殴られて吐き気がする。針が指の関節を貫く。繰り返される容赦ない攻撃は――三日間の恋人を前にするものとは思えなくて ――やっぱ、ウチのこと僅かでも、ほんのちょっとでも……好きになってくれることはなかったんだ 千里の瞳から本人の意識とは別に涙が流れる。 けれど、依有がそれを気にするはずもない。人間が嫌いなのだから、泣こうが喚こうが知ったこっちゃない。 「しぶといなぁ……まぁ君らしいのかな?」 その時、千里は気がついた。依有がこの日自分の名前を呼んでいないことに。 最早、自分の名前が『千里』であることすら忘れているのではないかと――思えた。 依有が動くと、胸元からネックレスが見え隠れする。何度も見え隠れしていたはずなのにこの瞬間唐突にそれが具現したように千里の視界には映った。見間違えるはずもない依有にプレゼントした肩羽のシルバーネックレス。 ――ウチがあげたネックレスをしたまま、ウチを殺すのか…… 無性に悔しくなった。依有に攻撃を続けていても、かすりもしない。今まで依有が態と千里に殴られていた事実に打ちのめされるよりも――死にたくない思いが強かった。 「ん? あれ――逃がさないよっ!」 千里は生き残るために依有から逃走を図った。 依有は生かしておいては次の恋愛が出来ないと針を投げる。背中に全て的中したが、千里はそれでももがきながら逃げ続けた。 依有が追いかけては攻撃を続けるが、逃走のみを目的とした千里は依有のことを眼中に入れていなかった。やがて、逃走のみに絞ったからか、奇跡的に千里は依有から逃げることに成功した。 「ありゃ」 千里の姿を見失った依有は、これ以上探索を続けるか迷った。逃走のみを考えた千里は血の跡を消すため川を移動や、あの手この手の手段をつけて逃げていた。あの怪我であの血の量で逃走への思考回路が回ったことには素直に感心した。 「んーどうするかなぁ」 逃げ切ったとは言え、出血量や怪我の具合からみて致命傷であることは間違いない。奇跡でも起こらない限り生き伸びることはないだろう、依有はそう判断した。 「まぁいいかー。どーせ死ぬだろうし。逃げた所で生き延びられるわけないんだから、とどめを刺さないで放っとこっ」 まさか、とどめを刺さなかったばかりに千里が生き伸び――自らを殺すため類とも組織に所属する未来がある可能性を微塵も考えず、次なる恋人を探すため歩き出した。 「そういえば、彼女なんて名前だっけ――? ん、あれ、そもそも女だっけ?」 END [*前] | [次#] TOP |