零の旋律 | ナノ

FriendY


 パキリ、死の音が奏でた。崩れた。固まった。壊れた。進んだ。

「えっ」

 クロアが視線を動かすと、右手の指先が結晶へ変貌していた。

「なっ――」

 指先から結晶になったそれは徐々に浸食していく。浸食してあっと言う間に手首が結晶へ飲み込まれた。

「あああああああっ」

 クロアは悲鳴を上げる。飲み込まれる。異能に、自分が

「嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ僕は、僕は!」

 クロアの叫び。それは生にしがみ付く願い。目の前にあるのはメリーゼの死体。
 ――僕もああなるのか?
 途端に訪れる恐怖、身体が竦む。怖い。恐ろしい。

「嫌だ! 僕は死にたくない!」

 腕が結晶になって逝く。このまま放置すれば程なくして結晶がクロアを変える。
クロアは動く左手で結晶の刃を作り出した。イメージされた刃は皮肉にも異端審問官の武器だった。クロアが命じる――右腕を切り落とせと。

「あああああああああああああああ」

 痛みの叫び。木霊、絶叫。痛みが全身を廻る。地面に倒れる。痛みに喚く。這いずり回る。
 出血死しないように痛みの中必死にクロアは結晶で止血する。結晶は命を縮めるもろ刃の剣、クロアは無意識のうちに悟っていた。
 それでも、結晶でクロアは命を伸ばした。
 結晶に支配された腕を斬り落としてしまえば、まだ生きていられる。

「痛い、痛い、痛い、いたいいたいたあたいたあた」

 痛みが治まらない。涙が流れる心が痛い。
 耳ざわりな音がする。耳ざわりな気配がする。

「……あぁ?」

 耳障りな存在がいる――

「実験体クロア=レディット、同行願おうか?」

 現れたのは執行官と研究者と警備兵――『研究の塔』の人間だ。
 騒ぎを聞きつけた彼らがやってきたのだ。異能を持つクロアを捉えに。裏切り者として始末しに。

「あははははははははっ」

 クロアの瞳が狂気に染まる。
 ――痛い
 ――五月蠅い
 ――煩わしい
 血に飢えた。絶叫を耳にしたかった。残酷な笑みが浮かぶ。

「あははははっあは!」

 クロアを突き動かすのは殺人衝動。痛みから逃れようとした手段。
 メリーゼの悲しみを埋めようとした手段。偽りの、偽物の代用品。

「あはははははっ、僕は痛いんだ、だから――君らが代わりに死ね!」

 残酷なる宣言と同時に舞う血飛沫。
 ――あぁ、弱い。

「あの男と比べたら君たちは弱すぎる! 僕の相手にすらならないね!」

 ――君らの弱さが腹立たしい。

「君たちでは役不足だ! 僕を殺すことなんて出来やしないよ! あはははははは!」

 死体の山が築かれる。血がコンクリートに水たまりを作る。赤、ぴちゃり、ぴちゃりと赤を踏みしめて、クロアは歩く。血飛沫が顔に跳ねる。頬が赤き涙を流す。鮮やかな金髪は赤と混じり、狂気の色を生み出す。
 身体に斬撃を受けても、なお戦意を失わず、腕を斬り落としても尚、強く意思を残している彼女を、彼らがどうやって止めると言うのだ。止められるはずがない。
 あっと言う間に数多の屍を築く。屍の上で少女は高笑いをする。

「あははははははっ」

 少女は笑う。少女は狂ったように笑う。少女は嘆きの旋律を奏でる。

「標葉、そうだ標葉は何処だ。僕の標葉……何処にいる」

 一変して、弱弱しい守護者を求める声に変わる。それは守ってくれる他者を求める少女の姿。
 幽霊のように彷徨う足取りは真っ直ぐ標葉がいる自宅へ進む。ひたりひたりと血の道が痕には残る。

「クロア!」

 意識が朦朧としていた中、聞こえる幻聴――否、現実。
 薄らぐ視界の中ではっきりと捉えられた漆黒髪、隻眼となっても弱さを見せない強い意志を感じる瞳。愛おしい人。

「あぁ、標葉……」

 足が一歩も動けない。身体も動かない。クロアは倒れる。それを駆け寄ってきた標葉が優しく抱きしめた。

「大丈夫か?」
「標葉、僕は……僕は誰も守れない」

 クロアの弱音を、標葉は優しく抱きしめて、温もりを与える。

「帰ろう、今は休むんだ」
「わかった」

 そこで、クロアは強靭な意志によって繋ぎ止めていた意識を手放した。


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