零の旋律 | ナノ

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 この街の本来の名称は別にあるらしいが、標葉はそれをしらない。
 『箱庭の街』それはこの街を自嘲し、嘆いた市民がつけた名前だ。それがいつのころからか定着をした。本来の街の名前を忘却してしまうほどに、此処は箱庭の世界なのだ。
 外界とは閉ざされ、死の恐怖が付きまとう箱庭の中の世界。
 しかし、クロアが実験体として捕らわれていた研究の塔と比べれば天と地ほどの差があるだろう。
 街の自由も、街の活気も、街の人ごみも、それは塔の中には存在しないものだ。
 時折匂う血の匂いも、死の感覚もクロアにとってはそれが“異常”だとは捉えられないのだ。
 数多の屍を作り上げ、この場に立っている彼女にとっては、それは“普通”としか捉えられない。
 だから、彼女にとって箱庭の街は箱庭ではないのだ。

「そっか、そりゃよかった」
「えぇ。では御馳走になりますね、有難うございます」
「遠慮なく食べたいのは注文してくれ」

 クロアは先ほどから一言も発せず、視力が低下するのではと思えるほど顔を近づけてメニュー表と睨めっこしていた。

「クロア。メニュー表はお前のものじゃない一人占めするなメリーゼが見れないだろう」
「いいですよ、クロアさんが決めてからで」
「そうかい? じゃあそうさせてもらうよ。あぁ、僕にさん付けはいらないよ。面映ゆい」
「わかりました」

 クロアは二分ほどメニュー表と格闘した後、特盛りガトーショコラプリン合え生クリームパフェを頼んだ。
 メリーゼはすぐに決まって、イチゴのタルトを頼んだ。標葉はミルフィーユだ。

「標葉、君の頼んだのは可愛らしい名前だね。後で僕にも頂戴」
「わかったよ」

 程なくして届いたクロアのパフェだけ、生クリームがふんだんに使われて塔のようになっていて、標葉の頬がやや引き攣った。
 メリーゼと標葉が頼んだケーキの五倍は量がある。

「ふふふ」

 しかしその量に臆することなくクロアは鼻歌交じりにスプーンを手に取り食べ始めた。

「おい、クロア」
「何だい?」
「クリームついている、とってやるから少し大人しくしてろ」

 クロアの鼻に生クリームがついていることに気がついた標葉は紙ナプキンで生クリームをとる。

「何だか標葉さんはお母さんみたいですね」
「せめてお父さんにしてくれ。あと俺も別にさん付けしなくていいからな?」
「遠慮します」
「何故?」
「年上の方にはさん付けで呼ぶことに私が決めているからです。どうみても標葉さんは私より年上ですよね?」
「26だから、年上だな」
「では、私より十歳年上ですね。なおさらのこと呼び捨てには出来ません」
「メリーゼって十六なの!?」

 標葉とメリーゼの会話に食いついてきたクロアは既に半分パフェを制覇していた。


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