零の旋律 | ナノ

第三話:うそつき


 氷室がレストに説明をするのと、周囲から注目を浴び続けないために一旦宿へ移動した。
 服は破れたままだったが、着替えを購入するより先に氷室は秘密にしてきたことを説明することにした。

「レイシャ――いや、澪紗は契徒だ。それは澪紗本人から聞いただろ?」
「あぁ。しかしレイシャを言い直した理由は?」
「……お前らの世界では『レイシャ』と記述するが、俺らの世界では『澪紗』と記述するんだ」

 紙に文字を書き、違いを表現する。『レイシャ』と表記された方はレストやシャルにも理解出来る文字だが『澪紗』と表記された方は、それが『レイシャ』を示す文字だ、ということしかわからない。

「そういえば、言語が違うって前にアイちゃんがいってたっけか。氷室……俺らの世界って?」
「契徒の本来話す言語が違うんだ、契徒には契徒の世界があるんだ。此処とは全く違う、異世界がな」
「……信じられないな。いや、契徒という存在がいるのだからそう考えるべきだったんだよな」

 精霊術を操れず、契術と呼ばれる固有能力を有する、リティーエの民と外見上は変化がない謎の存在。それが異世界からやってきた別の人間であると考えるのは何も不思議なことではない。しかし、契徒が存在すると思っていれば別に存在そのものが何処の者か、と興味があるものが少なかったのも事実。何よりレストは氷室がいればそれで良かった。故に、契徒が異世界の人間だろうがそうじゃなかろうが気にしなかった――契徒という存在を疑問に思わなかった。

「そういうことだ。話を戻すが、契徒ってのは、俺らの世界にある一つの組織なんだ」
「契徒が組織……」
「あぁ。そして澪紗とは、契徒の組織リーダーである男の一人娘であり、幹部の人間だ」
「つまり偉いってことか?」
「澪紗は偉いし強いってことだ」
「氷室は?」
「俺なんて下っ端さ」

 軽く告げるが、その瞳にはある種の思惑が宿っていることをシャルは明確に見破っていた。だが、それをこの場で告げることはしない。ソファーに座りながら、どうでもいい表情を作っている。

「氷室が下っ端なんて……ことはないだろう」
「つーか、基本的に幹部は四人だけで、あとは総帥がいるだけだから、基本幹部以外は下っ端扱いなんだけどな……。まぁそれはいいや、それが契徒だ」
「契徒は何をしにこの世界に?」
「……別の世界がある、と思えばその地に赴いてみたくなるだろう? どんな世界か知りたくなる。どんな世界でどんな人間がいるのか、その文明に触れてみたくなる」

 嘘つき。『千愛』は内心で呟く。

『余計なことは言うなよ』

 それが表情に表れていたのか、氷室から契徒の世界での共通言語で釘をさされた。果たして――何度目だろうか、と千愛は思う。氷室が不都合な事実を隠すのは、不都合な事実を知る千愛が語ることを拒絶するのは。それがレストのためではなく氷室のためにしかならないことを知りながらも、千愛も自分に不都合な展開にならないよう、氷室に従う。

「今、なんていったんだ?」

 レストは首を傾げる。突如氷室から放たれた見知らぬ言葉を初めて耳にした。

「是が、契徒の言語だっていったのさ」
「そっか」
「あぁ。因みに澪紗が千愛っていっていたのは、こいつの本名が千愛だからだ」
「まぁそれは話の流れから理解したけど。けど、なんでアイちゃんが狙われたんだ?」
「千愛の契術は攻撃的ではないが、しかし契徒にとって愉快な能力じゃないんだ。ある
意味千愛の契術は『特別』だ。だから、契徒の連中からすれば千愛は捕えておきたいお姫様ってことなのさ」
「契徒の連中からすればって、アイちゃんも契徒だろ?」
「契徒ってのは、その組織に属している人間の名称だからな。そこに属していない千愛は契徒であって契徒じゃない。ただ、契徒だと名乗っているのは――便利だからだ。レストにだって契徒だって言われた方がわかりやすいだろ?」
「そりゃそうだな」

 レストは納得した。元より氷室の言葉に疑いを抱かない。何より、氷室は真実の中に嘘を交えることで嘘を隠している。千愛に関してはほぼ全てが真実だ。真実を告げられている千愛としては心中穏やかではない。

「後、聞きたいことはあるか?」
「レイシャの目的って何なんだ?」
「……俺にもそれはわからない。悪いな、語ってやるといってもわからないことがあって」
「いや、別にいいよ。教えてくれただけ嬉しいから。氷室」
「何だ?」
「これからも、わかったことがあったら隠し事をしないで俺に教えてほしいな」
「わかった」

 氷室の言葉を素直に、一片の疑いも抱かずに笑うレスト。

『嘘つき野郎』
『黙れ』

 思わず黙りきれずに千愛の口から言葉が漏れたのを、氷室が間髪開けず返答する、その声色はレストに向けるような優しさではない。ただ、ただ冷たい。

「どうした?」
「千愛が、千愛のことはペラペラしゃべるなと言ってきたから、さーねーと言い返しただけだ」

 嘘を平然と告げる氷室の表情に罪悪感は一切ない。嘘、が嘘を考えるよりも早く不都合なことを塗りつぶす言葉として自然に生まれるのだ。


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