U 「はぁ…はぁっ、これ程騎士団が厄介な存在とは…少々侮っていたようですね。しかし爪は甘い、追手もまだいないようだし……ほう、こんな所に人が…これは丁度良い」 「……、何…?」 背後から明らかに自分に向けられた狂気の眼差しに気付いた奈月は、ゆっくりと振り返ってからそれに負けず劣らず絶対零度の視線を向ける。 奈月の視界に映り込んだのは、魔術師風の出で立ちをした1人の男の姿。 かなり消耗しきっているようで顔からは疲労の色が浮かび、身に纏ったローブもところどころ汚れて擦り切れ、異様な雰囲気を醸し出していた。 「貴方に恨みはありませんが…私に協力して頂きますよ」 「は…? 僕が協力する訳じゃん。…っていうか邪魔、消えてくれる?」 奈月の胸の内に渦巻く不安や焦燥感が、彼を狂気に駆り立てる。 袖に隠していた小振りのナイフを手にするなり、突風のように足音一つ立てずに男との間合いを詰める奈月…であったが。 男が何やら呪文のようなものを詠唱した刹那、奈月の身体を耐え難い虚脱感が襲い掛かる。 その正体も分からずに、奈月は僅かに眉をしかめながらその場に膝をついた。 立っている事さえままならない程、体力を消耗してしまったのだろう。 「……っ、一体僕に何をしたの?」 「何、単純な事ですよ。魔力を用いて相手を治癒する…ひいては体力を元に戻させる魔術、それの逆の使い方をしただけです。相手の体力を奪う事で私の魔力を増幅させる…今、どうしても魔力が必要なのでね」 何処か尊厳な態度で誇らしげに語る男の口元には、狂気に歪んだ笑みが浮かぶ。 こんな男の凶行に付き合ってやる気は毛頭ないが、かといって口惜しい事に男に対抗出来得るほどの体力は残されてはいない。 無意識のうちにぬいぐるみを縋るように抱き締めた、その時であった。 「どりゃあああぁっ!」 突如辺りの空気を震わせる、やけに異性の良い雄叫び。 …と共に、一陣の突風が吹き抜けるような感覚を覚える奈月。 ──否、それは風ではなく人だという事に気付くのに、さして時間はかからなかった。 何故ならば、奈月の視界に突如現れた人物が男に斬りかかっていったからだ。 「……っ!?」 「ようやく見つけたぜ! オレ達騎士団をナメんじゃねーぞ!」 まさかこんな形で邪魔が入るとは思わなかったのか、奈月に気を向けていた為反応速度が遅れた男は奇襲に対応しきれず肩に刃を受け、傷口からは真紅が滲む。 さらに追撃しようと一旦地面に着地して再び地面を強く蹴り上げようとするも、それより先に男が新たな呪文の詠唱を完了する方が早かった。 不意に辺りの頭上を覆い被さるようにして出現した、巨大な魔法陣。 乱入してきた騎士──ユトナは本能的に危険を察知したのだろう、頭上を仰ぎ見ながらも警戒心を露にする。 「…チッ、忌々しい騎士団共め…。だが、この術を前にすれば貴様らなど取るに足りませんよ」 「はぁ? この頭上の魔法陣もオマエの仕業かよ? …そういや確か、妙な魔術を使うとか…」 訝しげな眼差しを送るユトナであったが、彼女の言葉が最後まで紡がれる事は無かった。 わざわざ言葉にする必要が無かったから…ひいては、自分の身を以って思い知る羽目になったからだ。 「ぐっ…!? 何だコレ、急に力が抜ける…? …ってかそっちのオマエ、誰だか知んねーけど大丈夫か? 早く逃げた方がいいぞ、ソイツかなりやべー奴だし…!」 「逃げられたらとっくに逃げてるよ。そこの人が何かしたせいで、力が抜けて動けないし…。むしろ、君の方こそ誰か知らないけど逃げたら?」 「オレが逃げる訳ねーだろ。オレはソイツを捕まえに来たんだし、敵を目の前にして尻尾巻いて逃げられるかっつーの!」 魔法陣が妖しい光を放ったかと思えば、先程の奈月と同じように耐えがたい虚脱感に襲われるユトナ。 何故わざわざ首を突っ込んでくるのか皆目見当がつかない、と言いたげに呆れを孕んだ声色で奈月がそう言い放つも、ユトナの双眸に宿る闘志の光は陰りを見せようとはしなかった。 ──刹那。 ユトナの胸の奥で、何かが力強く脈打つのを感じた。 それが一体何なのか思案を巡らせるより早く、今までユトナの身体に襲い掛かっていた強烈な虚脱感が嘘のように消え失せてしまったのだ。 自らの身に何が起こったのか、それはユトナ自身まるで理解出来ていなかった事だが、今の彼女にはそれはどうでもいい事。 肝心なのは、逃亡者を捕まえられる程の力があるかどうか。 頭で考えるより身体が勝手に動いた、と言った方が正しいか。 身体が軽くなったその刹那、雷光の如き迅速な動きで一気に男の間合いまで詰め寄れば、肩から脇腹にかけて大きく切り裂いた。 [*前] | [次#] |