零の旋律 | ナノ

V


 そして、部屋中に絶叫が響いた。

「ぎぅぐぁああああああああああぁあああぁあああああああぁああああぁあああ!!」

 レンズ越しの目が赤く染まり、左右に忙しなく動き始める。歯をむき出しにして口の端からヨダレを垂れ流し、ぐらぐらと揺れる赤い目で少女はアークを睨み付けた。顔色が雪のように真っ白になっていくのを見るのは、なんだか不思議な気分だ。口の端から流れ出る血が唇を濡らし、白い肌色と相まって化粧をしているように見えた。

「え、なんだ、どういうこと?」

 驚いたアークが少女から距離を取り、観察するようにその様子を見つめる。黒かった髪は白くなり、目は赤に変化していた。肌は雪のように白くなっている。
――椅子に座って嘲笑を浮かべている男と、そっくりだった。

「主!」

 ヒースリアが叫ぶ。戸惑っているアークの目の前に、いつのまにか祐未がいた。

「おっと!」

 彼女の突進を最小限の動きで避け、近くにあった椅子を蹴り上げ少女にぶつける。顔面に障害物が直撃した祐未の体がぐらりと揺れ、しかし倒れることはしなかった。

 それどころか、一歩足を踏み出し、またアークに向かって突っ込んでくる。

「うっそっ!」

 額がぱっくりとわれ、血が噴き出している。目にも入っているはずだから視界がきかないはずなのに、それでも少女はアークに向かって突っ込んできた。予想外の行動に対応しきれなかったアークの首筋に、少女が文字通り食らいつく。

「ぐっ……!?」

 貫かれる、食いちぎられる原始的な痛みが体を襲った。ヒースリアがさきほど冗談で彼女を野犬のようだと言ったが、これでは本当に野犬か、オオカミのようだ。

「こっ、これでどうしてWait(待て)が出来るなんて言えるんだよっ!」

 痛みに耐えかね突き飛ばすと、首筋から血が噴き出した。頸動脈を食いちぎられなかっただけ良しとしよう。今度こそ衝撃を殺せず床にたたきつけられた祐未の腹部に蹴りを入れると、彼女は激しく咳き込みながらも体勢を立て直しアークと距離を取った。
 そして息をととのえ、また襲い掛かってくる。
 今度それに対応したのはヒースリアだった。

「……主、貴方一応始末屋レインドフとして有名な家の、当主なんですよ? それをなにが哀しくてこんな小娘一匹に手こずっているんですか」

 気づけば彼は、祐未の背後にいた。
 声に気づいた少女が後ろを振り向こうとするが、ヒースリアはそれより早く彼女の足下を攻撃し、背中に乗るような形で体を拘束する。

「がっ、ぐぅううっ!」

 祐未が獣のようなうなり声をあげ、微かに身じろぎをした。けれどヒースリアも渾身の力を込めて、彼女の抵抗を許さない。


「あー、うん、ごめん、その子けっこう強いわ」

「小娘一人に手こずった事実が広がって家が没落して野垂れ死ぬ様を見るのも一興かもしれませんが、今まで考えた悲惨な死に方リストの中でも一番つまらない死に方なので、できればそんな無様なマネはしてほしくないですね」

「……お前ねぇ……」

 呆れ顔で言うアークに、ヒースリアはなにも言わない。彼の下では押さえつけられた少女がうなり声をあげていた。彼女を押さえつける腕が震えて、拘束を解かれそうになる。なかなかの馬鹿力だ。ヒースリアが忌々しそうに舌打ちをした。

「このっ……駄犬が!」

 片腕に全体重をかけたまま、ヒースリアが銃を取り出す。
 それを見計らったように、声が響いた。

「……祐未」

 言ったのは、椅子に座ったまま事の成り行きを見ている銀髪赤目の男。
 彼はうなり声を上げる少女に向かってあくまで冷静に、それこそ飼い犬に命令するような口調で淀みなく、吐き捨てる。

「GO(行け)」

 そして、少女が吠えた。
 ヒースリアの腕でも押さえきれないほどの力で、彼女が思いきり暴れ始める。片腕で押さえつけていたこともあり、ヒースリアの拘束はあっけなくはずされ、少女が今度はアークとヒースリアを見て唸る。睨み付けられた二人は、ほぼ同時に臨戦態勢へ入った。

「くっそ! ご主人様の言うことは聞くのか!」

「お前よりよっぽど躾けはしっかりしてるみたいだな!」

「こっちのセリフだ!」

 ヒースリアは銃を構え、アークは近くにあった窓の枠組みを力ずくではぎ取り武器にして、理性を忘れた少女が襲いかかってくるのに備える。
 うなり声をあげながら少女が床を蹴り、彼らに躍り掛かるのと同時に彼らも武器を構えた――が。

「"Wait!"Princess!(『待て!』だ、お姫様!)」

 アークとヒースリアの、そして裕未の攻撃は、何者かの乱入によって空振りに終わった。正確には――3人の攻撃がすべて、乱入者である1人の男によって受け止められてしまったのだ。
 裕未の振り上げた拳を右腕で、アークのもっていた枠組みの残骸を左腕で、ヒースリアの銃口をアークが持つ枠組みの先端で、それぞれ押さえ込んでいる。

「……どういうつもりだ……アレックス」

「なに、ヒーロー参上といったところさ」

 不機嫌そうに吐き捨てたのは、椅子に座ったままの銀髪男。答えたのは乱入者の男。
 乱入者は、どうやらアレックスという名前らしい。

「あ、アル……おまえ、なんでここに……」

「簡単さ。君の顔が見たくなって、直樹くんにつれてきてもらったんだよ! 図らずも良いタイミングでこれたようだがね! やはり戦う君はいつもの何倍も美しい!」

 真っ赤な目をぐらぐらと揺らしながら、それでも少女はうなり声でなく言葉を発した。喋れなくなっていたわけではなかったらしい。うなり声をあげていたから、てっきりアークはしゃべれなくなったのだと思っていた。アルという愛称を呼ばれた乱入者は、鼻歌でも歌い出しそうな弾んだ声で彼女の質問に答える。男の吐き出した歯の浮くような台詞のせいか、真っ白な少女の頬にかすかな赤みがさした。
 アレックスはそれに気づいているのかいないのか――おそらく気づいているのだろうとアークは想う――恥ずかしそうにうつむく少女には触れず意気揚々とした口調のまま、部屋全体に大きな声を響かせた。

「無粋とは知りつつ、果たし合いへの水差しご容赦願いたい! この勝敗は私、アレックス・ラドフォードが預かった!」

 ヒースリアが銃身を動かそうとするが、銃口につっこまれた鉄の棒は外れない。彼の抵抗に気づいたらしいアレックスが、アクアブルーの瞳を笑みの形に歪め、言った。

「おっと、済まないが今回は痛み分けという形にしてもらえないかな? 私の姫君が傷ついているんだ。早く帰って手当てをしたい」

 アレックスが嘯くと、祐未はますます顔を赤くして俯いた。椅子に座ったままの銀髪男が不快そうに眉をひそめる。銃身に鉄棒をつっこまれたヒースリアも、銀髪男と似たような顔をしていた。
 アークは首を傾げて考える。
 
 そもそも今回はどこからどこまでをターゲットにしていいかよくわからないのだ。確認しようにも依頼主は既に死んでいるし、けれど充分すぎるほどの報酬はすでに貰っているから、依頼は遂行しなければならない。

 殺しの相場を考えて、このアレックスという男と祐未という少女を相手にすれば、あの金額ではまず間違いなく足が出るだろう。しかし、依頼はやりとげなければならない。この場合最優先事項は奴隷商人の殺害だ。

「……お兄さんたちを見逃すのは別にいいんだけどさ、そこのおっさんだけは見逃すわけにいかないんだよねー」

 アレックスがちらりとアークの指差すほうを見た。派手な大立ち回りを見てすっかり気を失ってしまったらしく、無様に失禁までしている。

「……この御人は充分反省していらっしゃるようだが」

「いやーそんなこと関係ないんだよねー俺の仕事だからさ。でもあんたらには手を出さないよ。割に合わなそうだ」

「おいアル、そいつは……ほっといてもいいよ。もう行こうぜ」

 腕組みをして唸るアレックスの服を引っ張ったのは祐未だった。彼女に意見されたアレックスは一度視線を少女に戻し、そしてもう一度奴隷商人に視線を向けた。

「なるほど、必要悪というやつか。ならば目を瞑ろう。私もそれほど頭が硬いわけではないよ」

 異常に早い納得だった。
 彼は2、3度大きく頷くと、傷ついた祐未の肩を抱き大股で銀髪男へと近づく。
 
「では行こう、テオ君! ゲートは直樹君に制御を頼んでいる! 目的は果たしたのだろう? 怪我人を手当てしたい。さぁさぁ!」

 ずかずかと無神経なほどの大股で銀髪の男――テオに近づき、近くに座り込んでいた魔族の少年に

「立てるか?」

 と話し掛けている。言いながら腕を掴み立ち上がらせているあたり、返答は求めていないようだ。怯えた様子の少年に気づいたのか、アレックスはにっこりと笑い、言う。

「脅えているのか。大丈夫だよ、テオ君は子供を殺したりしないからね」

 ぴくり、とテオの眉尻が跳ね上がった。しかしアレックスは気づいた様子もない。

「おにーさんともいつか戦ってみたいな」

 部屋の弁償はどうしたらいいんだい? と首を傾げるアレックスに向かってアークは言った。不意をつかれて膠着状態に持ち込まれたが、実際に戦ったらどうなるのかまだ分からない。アークの言葉を聞いたアレックスは、ははっ、と豪快な笑い声をあげた。

「これは異なことを言う! 私は守る牙しか持たぬ番犬だ。すこし買いかぶりすぎだよ」
「そうかな? 『ヒーロー参上』なんだろ?」

「ふふっ、姫君にとってのヒーローでありたいと思っているだけだよ」

「どうせなら最初からヒーローが来ていればよかったのに」

 祐未が抱き上げようとした魔族の少年を、アレックスが抱き上げた。祐未は手持ち無沙汰なようで、傷だらけの手足をぶらぶらと揺らしている。そんな彼女に早く行くよう伝えると、アレックスは嘯いたアークのほうをちらりとみて、笑う。よく笑う男だ。
 祐未とテオの姿はいつのまにか消えている。

「なぜヒーローが遅れてやってくるか、君はわかるかい?」

「さあ? なんでだ?」

「ヒロインがピンチに陥る姿がたまらなく――愛おしいからさ」

「……は?」

「傷ついた彼女を見る時、私の心臓は一番高鳴るんだ。初めて恋をした時のように。そしてその傷ついた彼女を助ける時、私の心臓は初めて女を抱いた時のような恍惚を得る」

 アレックスの腕の中にいた魔族の少年が、恐怖に凍りついたような顔をした。

「……ずいぶんと趣味の悪いヒーローだな。ヒースリアといい勝負じゃないのか?」

「ご冗談を、主。私は思い人を傷つけた後助けて悦に入ったりしませんよ。主のことは殺したいと思っていますがあくまで殺したいと思っているだけで、死ぬまで嬲っていようとは思いません。チャンスがあればばっさり殺します」

「……そうかよ……」

 力なく呟いたアークが、そのまま奴隷商人に目を向ける。そして冷めた瞳のまま、腕を振り下ろした。





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都神ナナエ様のサイトにてコラボ企画に挙手させて頂きましたら、ボリューム満点魅力満載のコラボ小説を書いていただけました…!
当サイトからFragmentのアーク&ヒースリアと、ナナエ様のお子さんの祐未さん、テオさん、アルさんとのコラボです。

構成がしっかりとなされている物語たまりません…!!丁寧で細かい文章表現は読んでいて一気に引き込まれます。緻密に書かれた物語に密かに勉強させて頂いております。
アークとヒースリアの会話が、私の理想通り、理想以上で私が書きたかった二人はこれだ…!!と感激しています。

この度はコラボ小説を有難うございます。

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