零の旋律 | ナノ

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 始末屋のアーク・レインドフは今日も舞い込んできた依頼を一つ片づける予定だった。ターゲットは人間を売りさばく奴隷商人。メインの商品は魔族だが、まれに人族も扱うという話だ。依頼主はなんでも騙されるような形で娘を奪われどこぞの貴族へと売り払われてしまったらしい。死を覚悟して助けに行った時には手遅れで、手足を切断され泣き叫く娘の姿を見た彼はその貴族を殺し、娘を殺してレインドフ家へやってきた。
 家や土地、持っているもの全てを売り払ってできた金を差し出し、これで奴隷商人の男を、人を売り買いするような人間を殺して欲しいと言う。
 始末屋レインドフは依頼を断らない。
 金を受け取ってアークが了承した直後男は糸が切れたようにその場で死んだ。死体は執事のヒースリアがぶつぶつ文句を言いながら片づけた。服が汚れるとか疲れるとか散々文句を言った彼は主であるはずのアークに特別給料を要求したあげく、主が片づけて自分で掘った穴に死体と一緒に落ちればいいのにとまで宣った。

「さて、これはどうしたもんかなぁ」

 壁に張り付いて窓の中を覗き込みながら、アークは小さく呟く。
 依頼は『人を売り買いするような人間を殺してくれ』で、ターゲットは部屋の中にいる奴隷商人。本来なら一人になったところを攻撃するのがセオリーだしそのほうが成功確率は高いのだが、依頼内容が依頼内容だ。この内容で引き受けた以上はこの部屋に今突撃して全員を殺すのが正解かもしれなかった。
 
「うーん?」

「壁に張り付いてうなり声をあげるなんてどう見ても不審者ですよ主。その薄っぺらい脳みそを最大限働かせて早く次の行動を決めるよう進言致します。まあ進言したからといって主の筋肉になった脳の性能があがるとは到底思えませんが」

「……お前はあれだな、本当に少し言葉が凶器になり得るってことを学んだ方が良い」

「心外ですね。充分に知り尽くしているからこうして主に対して時間を割いているんですよ。そうでなかったら、こんな時間無駄以外のなにものでもありません」

「このサディストめ……」

 部屋の中にいた黒髪の少女が、ちらりと視線を窓に映した。黒縁の眼鏡をかけた大人しそうな少女だったが細い身体は鍛え上げられており、やせ細っているとはいえ魔族の少年一人を抱え上げるほどの力があるようだ。一挙一動に隙がない。あるいは窓の外にいるアークとヒースリアに気づいているのかもしれなかった。

 いや、これは気づかれていると考えたほうがいい。

 そう判断したアークは相手にこれ以上準備させる時間を与えないため、即座に動いた。横でヒースリアがため息をついたが気にしない。気にしていたら胃に穴があくだろう。
 窓ガラスを蹴ってたたき割り部屋に侵入すると、一番近くにあったイスを本来のターゲットである奴隷商人に投げつける。彼の頭に直撃するはずだった椅子は、しかし黒髪少女の蹴りによって床に叩き落とされて粉々になった。
 少女は抱えていた魔族の少年をそっと床におろすと、キッとアークを睨み付ける。口元はみるみるうちに大きな弧を描き、歯をむき出しにしたその笑みは相手を威嚇しうなり声をあげる犬に似ていた。

「ヘイヘイヘイヘイ兄ちゃぁーん! いきなりご挨拶がすぎるんじゃねぇのか? いい身なりしてるクセにシツケがなってねぇなぁ、アァン? Wait(待て)もできねぇならSit(お座り)とPaw(お手)と一緒に覚えてから出直してこいやぁ!」

「君も女の子のくせに言葉使いがずいぶん荒いなぁ」

「たしかに主は躾けのなってない駄犬のような方ですが、あなたはまるで野犬のような方ですね」

「っるせー! あたしはWait(待て)くらい出来るっつーんだよ!」

「お? まて、ツッコミが追いつかないぞ? どっちになにをいえばいいんだこれは」

「なんにもいわねぇーで窓ガラス代置いてけや!」

 見かけに似合わない、けれど口元の笑顔にはとても似合うチンピラ風の言葉を吐き出して、少女がアークに躍りかかった。飛んできた拳を避けて、アークは近くに武器がないかと探す。
 奴隷商人はよくわからない悲鳴をあげて逃げようとしたが、生憎扉の前にはヒースリアが立っていた。

「別に主の経歴が泥まみれになるのは良いのですが、そうすると私の給料もすこし危なくなりそうなので」

 真っ青な顔で後ずさる奴隷商人にヒースリアが嘯く。
 奴隷商人とは対照的に、少女の連れであろう銀髪の男はとくに表情を変えぬまま椅子に座り状況を傍観していた。第三者に徹底する性格の悪さはヒースリアと意見が合うかも知れない。

「よそ見してる場合かクソがぁ!」

 少女の罵倒が飛んできて、アークの腹に拳が直撃した。まだ『女の子』という年齢のわりに、その威力は凶悪だ。肺から強制的に空気が放出され、一瞬呼吸困難に陥る。衝撃を直接受けた胃には捻り切れたかとおもうほどの激痛が走った。

「がっ、は……!!」

 慌てて少女との距離をとり、間合いを計り直す。少女もアークの行動にならって距離をとり、忌々しそうに舌打ちした。

「これやりゃ大体のやつは血ぃ吐いてオネンネすんだぞ、あんたどういう体してんだ」

「君こそどんな鍛え方すればその年でそんな威力の攻撃ができるんだ?」

 腹を殴れば血を吐いて気絶ということは内臓が傷ついてしまうということだ。筋肉や脂肪を通り抜けて内臓まで強い衝撃を届ける殴打なんてめったにできる芸当ではない。生肉の塊を包丁で切ったことがあればその難しさは容易に想像できるだろう。少なくとも10代の少女が繰り出す攻撃の威力でないことは確かだ。
 アークが今度はテーブルを放り投げると、凄まじい勢いで飛んできたそれを少女が腕で受け止めた。後ろにつれと魔族の少年がいるから避けなかったのだろう。
 スピードを殺すため腕に全体重をかけた彼女の隙を見逃すようなアークではない。
 テーブルを投げると同時に自分も走り出し、少女が受け止めたそれを蹴り飛ばすと、少女は当然テーブルごと吹っ飛んだ。アークの蹴りで真っ二つにわれたテーブルの軌道をそらすあたり、その二人をよほど気にかけているのだろう。
 テーブルに気をとられて受け身がとれなかったのか、少女がバタンと大きな音を立てて床に倒れ込む。彼女のすぐ横で魔族の少年がビクリと肩を揺らし、椅子に座ったままの男は冷ややかな目で彼女を見た。

「苦戦しているな、祐未」

「……っ、るせ……」

 口から血を垂れ流しながら少女が毒づく。彼女の名前は祐未というようだ。銀髪の男は座ったまま少女を見下ろし、にやりと笑った。

「March Hare(三月兎)」

 冷たい、けれどどこか楽しそうな声が男から発せられる。少女の顔色がさっとかわり、戸惑いの表情で彼を見た。男は咄嗟に起き上がろうとする祐未の頬を手で挟み込むようにして固定し、椅子に座ったまま彼女の耳元へ口を近づけた。

「え、ちょっと……おい、ここでとか……!」

 少女の抗議は意味をなさず、彼女の脳に直接流し込もうとしているような、囁くような男の声がアークにも聞こえた。もっともアークには、それが何を意味しているのかわからなかったのだけれど。

「March Hare,Time for Mad tea party(お茶会の時間だ、三月兎)」

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