零の旋律 | ナノ

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「では、こちらは約束のものです。お収めください」

 男――テオ・マクニールは口元だけに薄笑いを浮かべて冷たい声を出した。手もとでは嫌味なほどキラキラと光る貴金属や希少鉱物が巣箱大の入れ物にはいっている。黒いサングラスがテーブルの上に置かれ、その横には黒い中折れ帽が置かれていた。帽子やサングラスと同じ黒いコートは身につけたままで、胸元にはやはり黒いネクタイを締めている。ワイシャツはダークグレーで、これだけ黒系統で服装を統一しているとどこか病的に見えた。それでもその服装がそれほど不自然に見えないのは、男の顔がガラス細工のように繊細な美しさをたたえているせいかもしれない。男にしては細すぎる輪郭線と雪かと見まごう白い肌は、黒い布とひどく対照的だ。サラサラと流れる細い髪も色素を忘れたような銀髪なので、サングラスをかけてしまえばこの世界で彼だけが色を忘れたような錯覚を受けた。ただし一度サングラスを外すと切れ長の目だけは真っ赤な炎のようでギラギラと妖しく輝いているため、眼球だけがやたらと目立っている。
 えぐり出して飾ればピジョンブラッドのルビーにもひけをとるまいと言ったのは誰だったか。その人間は下卑た言葉の直後、エアーウェイトの装弾数五発をすべて叩き込まれて悲鳴をあげていたような気がする。

「ありがとうございます、これからもご贔屓に……」

 半ば前のめりになって金銀財宝の入った木箱をわし掴んだ男は、テオtと対峙にするにはあまりに平凡な姿をしていた。年の頃は40代後半から50代前半といったところか。順当に集めてきた資金を脂肪に変えて腹の内に貯め込んでおり、ふっくりと肥えた輪郭はテオと比べてしまうと粗雑な作りに見える。もっともそれは自分も同じだろうと祐未は思った。
 クセのある黒髪を邪魔にならない程度に切りそろえ、幼い頃から低かった視力の為に黒縁の眼鏡をかけている。身体は繰り返される過激な運動のせいで女性らしさのかけらもなく、自分の意志に反して成長を続ける胸元とのバランスがとれていない。鏡で見るたび妙な気分だった。この身体を『鍛えられたマラソン選手のようにしなやかで強く、美しい』と言ってくれた人物もいるが、彼女自身にはどうも納得できなかった。そもそもテオや彼と違って自分の顔はどうにも地味なのだ。とくに人目を惹くことのない造形は、テオ・マクニールという男と一緒に過ごしてきた十数年間で彼女のコンプレックスとなるのに充分な要素を持っていた。
 テオ・マクニールは悪魔のような男だ。内面もさることながら、その容姿はひどく不健康で頼りないのに、とても美しい。脆く儚いのに挑戦的な笑みを浮かべる彼は、静かな夜の美しさを集めて人の形にしたような男だった。闇の集合体だから、美しいのにひどく恐ろしい。なのに炎のようにギラギラと揺らめく瞳は完全に他人を見下していて、作り物の容姿に醜い生々しさを加えていた。だからこそ彼は『悪魔のような男』と呼ばれる。人をまどわす美しい外見に、醜悪な本性が見え隠れしているからだ。人間のふしだらな妄想を形にしたら、きっとこの男の容姿になるのだろう。
 そんな浮世離れした美しさをもつ人間の傍で、自分の容姿にコンプレックスを抱かないほうがおかしい。

「祐未、そいつを連れて行け」

 ぼんやりテオと男のやりとりを見ていた祐未は、冷たい声を聞いて我に返った。嘲笑を抱いたテオの口元から命令が下されたのだ。

「っるせぇボケ、ヘンタイ!」

「まったく身に覚えのない罵倒を吐くな。ボキャブラリーの少ないやつだ」

「あたしのボブギャラリーはホウフだぞ! 5人くらい知ってる!」

「ボブじゃない。つまらんボケをかますな。ボブなんて1人知ってれば充分だまぎらわしい」

「なんだよボブなんてありふれた愛称じゃねぇか。ボブの知り合い1人とかお前友だち少ねぇんじゃねぇの?」

「いまごろ気づいたのか」

「開き直ンなこのぼっち! ひきこもり野郎!」

 悠然とイスに座る男に向かって舌を突き出し、祐未はテオに『そいつ』と呼ばれた存在に目をやった。
 手足に鉄の枷をはめられ、口には猿ぐつわをかまされている少年だ。墨汁を溶かし込んだように真っ黒な髪に金色の目をした、この世界でいう『魔族』の少年であり、テオが先ほど中年男から買った商品でもある。警戒と嫌悪の入り交じった目で祐未とテオ、そして中年男を睨む彼は、これからテオと祐未とともに異世界の施設へ連行され、この世界の魔法を解析する実験体にされるのだ。

 ユリファスと呼ばれる世界。ここでまず権力者に取り入ったテオは、次いで魔法を扱える『魔族』と呼ばれるものたちの存在を知り、それを手に入れようと画策した。彼にとっては幸いなことに、この世界で魔族は差別され虐げられているらしい。人の形をした彼らは、それでも人間と同一の種ではなく、たとえるなら遠い祖先の段階でサルと人が枝分かれしてそれぞれの進化に至ったように、どこかで枝分かれして違う進化を辿った種なのだろう。テオはその進化の過程にも興味があるといっていた。目をつけられた魔族はつくづく哀れだと祐未は思う。魔族というのは人間と別の進化形態を辿ったなにかであって、裕未たちの世界でヨーロッパとアジアと南米で肌の色が違うのとはまた別物なのだそうだ。つまり、同じ種族の中で多少の相違があるのではなく、種自体が人間とは別のカテゴリーに属している、動物学としての異種。

――種族が違う、同じ形をしたもの。

 それは時に、ある種の人間にとても大きな恩恵をもたらす。
 異種間交配で妊娠する確率は、その種の遺伝子が複雑化すればするほど低くなる。
 
 つまり人間と魔族が交わる場合、『腹を弄らなくても孕まない女が抱ける』のだ。

 遺伝子形態が限りなく近ければ妊娠の確率も高くなるだろうが、それでも同種交配の比ではない。ハーフを生んだ実績はあるというからあながち無理な話でもないのだろう。けれど寿命も違う、人には使えぬ魔法も使うというから、遺伝子の相違はあるだろうと思われる。仮に魔族と人間で染色体数が違っていた場合――違っている確率が高い――彼らは代を重ねて異種間交配するほど、繁殖率が低下していく。それは種を保存するため生き物に備わった『安全装置』であり、本来ならばメリットではないはずなのだ。けれど本能だけに従って生きていた時代を終えて久しい人類は、理性というものを手に入れた代償に本能的な禁忌を忘却する道を選んだ。

 妊娠確率の低さなど、生殖本能を『ただの欲』に引きずり下ろした人類にとってはメリットでしかない。
 なんと不健康な生き物か。

 さらに、魔族は差別されているという現状、なにをしても法的に罰せられないという実情は、テオに魔族の少年を売った男のような奴隷商人と呼ばれる人々が私腹を肥やしサディストたちが自らの欲を最大限に満たす温床となり得る。テオに売られた少年もそんな末路を覚悟しているのだろう。暗く激しい憎悪を宿す金色の目を見て、祐未は知らずに舌打ちしていた。少年の身体がビクリと揺れる。魔族は寿命が長く見た目と実年齢が合わないというから、もしかしたらこの少年は祐未よりもっと年上かもしれなかった。けれど見た目はまだ10代前半だ。そんな子供が(祐未も世間的にみれば充分子供だが)悲惨な目に遭うのは心が痛む。
 二ヶ月前、テオは大国から魔族の女の死体を譲り受け、解剖した。今度は生きた魔族を使って彼らの使う魔法のメカニズムを知りたいのだという。人間の使う魔導はだいたい理解したから、今度は魔族の使う魔法を理解したいと言っていた。魔族の人体解剖は済んだし、きっとこの少年も殺されることないだろうと祐未は自分に言い聞かせていた。ICLOは以前より随分とマシな組織になったし、祐未も最近はある程度上に意見することが許されている。殺されるようなことにはならないだろう。サディストの元に売り払われて辱められたあげく痛めつけられて殺されるよりは幾分かマシだ。

 すくなくとも祐未はそう思い込むことにした。
 そして、せめてもの罪滅ぼしにあまり恐怖を与えないよう、拘束された少年をゆっくりと抱き上げる。しかしこれも彼女の自己満足でしかないのだ。逃がしてやるのが最善だろうに、彼女はそれをできないし、しようとも思わないのだから。

「旦那ぁ、またよろしく頼みますよ。今度は女連れてきますから」

「あぁ、またよろしくお願いしますよ」

 男が手をすりあわせながらニヤニヤと笑い、テオは冷たい嘲笑を浮かべたまま、他人を小馬鹿にしたような声色でそれに答える。
 祐未に抱きかかえられた魔族の少年は二人を憎しみの籠もった目で睨み付けていて、祐未はふと、あの二人は突然誰かに殺されても文句は言えないだろうなと思った。

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