零の旋律 | ナノ

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 ◇白井祐未は人の所業が悪に傾きやすいものだと知っている
 
 「銃声……?」

 木箱に押し込められていた魔族全員を逃がしたあと、当初の打ち合わせ通り直樹の指摘した地下室への階段へと向かっていた祐未は、途中で足を止めた。遠くから断続的にMP5の発砲音が聞こえてくるのだ。それ自体は想定内の出来事であるし、戦闘がまったくないとしたらそれはそれで不気味だから良いのだが――どうにも嫌な予感がした。首筋のあたりを逆撫でされるようなぞわりとした感覚。まったくの勘であったし確証もなにもないのだが、しかし祐未の勘はよく当たるし彼女は自分の勘を信じることにしていた。

「なにしてるんだ! はやくいくぞ!」

「お、おう!」

 前方で短機関銃を扱うアークが祐未に向かって叫んだ。慌てて返事をして走り出す。先ほど工場中に響いた大きな音――おそらくアレックス達が隠し階段を無理矢理さがし出した音――で警備員が大挙して押し寄せており、アークやホクシアは先ほどからその対応に追われていた。かくゆう祐未もつい五秒ほど前まで機関銃を打ち鳴らしていたわけだが、かすかに響いてきた銃声を聞きつけ手を止めてしまったのだ。

「嫌な予感がする。とっとと地下室に行こうぜ」

「嫌な予感?」

「うん。よくわかんねぇけど」

 地図に記されていた空白の場所は、壁を破壊されて下り階段が姿を現わしていた。機関銃を構えたまま階段を駆け下りていくと、途中額を撃ち抜かれたり蜂の巣にされたり、あるいは首や腹を割かれて倒れている男たちの死体を見つける。アレックスたちがやったのだろう。

「容赦ないな」

 ヴィオラが小さく呟く。苦笑しているようだったが、嫌悪は示していないようだ。魔族と行動をともにしている時点で推して知るべしといったところか。階段を下りて通路をまっすぐ進むと、大きな扉がすこし開いた状態で佇んでいる。血のあとと見張りの死体がその部屋に続いているから、おそらくそこにアレックスたちがいるのだろう。

「たっ、たっ、助けてくれ!」

 祐未たちが部屋に駆け込むのとほぼ同時に、男の悲鳴が聞こえた。目の前に全裸の男が這いずるように駆け寄ってきて、祐未のほうへ縋るように手を伸ばす。しかしその手が祐未を捉える前に、彼の頭は電子レンジにいれた卵のごとく吹き飛んでしまった。祐未の顔や体に、吹き飛んだ血が数滴かかる。

「汚らわしい手で私の仲間に触らないでもらおうか」

 底冷えする声だった。凜として揺らがず、触るものすべてを傷つける氷のような声。祐未が声のするほうを見ると、知らない男がいた。知っている顔のはずなのに、見知らぬ顔と声の――だからその男が、祐未に向かって苦笑してみせた時、彼女はやっと男の名前を思い出す。
 アレックス・ラドフォード
 彼にこんな凍てついた表情ができるとは思っていなかった祐未は、驚きに凍り付いた体をなんとか動かし、言葉をみつけるように何度か口を動かす。しかし結局言葉は見つからず、金魚のようなマネは三秒でやめた。

「いやなところを見られてしまったね」

 嘯くアレックスは、もう完全に祐未の知っているアレックスだった。ただ足下に広がる頭や下半身を吹っ飛ばされた男たちの死体だけが、彼の明るい表情に似つかない。

「なっ……なんだこれっ……」

 遅れて部屋に入ってきたヴィオラが、目の前の惨状を見て低く呻いた。口元に手をあてているから、もしかしたら吐き気を催したのかもしれない。同じタイミングで入ってきたホクシアは、眉をひそめて死体となった男たちを睨み付けていた。アレックスは彼女の瞳が金色であることを確認すると、先ほど男の頭を吹き飛ばしたばかりのMP5を肩に担いで部屋の奥を指差す。

「君の仲間が向こうにいる。応急処置を手伝ってやってくれないか」

「……わかったわ」

 ホクシアが向かった先には、魔族の女や子供が身を寄せ合うようにして、眼帯をつけた少年のてあてを受けていた。服を着ておらず傷だらけだったり、ぐったりと疲れたように壁によりかかっていたり、中には――手足を切断され、思うように動けない状態の子供や女もいた。よくみると部屋に散らばっているのは男たちの死体だけではなく、かなり酷い状態の女子供の死体もあった。この時点で、なにが行われていたのか大体察知した祐未はどうしようもなくやるせない気分で、拳を握りしめる。隠れ蓑が縫製工場である理由が、本来ならもっと早く気づいてしかるべきだった理由が、いまやっとわかったのだ。
 悲鳴を隠すため。
 地下室で嬲られている時や、出荷される時の悲鳴や泣き声を、四六時中響くミシンの音でかき消すための処置。首都の郊外、人通りのすくない場所に響くミシンの騒音は、背徳の宴を覆い隠すための、悪魔の魔法だ。吐き気がする。
 祐未が眉をひそめて俯く一方で、アークは壁によりかかったヒースリアに話し掛けていた。

「すごい状態だな、これは」

「……ええ。キレたアレックスは敵に回したくありませんね」

「お前がそんなこと言うなんて珍しいじゃないか」

「厄介で面倒そうだという意味です。殺しっぷりは主といい勝負でしたよ」

「そうか。やっぱり戦ってみたいな」

 彼らはこの惨状になんの感想も抱いていないようだった。裏社会の人間だというから、見慣れているのかもしれない。祐未もとりあえず、目の前にいる男から話しを聞こうとアレックスに歩み寄る。彼は返り血がべっとりついた状態でにこりと爽やかな笑顔を浮かべた。

「アル、お前全員殺しちまったのか?」

「いや。そこまで我を忘れてはいないよ。リーダーは捉えた。……といっても、ヒースリア君が生け捕りにしたのを殺さないでいただけだが……あぁ、本当に私は冷静さを欠いていたね。よくあるんだ。私は我慢弱いから」

「そっか」

「すまないね、祐未。君が血で汚れてしまった」

「いいよ、慣れてるから」

 アレックスが白い――先ほどまでMP5の引き金を引いていた――指で、祐未のほほについた血を拭う。そんなもので取れるとはお互い思っていなかったが、それでも彼はそうしなければいられないようだった。

「……なあ……」

 どこか所在なげに呟いたのは、ヴィオラだ。

「部屋の奥から、妙な音が聞こえないか?」

 その部屋にいた全員が、彼に言われたとおり部屋の奥を見る。かすかにだが、機械が動くような低い音が聞こえてきた。

「……なにかあるのか」

 そういったアレックスの声が、また祐未の知らない別の男の、冷たい氷の声になっていた。

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