零の旋律 | ナノ

Y


 ◇突入は迅速に密やかにしかし強引に実行される

 薄暗い中に水の音が反響する。長年水によって削られていったのか、凹凸の激しい石に囲まれた『通路』の中は、触れるのもためらうようなべたついた風が流れていた。充満するのは明かな異臭。流れる水は濁りきり、いずこかへ向かいゆったりと流れていく。視界のすみを素早く通り過ぎて行った黒い物体を、ヒースリアは見なかったことにした。コンバットブーツの下で異臭を放つ水がぴちゃりと音を立てる。前方を歩くアレックスはライトブラウンの髪を黒いヘルメットで隠し黒いアーミージャケットの上に黒い防弾チョッキを重ね、黒いカーゴパンツにこれまた黒いコンバットブーツを身に着けている。やはり黒い色のグローブをはめた腕には毎分八〇〇発の弾丸を吐き出すMP5を持ち、身をかがめるようにしてまっすぐ前を向いていた。思い切り不審者の装いであるうえ、目にとまった人間全員を撃ち殺すといわれても納得しそうなものものしい雰囲気であったが、自分も同じ服を着ているのだと思い至ってヒースリアは重いため息をつく。
 彼らの用意する服装はまったくもって奇抜だが、その中でも機能のみを重視したこの服装は、群を抜いて奇抜である。アレックスにそう言ったところ、『機能美、実に結構じゃないか! 実用的なものはこの世でもっとも美しい!』と、聞く人間が聞けば卒倒するようなことを大きな声で宣言されてしまった。

「まったく……なぜ私までこんなことをしないといけないんですか? こういうのは基本的に主の仕事なんです。全員無能揃いだからといって私を当てにしないで欲しいものですね」

「すまないね、あとで埋め合わせはしよう」

「結構です。貴方にそんなものは期待していませんし、第一貴方に施しを受けたら屈辱で夜も眠れそうにありませんから」

「そうか。ヒースリア君は優しいね」

「…………」

 心なしか、アレックスの声はいつもより控えめだ。目線はヒースリアのほうを向かず、まっすぐ前だけを見据えている。直樹が先日、作戦行動中のアルは別人のようだと漏らしていたが、まったくその通りだとヒースリアは思った。
 もっとも、言葉が通じず会話が成立しないのは作戦行動中でもそれ以外でも同じらしかったが。

「こちらA班、B班聞こえるか」

『聞こえるぜ。そっちはどうだ』

 アレックスが口元のマイクに向かって呟くと、イヤホンから少女の声が聞こえてくる。これもアレックスたちが今回の作戦のために持ち込んだものだ。

「こちらは所定の位置についた。これより作戦行動を開始する」

『了解。こっちも準備OKだ。いつでもクソ野郎どものケツに風穴あけてやれるぜ』

「その意気だ、祐未。では三秒後に突入する」

『アイアイ・サー』

 ヒースリアの耳元で、ブツリと音声が途切れた。このイヤホンという代物にはどうしても慣れることができない。不思議な感覚だ。
 彼が耳元にある異物に眉をひそめているあいだに、アレックスは頭上にある排水溝に機関銃の銃床を押し当て突入の準備をしていた。

「いくぞ、ヒースリア君。3、2、1……GO!」

 ガツン、と大きな音がして排水溝のフタが外れる。アレックスはそこに素早く腕をかけて地上へと這いずりでた。ヒースリアもそれに続き、飛ぶようにして生臭い下水道から地上へ出る。撥水性タイルで覆われたシャワー室は従業員用にそなえつけられたもので、泊まり込みの警備員が主に使っているらしい。ただの縫製工場に泊まり込みの従業員など必要ないのは言わずもがなだ。不必要に巨大な設備は裏になにかあると思わせるのに充分な要素を持っている。うす水色のタイルを踏みつけたコンバットブーツがキュッ、と甲高い音を立てた。ヒースリアより一足先に這い出たアレックスが、立ち止まって銃を構えている。

「何者だ。この工場の従業員ではあるまい」

「……そういうあんたも、ここの従業員には見えないな」

 十七歳くらいの、目に眼帯をした少年。ズボンの裾がかすかに濡れている。ヒースリアには見覚えのある顔だった。手には大ぶりのナイフを二丁所持しているから、まず間違いないだろう。ラディカル・ハウゼンだ。いつもなら無視するはずの存在だったが、会話が成立しない相手と二人きりという苦行に晒されていたヒースリアは思わず……自分の驚きを口にしてしまっていた。

「……貴方、なぜここにいるんです? また迷子ですか?」

「あっ! (腹)黒執事! また迷子ってなんだよ! 俺は迷子になったことなんかねぇよ!」

「小声で呟いた余計な一言は聞かなかったことにします。すいません、いつも見る度あまりにも頼りなさそうな童顔なので、貴方が歩いているとどうしても迷子だと思ってしまうようです。母親のところへお戻りになられてはいかがですか?」

「こンの野郎……! 俺は二十五だっていってんだろ! ムカつく執事だなぁっ!」

「おや、私と同い年だね」

 会話に横やりを入れたのは銃口を天井に向け直したアレックスだった。

「知り合いかい? ヒースリア君。敵ではないのか」

「こんな下等な輩と顔見知りだと思われたくはありませんね。下等同士、主のお知り合いなんですよ。少なくとも私たちの敵になるような実力はありません」

「だぁ! いちいちムカツク!」

「そうか、知り合いならばよかった! いきなり銃を向けてすまなかったね。私はアレックス・ラドフォード。アルでいいよ! 君は?」

 短機関銃を左手に持ち直し黒いグローブをはめた手で握手を求めてくるアレックスを見て、ラディカルは二、三度目を瞬かせる。

「……(腹)黒執事、なにこの空気読めない兄さん」

「同意するのは癪ですが、貴方が言うとおり、空気のよめない人間ですよ」

「よく言われるよ!」

「……うん、そうか。だいたいわかった。俺は、ラディカル・ハウゼンだ。よろしく」

「よろしく、ラディカル君! 君はここになにしに来たんだい?」

「そういうお兄さんたちこそなにしにきたの?」

「この施設を破壊しにきたんだ!」

「は……」

 まさかこうもすんなり教えてくれるとは思っていなかったらしく、ラディカルはぽかんと口を開けてマヌケ面を晒した。

「マヌケな顔がよけいマヌケになってますよ。見苦しいのでやめてください」

「……おい黒執事、こいつあっさり仕事内容バラしちゃったけどいいのか」

「私の言葉は無視ですか。下等生物のくせに生意気ですね、といいたいところですが、同意見です。なにを考えてるんですかアレックス・ラドフォード」

「アルでいいよ!」

「なにを考えてこの下等種族に仕事内容をバラしたんですかと聞いているんです」

「だって、敵対するなら敵対するで早くわかったほうがいいし、似たような目的なら協力しあったほうが早いだろう? 相手に信頼されるには、こちらが信頼するのが一番早いのさ」

「……頭がおかしいおかしいとは思ってましたが、ここまでおかしいとは思いませんでしたよ。守秘義務という言葉を知らないんですか?」

 呆れてため息をつくヒースリアをまっすぐ見据えて、アレックスは笑った。

「臨機応変というだろう! ラディカル君に敵意は感じられなかったし、ここの従業員という風でもない。シャワー室を使う風でも使った風でもなく、ズボンの裾だけ濡れているとなれば、私たちと同じ方法で建物内部に侵入したのだろうと考えるのが自然だ。そうなれば目的は金か、我々と同じか。どちらにせよ、協力したほうが効率的だ」

「…………」

「……とにかく、空気読めない兄さんが空気読めないんじゃなくて、あえて空気読んでないってことはよくわかったよ……」

 アレックスは、ある程度事情を知っているヒースリアがなにも言わないにもかかわらずラディカルを少し観察しただけで真実に限りなく近い推論へと行き着いた。軍人と名乗り今回の指揮をとるだけはあるという事だろうが、常日頃言葉に含ませたトゲを華麗に無視されているヒースリアや、先ほどまったく脈絡もなく自己紹介されたラディカルにとっては、その洞察力の鋭さがどうにも納得いかなかった。簡単にいうなら、『空気読むならいつも読めよ』ということである。無論、今ここでそれを言っても受け流されることはわかりきっているから、ヒースリアもラディカルもなにも言わなかったが。
 彼らの複雑な心情などお構いなしに、空気を読まないアレックス・ラドフォードは短機関銃を肩に担いでにこりと笑った。

「ではラディカル君、よければ我々に協力してくれないかい?」

 ヒースリアがアレックスに話し掛けるのを諦めた時、ラディカルは諦めたようにため息をつく。

「――願ってもないお言葉だよ……」

 彼にとってもその提案が好都合であることは、悔しいことに、その場にいる全員が理解していたのである。

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