零の旋律 | ナノ

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 ◇白井直樹は欲望と願望を肯定しそのための犠牲に目をつぶる

「では下水道から建物に侵入できるという事だね。先ほど直樹くんが工場の外観を確認してきたら十中八九地下室があるだろうという話だ」

「あれは確実だね。それにしてもあの工場、ミシンの音がうるさいのなんのって。この国には迷惑防止条例とかないの?」

 直樹のぼやきに、アレックスは苦笑してみせた。

「ここは二手に分かれよう。私とヒースリア君、祐未とアーク君で東と西から入り込もうじゃないか」

 清書した見取り図と従業員の行動パターンをシミュレーションした3Dモデルを巨大スクリーンに映し、指示棒で要点を確認しながらアレックスは言った。アークと一緒にいるのは嫌だし、かといって赤の他人と仕事もしたくないヒースリアは不満顔だったが、そこは中央に立っているのがアレックスなので華麗にスルーされてしまう。ヒースリアも彼に毒を吐くのは諦めたようだ。毒舌に対するアレックスの返答は謎のカウンター効果が付加されており、ヒースリアのほうが疲れてしまうらしい。気持ちはわからなくもないと直樹は思った。

「装備品はこちらで支給するのでそれを使って欲しい。武器はU.S.M9一丁、MP5SD3一丁、コマンドナイフ二丁だ。各自有効に活用してほしい」

 それにしても、作戦行動中のアレックスは相変わらず別人のようである。目の前に黒い防弾チョッキに紺のアーミージャケットとカーゴパンツを置かれたアークは最初こそ服装の奇抜さに驚いたようだったが、抵抗することなく支給された服を身に着けた。

「たしかに建物に入るときはこういうほうが目立たなくていいかもな」

 などと暢気に宣っていたりする。
 ヒースリアも嫌そうな顔をしつつしっかりと支給された装備品を身に着ける。ただ武器だけは自分のものがあると言って、コマンドナイフ以外受け取らなかった。アークがなんの抵抗もなく受け取ったのは言わずもがなだ。彼は武器に独自のこだわりなどない。

「ところでアル、この仕事が終わったら一回やりあわないか?」

「私は守る牙しか持たぬ番犬だよ。戦って面白いことなどなにもないと思うがね」

「じゃあ祐未、仕事終わったら一回戦おう」

「一週間以内に四つ葉のクローバーの雨が降ってきたら考えてやってもいいぜ」

 不機嫌なヒースリアの横で、アークが祐未とアレックスに話し掛けている。さきほどから五回くらい似たような問答が繰り返されていた。
 まったく飽きない人だと、直樹は密かにため息をつく。横ではシェーリオルが苦笑していた。
 ふと、ロビー内にノックの音が響く。

「どうぞー?」

 アークが不用心に返事をした。リアトリスかカトレアか、はたまたホクートからついてきたシャーロアか、それとも三人一緒か、そう判断したのだろう。けれどゆっくり開いた扉から顔を出したのは意外な人物だった。
 シェーリオルが驚いたような声をあげる。

「エレ! お前、なんでここにいるんだ」

 リヴェリア国第三王位継承者エレテリカ・イルト・デルフェニがそこに立っていた。駆け寄ってくる兄に対して複雑な笑みを浮かべると、部屋を見回しながら質問に答える。

「カサネとリーシェ兄さんが同時期に、こんなに王宮を離れるのは珍しいからどうしたのかと思って」

 どうやら策士のカサネ・アザレアを気遣ってのことらしかった。先ほどまで椅子に座ってテオとヒースリアとにらみ合っていた――懲りない三人組だと直樹はつくづく思う。実はあの三人はこの中で一番暇人なのではないだろうか――カサネが慌てて椅子から立ち上がり、満面の笑みで王子に駆け寄っていった。

「なんですかあの笑顔。気色悪いですね、吐き気がしますよ」

「あれだけご大層で巨大な猫を被っていると動くのも一苦労だろうよ」

 ヒースリアとテオが毒づく。あやうく同意したくなった直樹は、のどまででかかった言葉をなんとか飲み込んだ。

「なにをしてるんだ?」

「大丈夫、王子が気にするようなことではありませんよ」

「こんなに王宮を不在にしてか」

「それに関しては不注意でした。申し訳ありません、王子……」

「……いや、そうじゃない。ただ、なにかあったのかと……」

「大丈夫、万事順調に運んでいます」

「…………」

 カサネとエレテリカの会話はどこか噛み合っていない。というか、カサネがわざとエレテリカの質問にとぼけて見せているようだった。彼は本気でエレテリカは知らなくていいと思っているのだろう。なんとなくカサネの思考回路が解ってしまって、そして似たような思考回路を持つ人間に心当たりがあって、直樹は眉をしかめる。気づいたら口が動いていた。

「魔族をイ・ラルト帝国に密輸している組織が国内にあるんです。その組織を壊滅させるために、今こうして動いています」

 カサネが咎めるように直樹を見る。直樹はあえて気づかないフリをした。知らないことがどれほど苦しいのかこの男は知らない。守られているものが時に窮屈な思いをする事実をこの男は理解していない。

「そうだったのか……ありがとう、教えてくれて。直樹君だったかな」

「ええ。礼には及びませんよ」

 よければ詳しい事をお話しますが、と直樹が言うと、カサネの視線はますます険しくなった。エレテリカは少し考えたあと、

「じゃあ隣の部屋で少し話を聞かせてもらえるかな」

 と言う。直樹がパソコンを持って立ち上がると、カサネが抗議した。

「王子、その必要はありません」

「カサネ、俺は人形じゃない」

「解っています! けれど、これは貴方が知る必要のないことだ!」

「カサネ……」

 ヒースリアとテオがカサネの様子を冷めた目で見ている――本当に彼らは暇人だ――エレテリカはカサネの黒い瞳をしばらく見つめたあと、小さく名前を呼び、呟く。

「頼む」

 シェーリオルが後ろからカサネの肩を軽く叩き、肩を竦める。諦めろ、というジェスチャーだろう。カサネは一瞬不満げな顔を見せたあと、エレテリカに向かって恭しく頭を垂れた。

「お望みのままに、王子」

 直樹とエレテリカが連れだって隣の部屋へ向かう。テオとヒースリアの声が直樹の耳に届いた。

「過保護、盲目……その上自己中心的だ」

「ひな鳥が巣立った時が見物ですね」

「小者が大口をたたくな」

「それはお前だろうが」

 ヒースリアの口調が素に戻っている。

「ご執心の王子に噛みつかれて情緒不安定なんじゃないのか?」

 テオが情緒不安定という言葉を使うとどうにも笑えてくるのは直樹だけだろうか。

「女がいないとなにもできない輩がなにをほざく」

 彼らは本当に暇人らしい。ため息を飲み込んで、直樹はロビーの扉を閉めた。
 
「カサネは……また人を殺そうとしているのか」

 扉を閉めた途端、小さい声でエレテリカが言う。
 直樹は扉が完全に閉まっている事を確認して

「貴方のためなんだから、仕方ないじゃない」

 と言った。聞きようによっては皮肉に聞こえるかもしれないと、あとになって気づく。案の定エレテリカはその言葉に思うところがあるらしく、重々しいため息をついた。

「俺には……あいつを止められないからな……」

「止める必要がどこにあるの?」

 直樹が尋ねると、エレテリカは驚いた様に彼を見た。

「僕は姉さんが、僕のために人を殺したり、ものみたいに扱われて大変な目にあったのを知ってるけど――理由とか詳しい事は、話せば長くなるんだけどね。それで僕と姉さんが一緒にいられるなら、僕は姉さんのやっていることを止めないよ。貴方も止められないとわかっていてカサネさんと一緒にいることを選んだんなら、悩む必要はないじゃない。どうせできないことをあれこれ悩んだって時間の無駄だし……どうしても一緒にいたい人がいるなら、ほかの事は目をつぶったって一緒にいなきゃ」

「……それが、間違ったことだとしても?」

「正しいか正しくないかなんて、些末事でしょう」

 断言したら、エレテリカは目を見開いて直樹を見つめたあと、しばらくしてふっと笑った。

「君は……俺より若いのに、随分と思い切りがいいんだな」

「若いからじゃない?」

 直樹が答えると、二人同時に、弾かれたように笑い始めた。

「俺は、誰かにそう言って貰いたかったのかもしれないな」

「自分でこの道は間違ってるって自覚してても、誰かに後押ししてもらえれば進む勇気が出るよ。どうせまわりに反対されたって進む道でしょう?」

「まったく、その通りだ」

 そういって、二人はしばらく笑い続けていた。

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