X 「全く、千朱ちゃん……いきなり何、痛いじゃない」 身体に擦り傷とつくりながら水渚は立ち上がる。腹部が痛むのだろう、右手で押さえている。水渚はふと右側に視線を動かす。後数歩右にずれれば崖に転落するだろう位置。 「僕は――千朱ちゃんの事」 「水渚」 水渚の言葉を遮る声。何処から――水渚の後ろから。聞きなれた声。優しい声。 「水渚。君のその思いは同じだよ」 何をとは告げない。優しい声。常に自分たちを気にかけてくれ、自分が怪我をするのも構わずに支えてくれた友達。 「栞、ちゃん」 榴華と戦っていたはずではないか――そんな疑問は浮かばない。最初から栞が榴華と戦っていた事を知らないからだ。千朱と水渚は其々自分たちが戦う事にしか視界に入っていなかった。 「俺は、水渚に喜んでもらいたい、悲しんで貰いたくないんだよ。あんな思いは――千朱ちゃんが目覚めなくなったあの時でもう充分なんだ、充分すぎる。大嫌いだからって殺し合う必要はないでしょ、殺し合わなくていいんだよ」 本当は誰かにその言葉を言ってほしかったのかもしれなかった。 「だからね、さようなら水渚」 栞が軽く水渚の肩を押す。 「え?」 突然の出来事に、水渚は流れに逆らえずバランスを崩し――崖に落下する。 「水渚!!」 千朱は栞の元まで駆け躊躇せず飛び降りる。 「栞、有難う」 「どう致しまして」 「水渚からも有難うだ」 「勝手に水渚の分まで」 口元に手を当てて微笑する。本当に不思議な二人だ、と。素直じゃないと。 千朱と水渚の実力なら崖から落ちても死ぬことはないと核心していた。だからこそ、この場を離脱させるために手っ取り早く崖に突き落とした。 「さようなら千朱ちゃん」 ――例えもう二度と会う事が叶わなくとも、一緒に過ごした時間は忘れないから。 水渚は落下する中、千朱が水渚を抱きしめる。 「ちょ! 千朱ちゃん! 君も落下してくることないでしょ」 僅かな短い時間、しかしそれが永遠にも思える。 「はっ、怪我しているお前が死んだら俺が殺したみたいで後味悪いだろう」 「そう、じゃあ千朱ちゃんにも怪我をして貰って御相子にしないとね」 「あぁ」 「千朱ちゃん――大嫌いだけど、大好きだよ」 千朱は目を見開く。微笑む。心の底から。 地面の衝撃は水渚の沫が緩和したお蔭で、かすり傷程度ですんだ。 もう上に戻る事はしない。このまま姿を眩ますだけ。 朔夜のことは気にかかったが、栞がいる以上朔夜は大丈夫だろうと判断する。自分たちの事を何より気にかけ、朔夜の事を誰より大切に思っている栞であれば。 栞がくれたチャンスを、素直になれるチャンスをふいにすればそれこそ栞が怒るだろう。どれ程素直じゃないの、と。 銀髪を裏切ってしまった、水渚は一瞬罪悪感が生まれるが、目を瞑り振り払う。違うと、自分の思いに気がつかないままにいることこそ、銀髪――虚偽に対する裏切りである。ならば、想いに素直でいよう。 「千朱ちゃん、行こうか」 差し伸ばす手に千朱は躊躇なく捕まる。 「全く千朱ちゃんが死んだら誰が僕の喧嘩相手になってくれるっていうのさ」 「その台詞そっくりそのまま返してやるよ」 「だよねー」 笑う姿は何時も通り、大嫌いと言いあっていたあの時と変らない。ただ、少しだけ素直になっただけ。 「そうだ、千朱ちゃん」 手を握り締めたまま水渚は一歩前に出て千朱と向き合う。 「罪人の牢獄支配者が世界を滅ぼすその時は」 息を吸う。たっぷりと息をためて―― 「その時は、千朱ちゃんが僕を殺してね」 千朱の手を引っ張り、心臓の前に当てる。 「僕は千朱ちゃんを殺すから」 「あぁ、お互い一人にはさせないさ」 「うん」 殺し合う関係だったのなら終わりもまた殺し合う関係のままで。 大切な人の、大嫌いな人の命を止めるのは、他者の手ではなく自分たちの手で。 他の誰にも渡さない。 [*前] | [次#] TOP |