第三話:名前 +++ 茜色の空は美しかった。幻想的な色に彩られた世界。カイヤの魔術の影響であるが、彼女にとってそんなことはどうでもよかった。それが血の色で綺麗、だから美しくて彼女は満たされていた。 「きれいねぇ」 彼女は時計台の屋根から、世界を眺める。彼女が見下ろす世界は、今や最期の楽園によって大半が浄化されている。その景色を恍惚と眺める。此処ももうすぐ浄化されて無に還るだろう。 世界を、埋め尽くしている色は白と緋色だ。 数多の血を吸ったナイフを投げてみれば、暫くしてカランと音を立てる。それが凄く心地よかった。静かな空間だ。ナイフはやがて浄化され緋と白に分離し空を舞い――そして緋は消滅する。 彼女とって凄惨で幻想的なこの景色の前はただただ美しかった。 美しき余韻に浸っていると、カツン、カツンと時計台内部の階段を上ってくる足音が聞こえた。そして音は彼女の前に到着すると止める。音の代わりに寒冷な刃が彼女の首元へ当てられる。 「梓」 彼女の名前を呼ぶ声はやけに寂しげだった。そんな彼に向って彼女は振り返りもせず、世界を眺める。 「梓、君は何故僕に最期までついてきたんだ?」 「きゃはは、下らない質問ねぇ。私は私のやりたいようにやるだけよぉ」 それが彼女の返答だった。やりたいようにやっただけ。それが全てだ。 「そっか。けど君は死んでも構わないのかい?」 彼女は血を愛する。殺戮を好む。だが、彼が世界を滅ぼせばそれは叶わない夢となる。 「あはっ。私は、私の思ったままに行動するだけよぉ。そんな細かいことはどうでもいいものぉ。それにぃ、こんな素敵な緋を見られる機会なんて一生に一度もないわぁ、本当に美しいわねぇ」 世界を滅ぶ風景はこんなにも美しいと、彼女は恋する乙女のように頬を染める。 「梓……」 銀髪が僅かでもレイピアを動かせば、梓を殺してしまうのに、梓は最初からそんなこと気にも止めていなかった。否、そこに刃があることすら忘れているのかもしれない。 「……私は満足よぉ。虚偽」 そういって彼女は振り向いた。血に染まりし彼女の見せる笑顔は狂気に満ちていた。 それが何処までも梓でしかなくて銀髪は思わず涙を零しそうになる。 “虚偽”それは彼女は最初で最後に呼んでくれた名前。 別れが切なくとも、是が、彼女との別れ。大切な人たちも殺すことを決めたうえで、自分たちは世界を滅ぼす道を選んだ。 「名前、覚えていたんだ」 「今まで忘れていたわよぉ。でも、偶々思い出したから呼んであげただけぇ」 「有難う」 これ以上の会話は迷いを生む、一閃を振う。 赤く零れる血を前にして、彼女は血を掬って笑った。 銀髪が背後から抱きしめるのも構わず彼女は血を眺め続けた――。 [*前] | [次#] TOP |