零の旋律 | ナノ

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「……逃げるよ!」

 金縛りにあった身体を動かす言霊を水波は叫ぶ。それは固まっている彼らと、自分に対して叱咤するために。

「こんな広いけど狭い場所でその存在に対処する方法はない!」

 だが、逃走するよりも早く、変色は迫っている。時間が圧倒的に足りなかった。唇を噛みしめた刹那、水波の近くを一本の矢が風を切って通り過ぎた。変色と砂の中間を狙った位置に寸分違うことなく突き刺さる。薄水色の光を纏った矢は突き刺さるのと同時に細い紐が無数に飛び出し、それらが無数の網を作り出す。水色に輝くそれは結界と似て非なる存在。砂が変色する速度が一気に遅くなった。

「早くお逃げなさい!」

 螺旋階段の上から澄んだ声が響く。水色髪に澄んだ蒼き瞳。白き衣に身を包んだ朗らかな女性とも男性ともとれる容姿をした翆鳳院海璃が弓を構えてそこにいた。隣には白髪の少年繚が騎士のように付き添う。

「翆! 何をした」

 律の叫びに、だがしかし海璃は答えない。

「逃げることが先決です。この場では逃げ道なんてないでしょう」

 海璃の言葉はもっともだ、律は走るのに邪魔な大鎌をしまう。

「カイヤの所へ集まれ! 仕方ないから水波勢も来い」

 此処で争うことは無意味だと判断した律は走りながら指示を出す。誰も異論はなかった。
 横一列で上ることが出来ない螺旋階段では全員が逃げ切ることは恐らく出来ない。ならば――螺旋階段を使わなければいいだけだ。この場には、雅契の魔術師がいる。

「仕方ないからってなんだよ」

 朔夜はぶつくさ文句を言いながらもカイヤの元へ走る。その隣で篝火は、お前は貴族勢にいたんだから水波勢には含まれていないと思うぞと内心呟く。
 朔夜が一瞬だけ栞の方を振り返る。栞には移動手段があるから心配は不要だし、第一銀髪と行動を共にしている以上、何かしらの作戦はあるのだろうけれど、それでも――心配だった。目と目があった瞬間、栞は微笑んだ――何時も自分を見てくれる時と同じ優しい微笑み。それだけで安心感が漂う心地よさ。

「気になるなら声をかければいいのに」
「いや、いいんだ。これで」
「なら、いいけど。後悔は?」
「後悔はある。けど、どんな道を選んだって俺は後悔するんだ。結局変わらない。虚偽の――銀髪にもっと生きていて欲しいと思えるだけの何かを俺は何もできなかったのかって、そんな後悔、過去にでも戻れない限りどうしようもないだろう」
「だな」

 今からでも遅すぎることはない――そんなことは言えなかった。もう銀髪は行動に移してしまっている。例え何年も前から準備をしていたところで、準備をしているだけなら止められる余地は僅かにでも残されていた。だが、状況はもう動いてしまった。破滅へ向けて進んでいる。銀髪と虚の願いを叶えるために万全を期している――かは別として、それでも世界を滅ぼそうと道は進んでしまった。
 戻ることは叶わないし、巻き戻すこともできない。


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