T 「あはははははは、ねぇ雛罌粟、私たち利用されたんだよね……」 杏珠も理解している。自分の恋が利用されたのだと。内側で完結していた世界の時を進め、そして滅ぼした。たった一度、生涯で唯一の恋だった。愛しかった、大好きだった。 「……恐らくはの」 「なんで、なんでなんでなんでなんで、なんで彼がこんな目に会わなきゃいけないの!!」 杏珠は叫ぶ。彼を強く抱きしめる、まだ温かい、吐息が聞こえる。まだ生きている――なのに助からない、どうして。 「ああああああああああああああ」 杏珠は叫ぶ。どうして、理解出来ない、わからない、泣きだす、泣き叫ぶ。心が音を立てて壊れていく。 杏珠の姿に、庭師の青年の姿に、雛罌粟は心を痛めて、そして油断していた、雛罌粟の右腕に鋭い痛みが走る。 「ぐっ」 痛みで肩膝をつく。右腕に視線をずらすと、矢がふかぶかと刺さっていた。後方を慌てて振り返ると、外の住民が弓を構えていた。 ――油断したっ。 矢を受けた衝撃でてから離れた扇子を拾おうとするが、痺れ薬でも塗られているのか、思うように動かない。無事な左手で伸ばそうとする前に、無情にも二撃目が放たれる。 雛罌粟を貫くと思われた弓は、途中鈍い音を立てて弾かれた。銀色の粉が、赤の中で煌めく。 氷の花が咲いたように。幻想的で、神秘的な色合い。銀色の粉だけが、赤の世界で唯一の希望のように輝く。 「お主……」 雛罌粟を庇ったのは、サーベルを構えた銀色の髪を持つ青年。青年はサーベルを投擲して、外の住民の心臓を貫く。 「雛罌粟、大丈夫か?」 「お主は何故っ!」 「赤に、染まっていたから何事かと思って」 銀髪は、密かに景色を眺めに通っていた。雛罌粟と出会いたくて、雛罌粟と出会いたくなくて。 心が休まった空間に少しでも、ほんの僅かでも恩恵を得たくてやって来ていた。けれど、今日は何もかもが違った。僅かな安らぎさえもなくなる。全てが脆く崩れていく。 「雛罌粟、此処は――もう滅びるよ。早く逃げな」 「……」 「雛罌粟……?」 逃げる、今まで思ったこともない言葉に、咄嗟の言葉が出てこなかった。 「我は」 「まさか、雛罌粟も内側の住民だからって此処で終わるつもりじゃない……よな?」 銀髪の語尾は僅かに震えていた。 「……そうじゃな、内側とともに消えるつもりはない」 逃げる、その言葉を銀髪から聞かなければ、雛罌粟は内側の世界とともに終わっていた。 炎から逃げようとしても――内側の住民は外の境界線を越えようとは誰一人していなかった。 彼らにとっての世界は内側の、閉ざされた空間でしかない。外へ踏み出す勇気は持ち合わせていなかったし、外へ逃げようという選択肢が最初からなかった。それほどまでに此処は内側で完結してしまっていた。 [*前] | [次#] TOP |