零の旋律 | ナノ

魔導師が見たもの


 時は少し遡る。シェーリオルは手紙を握りしめながら短距離間の移動魔導を駆使してカサネの姿を一心不乱で探していた。血眼になって、周囲を眺める。

「あの馬鹿は何処にいる!」
『シオルへ。異世界エリティスとの争いにおける、私のたった一つの誤算を聞いてくれますか? アネモネに一杯喰わされたんです。ノハ・ティクス。嘗て『カナリーグラス』と呼ばれた暗殺組織実行部隊のgTにいた男です。具体的に彼の素性を説明するなら、リアトリスの元上司。それだけで彼の強さが実感出来ますね? その彼は――死んだはずだったのです。アークとリアトリスが手を組んだことによって。けれど、彼は生きていた。生きて、アネモネの手駒として動いていたんです。まさか私も死んでいると思っていた人族が生きていたとは思わなかった。存在を知らなければ、組み込めない。いえ、異世界エリティスという未知の存在があった以上、不確定要素は彼に限ったことではないのですが……それでも、彼によって誤算が生み出された』

 めまぐるしく背景が移り変わる。

『私がノハ・ティクスの存在を認識したのは、アネモネを殺害したあとです。そして、彼がアネモネを殺害した相手を殺そうとしていると知ったのはつい先日です。だから――私は彼に殺されます』

 街中で笑いあい人の姿が腹立たしく視界に映る。

『あぁ。誤解しないで下さいよ。私はただで殺されてやるつもりはありません。やるべきことは全てやるつもりです。レインドフ辺りに依頼をしようと最初は思ったんですが、生憎旅行中でしてね。本当に狙い澄ましたかのように間が悪い――いや、ノハ・ティクスもそれを狙ってのことでしょう。彼には彼なりの情報網があるでしょうからね。彼らでは間に合わない。他の人たちを動かすことも考えましたけれど、状況的に厳しかった。有象無象ではいくら用意しても、意味がありませんからね。怪我を負い最盛期程の実力が出せないとしても、強者であることは代わりありませんから』

 カサネの手紙がシェーリオルは理解出来なかった。

「馬鹿が」

 そんなものは言い訳だ。

『ですので、私はエレテリカを守ることだけに集中します。エレテリカが生きて幸せで有り続けることだけが、私の願い。……止めを刺したのは私ですが、エレテリカも一緒であったことを知れば、ノハはエレテリカも殺害するでしょう。それだけは何としても止めなければなりません。だから、私は彼に殺される道を選ぶのです。報復を成し遂げれば、エレテリカが狙われる心配はありませんからね。シオル――私が殺された後は、私はエレテリカの前から姿を消したと言うことにしてください。死を隠して下さい。それが私のお願いです』

 ――使えよ。駒なら他にもいるだろう。
 ――俺を使えよ。エリー兄さんを使えよ。レインドフが駄目なら他に仕える奴ら全員使えよ。
 ――なんで、俺を巻き込まなかった。俺は……いくらでも巻き込まれてやるのに。

 移動魔導を繰り返し、カサネの姿を発見した時には既に手遅れだった。
 凶弾にカサネが倒れる。シェーリオルは咄嗟に移動魔導でカサネの背後に回り込み、倒れゆく身体を支える。急所を貫いた攻撃に、カサネは即死だった。

「カサネ!」

 ノハはその様子を淡々とした表情で眺める。目的は達成した以上、シェーリオルは別に敵ではない。ただ向かってくるならば殺すだけ。
 しかし、シェーリオルは震える拳を強く握り締めるだけで、ノハのことは視界にすら入れなかった。
 襲ってはこないと判断したノハはその場から姿を眩ませた。

「くそっ! 俺はあいつを……」

 シェーリオルは地面に座り込み、拳を叩きつける。何度も何度も。片腕にはまだ温かいカサネの温もりが伝わってくる。
 ノハを殺したかった。けれど、シェーリオルはそれが出来なかった。

『追伸。シオル。お前は死なないでくれ』

 そう書かれれば、シェーリオルはノハと刃を交えるわけにはいかなかった。

『生きてくれよ。シオル』

 シェーリオルは唇を噛みしめる。口内に鉄の味がした。
 カサネは知っていた。シェーリオルであれば、力になってくれると。
 けれど、だからこそシェーリオルに協力を要請するわけにはいかなかったのだ。
 シェーリオルはカサネを抱きしめる。
 何も出来なかった。無力感だけが漂う。
 カサネの体温が冷たくなっても、その場にシェーリオルは呆然とい続けた。
 空が夕暮れを、空が夜空に変わってもまだ動かなかった。

 ――ノハ・ティクス。
 ――カサネを殺して置いて生き続けられると思うな。

 沸々と煮えたぎり続ける殺意
 けれどカサネが願ったことを裏切りたくないと相反する思いに胸が引き裂かれそうになる。
 そしてシェーリオルは折り合いをつける道を選んだ。

「決して、俺はお前を許さないからな」

 瞳が憎悪に染まる。



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