零の旋律 | ナノ

常盤衆


 愉悦が一変悪夢に切り替わる。

「ネメシア!?」

 ネメシアが――スイレンにとって最愛の人が凶弾に倒れる姿がスローモーションで再生される信じられない光景に、愕然とする。

「ネメシア!? どうしたの!」

 スイレンの悲痛な声に、ブローディアも振り返り、悪夢を見る。
 趣向は違えど、スイレンもブローディアもネメシアを愛していたのは事実だ。恋ではなく愛していた。その最愛の人が殺された。
 傷一つつかない鳥籠の中の鳥でいて欲しかったブローディア。
 甚振られ傷つき血を吐く思いをしても諦めない姿が至福だったスイレン。
 二人にとっての前提条件は生きていることが必須であり、死んでほしいとは微塵も思っていない。生きているからこその美しさ、儚さだったのだ。
 ブローディアの手から武器が落下する。呆然としたブローディアの視界には最早ネメシアの泣き姿しか映っていなかった。

「嘘だ……嘘だ……」

 現実を逃避したいと心は願うのに視界はネメシアしか写さない。

「嘘……ですよね」

 スイレンは吐き出したい言葉が出てこない。視界が真っ暗になる。
 散ってしまえば同じ花が花を咲かすことは二度とない。踏まれても散りさえしなければ花は花として生きているが、散れば咲かない。花を尊ぶことさえ出来ない。
 真っ暗から一変赤く――沸々とわき上がる純粋たる怒りに変化する。視界が鮮明になった時、真っ先に移ったのはネメシア――ではなく、銀髪の女性だ。

「ネメシアを! よくも殺したな!!」

 スイレンは我を忘れて、殺気を露わにする。距離を瞬く間に詰めて銀髪の女性――ジギタリスまで躍り出る。手にした番傘を突きだす。咄嗟のことでジギタリスは反応がやや遅れるが、マスケット形状の銃で受け止める。突き出された番傘の威力に身体が後方へ下がる。土が抉り、盛り上がる。
 殺意の瞳は激怒以外の感情を失わせたように冷酷な怒りに満ちている。
 番傘が一閃する。真っ赤な線を描き襲いかかってくる。ジギタリスの右肩を切り裂く。肉を抉ったそれのせいで白い服が途端赤く染まる。

「ちっ――」

 ジギタリスは痛みを無視して銃を発砲するが、スイレンが番傘を開くと銃弾を弾いた。

「……(やはり、見間違えではなかったか)」

 白さが残る服の部分も血の流れで徐々に赤く染まっていく。

「スイレン!?」

 突然の出来ごとに、ネメシアしか視界に映らなかったブローディアの瞳に動きが生まれた。
 スイレンは常盤の民出身で、街の中では異質な服を着た浮いた存在だ。常盤の民は戦うことを禁じられた民。武器を所有することを許されない民だ。街の外を放浪する、街の意志に従わない異端者であるが故に街に加わった後も離反や反対勢力にならないよう徹底して戦闘行為を禁じられていた。
 だが、スイレンの動作はその戦闘を禁じられた常盤の民として逸脱している。否、それは常盤の民ではない、常盤の民を守るための戦闘集団常盤衆――そのものだ。

「……スイレンは、常盤衆?」

 ブローディアの呟きは戦闘音にかき消される。常盤衆は、常盤の民を街に加えるために騎士団によって滅ぼされた存在。
 故に、常盤の民で戦えるなおかつ常盤衆であることが露呈すれば無事では済まない。
 けれども、激昂したスイレンには未来のことなどどうでもよかった。
 ネメシアがいないこの世界に最早彼が偽って日々を生きる価値など存在しないから。偽る意義が胡散した彼には常盤衆としての本来の実力を余すところなく発揮する。

「ネメシアをよくも!」

 スイレンの連撃に片目を負傷したジギタリスでは交わし続けることが出来なかった。ましてや右肩を怪我しているのだからなおのこと。
 辛うじて致命傷は避けているものの怪我は増える一方。防戦一方だった。
 スイレンの一撃がジギタリスを貫こうとした時、殺気を感じ取ったスイレンは後退する。
 ジギタリスを庇うように現れたのは戦闘狂にして始末屋のアーク・レインドフだった。

「……始末屋に庇われるとは一生の不覚だな」
「勝手にジギタリスを殺そうとしないでくれよ。俺はジギタリスとも戦いたいんだ。戦う前に死なれるのは困る。何より、不意打ちに近くてもジギタリスに攻撃を加えられる相手と戦ってみたいだろ」

 前半はスイレンに向けて、後半はジギタリスへ向けた言葉だった。


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