]T アゼリカの心は疲れ切っていた。アークの瞳に捕らわれてから自分が殺されるビジョンが常に脳内にこびりついて離れなかった。ビジョンを消したかった、葬り去りたかった。 アークは医者を呼びにその場を離れる。ハイリは必死に傷口を抑えようと小さい掌で押さえる。何をどうすればいいのかわからない。どうすれば母親が助かるのかわからない。どうすれば――血は収まるのだろうか、わからない。 「母さん、母さん……」 泣き叫ぶ息子に対してアゼリカは口を開こうとするが、言葉を発する力もない。 ――あぁ、ごめんねハイリ。私は貴方をただの復讐をするための道具として扱ってしまった。 万全を期すためにレインドフ家を調べられる範囲で調べることにしたアゼリカは、その過程で、レインドフ家にはハイリと同い年の息子がいることを知った。それならば――とより一層怪しまれないための策としてアゼリカはアークとハイリを出会わせてしまった。その負い目を、復讐を果たした今実感してしまった。復讐に燃えていた時は、そんなこと考えたこともなかった。思いつきもしなかった。 ――母親すら失格ね。私は復讐しか考えていなかった。それなのに復讐を果たしたら復讐される恐怖におびえて自ら命を絶つなんてね、ほんと、馬鹿だわ。 言葉を発せられないのならば、せめて最後くらいは心からの笑顔を息子に見せたかった。 血濡れた笑みは、それでも笑いたくて笑おうとして――笑った笑み。 「母さん! 母さんっ……! なんでだ、なんでだ! なんで……」 ハイリが叫んだのとほぼ時を同じくしてアゼリカは力尽きる。僅差で全力疾走してレインドフ家に仕えている医者とアークがやってきた。 けれど時は遅かった。間に合わなかった。医者は死者を蘇らせることは出来ない。 数日後、全ての真相をアークから聞いた後、二人はレインドフの庭にいた。 「アーク、お前は俺を恨まないのか?」 ハイリの問い。何も知らなかった昔には戻れない、その覚悟が含まれていた。 「いいや、なんで恨む必要がある?」 理解出来ないと、アークは答える。その答えにハイリは自然と笑いが漏れてきた。 恨むのならば恨んでくれても構わない、そう思っていたハイリにとって、そのことは予想外であり――予想ないでもあったのだ。 ――そうだ、こいつはこういう奴だ。今知ったんじゃない。昔から知っていたじゃないか アークの異常さなど、今さら始まったことじゃない。異常さを知った上で、ずっと一緒にいたのだ。 だから恨まれようとも恨まれなかろうとも、どちらでも構わなかった。 「お前こそ、俺を恨まないのか?」 アークの問いかけ、恨み、憎しみ、復讐心。ハイリは首を横に振る。 「さぁな。俺はお前とは違うから、そんなふうに返答は出来ねぇよ」 アークへ向ける感情は正直言えばわからなかった。この感情は恨みなのか、それとも全く別のものか区別がつかない。だからこそ、アークのような返答は出来ない。またする必要もない。 「リィハらしいな」 「そういうことだ。けどさ、そんな連鎖はもういらねぇよ。ただ、俺は後悔していることがある」 「なんだ?」 「あの時、まだ生きていた母さんを救えなかったことだ。だから、俺は治癒術師を目指す」 治癒術師だろうが、死者を生き返らせることは不可能だ。けれども生きている人を治癒することは出来る。血を流しても、血を止めることが出来る。 「いいんじゃねぇの、リィハはどーせ運動音痴だし」 「だから、俺は運動音痴じゃない!」 「なら、治癒術師になった暁には雇ってやるよ」 アークの返答にハイリは帽子を深く被って、首を横に振る。 「冗談。雇われないで、お前から依頼させてやるよ。だから、暫くは治癒術師として勉強するつもりさ」 「じゃーな」 「ああ」 ハイリはアークに背を向けて、馬車へ乗りこむ。ユート家はレインドフの敷地としてそのままレインドフ家が譲り受けた。それをハイリが望んだからだ。何時か戻ってくる時のための場所として。 三年後、アークがレインドフ家当主として就任してから、治癒術師ハイリと再会をする。 どちらも過去のことがなかったかのように、そして過去があったからこその再会を果たしたのだ。 [*前] | [次#] TOP |