零の旋律 | ナノ

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「俺が四、五歳くらいだったころ、近くに引っ越してきた人がいた。それがリィハの母親アゼリカ・ユートと、リィハだった」

 レインドフ家の敷地が今ほど広くないころ――それでも貴族として充分過ぎるほどの敷地面積を保有していたころ、近所に人が引っ越してきた。

「初めまして、アゼリカ・ユートと申します。此方は息子のハイリ、宜しくお願いします」

 近所挨拶だなんて物珍しい、このレインドフ家を知らないのだろうか、幼いながらにアークが思ったのだから当然、両親の思っていたことだろう。しかし、レインドフを知らないのならば何れ知る時まで知る必要はないと、両親は告げなかった。
アゼリアと名乗った女性はお淑やかで礼儀正しく、隣人が始末屋稼業を営んでいるとは夢にも思っていない雰囲気を醸し出していた。アゼリカの隣にはアークと同年代であろう母親譲りの白髪を持つ少年がいた。少年――ハイリの年齢をアークの両親が問うと、アークと同い年だった。それを丁度いいと両親は思ったのだろう――当時から始末屋に興味を抱いていたアークがそれ以外の興味を示すかもしれないと――レインドフ家とユート家の交流が此処から始まった。

 お淑やかでありながら、活発で人の話をしっかりと聞くアゼリカと馬があったのかアークの母親はアゼリカとすぐに打ち解けてよくティータイムをやっていた。最も母親は一切仕事に関しては口にしなかった。今の関係が壊れるのが怖かったのではない、アゼリカは知らなくていい――社会の裏側を知らなくていいと判断したからだ。父親もアゼリカを温かく迎え入れていた。
 同様に、同い年の少年が近くにいなかった――誰もレインドフ家とはかかわりになりたくないからだ――アークとハイリも仲良くなって、遊んだと呼べる内容だったのかはともかく、よく遊んだ。

「おい、こらまて!」
「相変わらずリィハは運動音痴だなぁ」

 レインドフの庭にあり、子供が木登りを出来る太い木の枝にアークは座りながら、木の下で息を切らしているハイリをアークは林檎を食べながら笑う。

「俺は普通だ! お前が運動神経良すぎるだけだろうが」

 実際、ハイリは平均的な運動神経は持っていた。
 それを遥かに上回るアークがおかしいのだとハイリは抗議をする。最もその抗議が聞き入れられたことは一度たりともないが。アークは苦笑しながら、林檎を下にいるハイリに向かって投げる。ハイリはややふてくされながら林檎を口にした。水水しい林檎は喉の渇きを癒してくれる。

 そうして数年の時が流れた。
 出会った時よりもさらに、アークとハイリアゼリカとアークの両親は友好的な関係を築いていた。少なくともその日まではそう思っていた――アゼリカを除いて。

「あっあ……」

 桜模様のカップが地面に落下して割れる。想い出が偽りだと示すように粉々に砕けた。
 ややおくれて喉を押さえて男女が椅子から倒れる。
 ティーカップを震える手で握り締めながら愉悦と狂気に染まった瞳が、既に動かなくなった男女を見つめる。

「あはははははは、ついにやった! ついに!」

 彼女は高笑いする。苦痛から解放され、復讐を果たした。目的を達成した。

「あははは、あはっ、あははははは!」

 彼女は笑う、涙を流しながら。彼女は叫ぶ、歓喜に身を包み――そして恐怖に彩られて。
 彼女の目の前には一人の少年がいた。動かなくなった女性と同じ髪色をし、男性と同じ瞳をした少年。
 怒りも悲しみも嘆きも叫びもない、ただ冷淡な瞳が彼女を、そして両親に向ける。彼女は少年を認識してしまった、目と目が合ってしまった。
 少年――アークは、両親を殺した彼女――アゼリカに対して何も言わなかった。死を認識していないようなその眼に、彼女は全身を悪寒に包まれた。恐怖に足元をすくわれそうになる。
 殺される、アゼリカは咄嗟にそう思ってしまった。アークの両親を殺した自分は今アークに復讐されると。
 復讐を果たしたら復讐をされる、それが自然の流れだとアゼリカは思ってしまった。

「ああああああああああああああ」

 彼女の叫びは、悲しみか狂いか恐怖か歓喜か、狂乱か。今となっては区別もつかないし、当初から判断できるものではなく、彼女も恐らくは知らない深層心理の領域。
彼女はその場から駆けだした。その場にはいたくなかった、そこにはアーク・レインドフがいる。何を思うわけでもなく淡々とした少年の傍には一瞬たりともいたくなかった。


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