第壱話:溢れる黒の悲しみ 脳裏に焼きつくのは、郁の笑顔 脳裏に再生されるのは、郁と過ごした日々 確かに、そこにあったのに 今は声をかけても返事は戻ってこない。 「……泉、郁を安全な場所に」 篝火はようやっと言葉を口にする。喉元まで来ては奥に引っ込んだ言葉。言葉にするまで長い時間が必要だと思えるほど、時間がかかった。実際にはそれほど長い時間ではない。けれども一秒一秒が残酷な程長く感じられた。 郁をこのまま放置していくわけにはいかない。 「……わかった」 暗く沈んだ泉の表情。篝火は泉にかける言葉が見つからない。否、何を言ったところで心に響くことはないと篝火は直感していた。今の泉にはどんな言葉も届かない。 泉はゆったりと郁を抱きしめ立ちあがる。 「律……お前はお前の方法でやれ」 内容は告げない。告げるまでもない。泉の事を理解している律にとってその言葉は不要。 泉は背を向け、歩きだす。しっかりと郁を抱きしめて。 「あぁ」 頷いた一瞬。篝火と朔夜は律の雰囲気が冷気を発するようなものに変わったのを肌で感じる。 いとも簡単に柚葉を仕留めた事といい、非戦闘員と偽って戦いに参加しなかった、実力の片りんを感じ取る。律本来の戦闘能力の高さに悪寒が迸る。 泉は第二の街へ入り姿を消す。律は泉の姿が見えなくなったのを視界で確認し、郁の友達であった篝火と朔夜をみる。 「……郁の刀を」 砂の上にある真っ黒い二刀の刀を律は視線で指す。郁が愛用していた唯一の武器。 「郁の刀はお前らが持っていな。形見ってわけじゃないが……」 最初から泉も、郁の刀を篝火と朔夜に渡す為に残していったと律は判断する。 下手すれば身元が分かる所持品を、泉が目的もなく置いていくはずがない。 「郁の友達でいてくれて有難う」 立ち去る前に、本心からの言葉を残す。 律はその場から立ち去った。向かう先は何処か [*前] | [次#] TOP |