零の旋律 | ナノ

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「くそっ……」
「なんだ、あの術は」

 斎だけに限らない。悧智を逃がしてしまったのが悔しいのは他の面々も同様だ。

「あの術は逃走術で、予め最初に何処かにマークをしておくんだ。そしたら別の場所にいても、術を唱えたらそのマークした場所に一瞬で戻れる上級術」

 郁の質問に答えるのは、術に精通している斎

「上級術はそんなやすやすと扱えるものなのか?」
「ううん。本来は、長い詠唱とかが必要なんだけど、悧智にとってはそんなもの必要なかったみたいだね。あーあ、思い知らされちゃったなぁ、白き断罪最強の術者悧智と、俺の術のレベルの違いを」

 空を見上げるように上を見ながら斎は答える。
 空を見上げたのは、現実から目をそらすためではない。現実を確認するためだ。
 この大地に“空”は存在しない。上にあるのは国。大地。

「……雛罌粟の結界でも、悧智には効果はないのか?」

 結界術師であり、本来は防御系の専門である雛罌粟ならば、どうだったのか、そう問う郁に斎は暫くの間、見えない空を眺める。

「わからない。雛罌粟のは、多分、どっかの一族系の術だと思うから、悧智がその術にたいしての知識があれば、多分、雛罌粟の結界でも悧智にとっては意味がないだろうね」
「雛罌粟の術は、東地方に伝わる結界術だ」
「東の地方?」

 雛罌粟の術についてで、口を開いたのは泉だ。

「あぁ。そこで雛罌粟は巫女と呼ばれていた」
「巫女?」

 斎の頭に疑問が浮かぶ。

「そう呼ばれる役職があるんだ。因みに、悧智には多少効力があるだろうが、そもそも悧智は攻撃系の術師で、雛罌粟は防御系の術師。その面で考えるとどちらにしろ、厳しいだろうな。まぁ……」

 最後の方だけは曖昧に濁す。濁した意味は、此処から先の内容はただでは教えないということ。しかし誰も対価を払って聞こうとはしなかった。何故ならこれ以上そのことについて会話をするより、夢華と篝火の元へ向かう方が鮮血だから。朔夜は篝火の隣に立ちすくみ、どうすればいいのか戸惑っている。
 夢華は敵であった。けれど夢華を守ろうとした、そして夢華は篝火を守った。
 何をすればいいか、なんて声をかけるべきか、朔夜にはわからなかった。ただ、無力だと拳を強く握り締める。

「夢華……」

 烙は夢華に近づきその場にしゃがむ。夢華の頬に手を伸ばし優しく触れる。真っ白な存在は儚かった。ふとすれば、その存在が幻想で、この世には何処にも存在しないような。
 けれど、夢華は確かに存在している。
 夢の華ではない。
 確かに、いた

「お前は……いてもいなくても何も変わらないような存在じゃないよ」

 かつて、夢華は呟いた
 ――僕は夢の華。存在していようがいなかろうが、何も変わらない。ただ、ちょっと不便があっとしても、何も変わりはしないんだよ
 そんなことはないと、否定する。

「お前が、いたから。俺は俺を保てたんだよ」
「俺も……だ」

 二人の青年は、夢華に寄り添う。
 静かな時が流れる。


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