V 「泉……」 「兄貴」 二人は同時に紡ぐ。どちらも、泉の現れる気配を全く感じなかった。 起きているのだから会話を聞かれる可能性も皆無ではなかったが、泉がいたはずの部屋の扉が開く音すらしなかった。改めて規格外である男だと認識させられる。 「郁、それ以上何かを口走る必要性はない」 「何故だ? 確かに……確かに、私はあの時の光景を思い出したくはないし、思い出そうとするつもりはないが、朔夜には言っても問題ないだろう?」 「……云う必要がない、唯それだけだ」 「何故だ!」 珍しく兄である泉に疑問の声を投げかける。朔夜は特に口をはさむべきではないと判断し、口を開かない。 「郁の……自由なんじゃないのか? そこに兄であるお前が口を挟むのか?」 そこに口を挟んだのは、寝ていたはずの篝火だった。 途中から小声ではなくなった会話によって、目が覚め、静かに事の成り行きを聞いていた。 「親友が殺されたからって、自暴自棄になった奴に何かを言われる筋合いはない」 それは唯の厭味であり、唯のやつあたり。 本来なら、郁が何か話そうとしたことに泉は口を挟む必要も、止める必要もなかった。 唯、郁が傷つく顔が見たくなくて。唯、あの時の光景を思い出したくなくて止めた。 「泉!? お前っ……!」 篝火の顔に怒りの表情が見える。 朔夜は何事かと、身体を起こす。すでに横になっていたのは自分だけだったようで、全員布団の上に座っている。 篝火の布団には僅かに皺がより、その先は篝火がきつく握りしめていた。 「政府など下らない」 闇。そう一言で表すのなら闇だった。泉の存在が。 篝火の手が緩む。何も言う気にならなくなったのだろう。何かを言い返したところで、それが図星でしかない。 「……俺たちの生活をぶち壊した政府が管轄する国に興味はない。だから此方へ来ることを甘受した。此処は政府が見捨てた土地であり、政府が縋る場所だから」 何があったのか、何が原因で泉と郁がこの地へきたのか。それを知るためには泉の心が硬すぎた。そして、それが解けることはないのだろう。鉄壁の闇で心を覆い、踏みこませない。踏み込む前から拒絶する。 ――政府など絶対に許しはしない 「お前たちは一体何されたんだよ」 朔夜は唯、それだけのことを聞くのに、暫くの時間を要した。 「自分たちの立場を守るためなら、自分たちの立場を保持するためなら何だってするって話さ」 「お前が暴れたってのは」 「あれは、本当なら殺してやりたかったがな。だが傷つけたんだ。簡単に頃させはしない。手を出したことに後悔しても泣きわめいても懺悔しても許しはしない。決して致命傷にはならないようにいたぶっただけだ。後、建物をめちゃくちゃにぶっ壊しただけだ」 誰も何も言わなかった。そしてその光景を想像もしなかった。 「殺しても殺しても殺したりないさ」 思わず自分の布団に座っている泉から離れたくて、朔夜は隣に移動する。 しかし、隣の人物との距離を見ていなかったため、郁にぶつかる。 「いでっ」 実際は痛くはないのだが、条件反射で声が出てしまう。 郁は一瞬だけ眉を顰めたが、ぶつかってきた朔夜には何も言わない。 「郁……泉がなんだか普段より怖い」 「き、気にするな」 なんと返事をしていいかわからずに、郁は、若干笑顔を引き攣らせていた。 そんな様子を傍目に、泉はふっと笑う。何を話してしまったのか、対価も何もない唯の会話で。 感情を優先させてしまったかと、一人でいるときならば、泉にとってそれはありえないこと。 何故なら、この場には郁がいるから、唯一の血のつながった家族が。 [*前] | [次#] TOP |