ぐだぐだ | ナノ






その日はとても寒かった。雪混じりの雨が粒状に落ちてくる。凍りつきそうな空気を吸い込み、ゆっくり吐くだけで白く眼前が煙った。金網の向こうは鉛色の空がどこまでも続いている。雪の日の空は、重い。落ちてきそうでおそろしい。自分が立っているコンクリートの色とそっくりだ。ぶつけたらそれはそれは、痛いことだろう。寒々しい色をしている。圧倒的な熱がなければ打ち砕けないような、暗い色をしている。頬にぽたぽたと雨混じりの雪と言った方が正しいような雲の片鱗が落ちる。

寒くて巻いてるマフラーを握り締めたら、後ろから大きな手がぺたりと私の頬を掴んだ。「どこにいるかと思ったら―」呆れたような声が、温かい。私の頬よりもずっと冷たい手を蕩けさせるほどの熱。「一体何をなさっているんですか」こんなに寒いのに、と心底嫌そうに結ばれる。身勝手な優しさに満ちた、暴挙。


「雪がふってる」

「只の固い水でしょう」

「でも綺麗だよ」


先生は寒いのが嫌いだ。忌々しそうな顔ばかりする。大きい手が緩やかに私の首の下あたりをかかえて抱き込む。背中があたたかくなる。私はえへへと嬉しくなって空から落ちる白い点を追う作業に戻りながら長い指をぎゅうと包み込んだ。つめたい、て。私と体温を共有できない手。あたたまることのない、死人の手をしている。そう言うと先生はすごい怖い顔をするから、なにも言わないけど。つめたいてをしている。

温まるための熱を。

凍えてしまわない為の、熱が欲しい。私の身体は冷えている。先生の身体は硬い。ここにはなにもない。唯一の熱源は鉛の雲に覆われて、遠く遠く離れてしまっている。触れ合っているはずの場所さえこのまま凍りついてしまいそう。露出している肌の部分は、刃物で撫でられているように鈍く痛い。「さむい」

先生、寒い。だから言ったでしょう。先生の声がうんざりしてる。寒いよ。私もです。マフラーであたたまっていた場所に先生の冷たい手が入る。ふぇっと変な声が出て、びくびく背中まで痒くなった。長い指が、私の首に絡む。指輪が氷みたい。どくどく蠢く首に集まる血管が震えている。「人の首は温かいものです」嬉しそうなこえ。なまえ、特に貴女の首は。ほんとうに。先生の声が甘くなる。小さな子のご機嫌をとるみたいな色をつける。


「どうして首があたたかいの」

「首を落とせば死ぬからでしょう。切っても、絞めても」

「死ぬから温かい?」

「温かいから死ぬのです」


難しい言葉を使わないようにしてくれることが多いけど先生の言ってることはそもそもが難しいので半分程度しかわからない。「けど先生、雪は温かいと死ぬよ」「あれは只の固い水ですから」「でも綺麗だし」それは聞きました。先生の手が、私の首をきゅうっとしめる。おお、さむいさむいとでも言うようにしめる。綺麗なら生きていなくたって、と私は言いかけてやめた。先生の怖い顔は本当に怖いからあまり見たくない。ただでさえ先生のかお、怖いし。

先生の指はきりきりつめたい。温かい私の首を掴んでいても、死んでしまうことはない。先生の言葉は冷たいけれど生きている。私の首は温かいのに、生きた心地がしない。不思議なものだと思う。雪がどんどん多くなっていく。「私も冷たくなりたいなぁ、先生のゆびで」いずれ死ぬ温かいものなら、温まれば死ぬただのかたい水に、あなたの指で。

ぷっと先生が吹き出す。愉快そうに笑う。「熱烈な告白をどうも」



20111220 −人肌で火傷