ぐだぐだ | ナノ






曲線を描く綺麗な形の目に、牙が降りたような一本の筋が入っている。猫目。綺麗なオレンジ色の猫だった。鈍く暗い金色の目をした、不思議な色の猫だった。鈴の外れた銀の輪がついた紫色の皮の首輪をしている、短毛の、上質な絨毯のような手触りの猫だった。高貴な顔立ちのくせに、欠伸をするときはふにゃりと瞳が歪んで笑ったような形になるうえ、あまりに無防備に大口を開けるためにせっかくの色気や美麗さが霞んでしまう。そういうところも愉快な猫だった。

彼(性別はわからないが私はこの猫を彼と呼んでいる)は、恐らくこの住宅街のどこかで飼われているのだろうが、破れたフェンスをすり抜けていつも校舎裏にいた。いつも口の周りを何かの動物の血でべとべとにしていたり、そこに羽をくっつけていたりした。しかし飢えているわけではなく、私が何か食べ物をあげても一口か二口、まるで義理とでもいうように口にして、決してそれ以上食べることはなかった。

彼の娯楽は狩りなのだろう。

私は、彼が好きだった。すっきりとしたお手本のような猫のシルエットを描く細い身体や、その本質とはかけ離れた甘ったるい媚びるような鳴き方なんかが。彼と番える雌が羨ましくなる程度には、彼が好きだった。彼は喉を鳴らすことをしない、珍しい猫だった。にゃあ、といつも甘ったれた声で鳴いた。そうすればそのあまりの愛らしさに私が負けて撫でにかかることを知り尽くしているかのようだった。


ある日、私がいつものように彼に会いに校舎裏に行ったら、もう一人猫がいた。オレンジ色の毛の、スリムで美しいラインを描く身体をした彼にそっくりの猫がいた。彼の手はやはりべとべとと彼の口の周りと同じように何かの血で染まり、ぐちゃぐちゃと羽の変わりに肉片がこびりついていた。足元には彼が座っていた。つんとすまして、最初からここが定位置だったかのように尻尾をはためかせて、座っていた。彼はそこでゆるりと私に振り向いて、あの大口を開ける鳴き方で、みゃあと目を細めずに鳴いた。

「うん?」

もう一人も同じように私に顔を向ける。驚くべきことにやはり彼とそっくりな猫だった。するりと通った鼻筋や、カットされた宝石のような曲線を描く瞳。口の周りは綺麗な白だけど、変わりに考え込むように口元に当てていた手が目の覚めるような鮮烈な赤をしている。「へえ」「おまえの彼女?」にたっと瞳だけが細められてさも愉快そうに、猫は彼に向けて親しげに鳴く。彼は鼻を鳴らしてぱたりと尾を振る。

「だからぁ、俺のは、おまえの今日の飯だって」

猫はけたけたと楽しそうに、媚びた甘ったるい声で鳴く。彼はしょうもないとでも言うように頭を振ってごろりと横になった。猫の足元には、ぐちゃぐちゃとした何かが転がっている。私がそれに目を向けた瞬間猫はにこにこと笑いながら私に親しげに近づいてきた。旧友に相対するような親愛に満ちた動作で、私の手をべとべとのまま取った。私の手にも血がついた。生温く、ぐちゃりとした肉片は指の付け根までどろりと絡みつきながら落ちてきた。細く美しい指を台無しにしながらも、てらてらと肉感的な色香を放っていた。

私の手を取るや否や相棒の彼女は今日の俺の飯になるんだけどいい?と猫はしごく当然のように口にした。赤い血を流しすぎれば人は死ぬ、のような常識的なこととして。「は?」と私が問えば猫は再び愉快そうに声をあげて笑い、「冗談冗談、俺ヒトを食う趣味は無いってー、あんなマズいの金輪際食いたくない」相槌を打つようなタイミングで寝そべった彼が尾で地を叩く。

「で、君は?何?猫?」

人を猫なんて失礼な猫だと思いながら、違う、なまえ。と簡潔に答える。猫は今度こそげらげらとひとり爆笑の渦に呑まれて笑った。少しハイテンションがすぎる、と思った。笑ってばかりいる。彼とは大違いの、下品で俗世的で挑発的な厭らしい猫だと思った。私は顔をしかめて、何がそんなに楽しいのと不機嫌さを覆うことなく言う。だってさあ、君が、まるで俺を猫みたいに、扱うから。今の俺を。私はべたべたの手をぎゅっと握り締めて口を結ぶ。なんて不愉快な猫だろう。

なまえちゃんだっけ?また明日も来なよお、どうせ言われなくても来るんだろうけど。怠く間延びした人に媚びる音、大口開けて細まる目。ひらひらと振られる手に乗ったままのたっぷりと滴る、艶やかな白い陶器じみた毛を穢す赤。彼は、ちらりと片目で私を見た。猫の白く切れ込みの入った黒真珠が私をじっと、逸らさず見ていた。


20120124 −死を呼ぶ猫目石