今日も朝から気分が悪い。
病気とかじゃ、無い。
ただ、気持ちが滅入って沈んで…そう、気分が悪いんだ。
今日ももう少ししたらあの変な格好した誘拐犯は僕を見に来るんだろう。
…足音がする。
「…毎日毎日、飽きもせず見に来るな」
「死なれては困りますからね」
「はあ、なんでだよ」
「貴方にはもしもの時にやって貰わなくてはならないことが有りますから」
「…ふーん」
僕はそこで初めて顔を上げる。
相変わらず妙な格好した奴だ。
薄緑色の長めの髪の毛は、今日も昨日と全く変わらず整えられている。
余裕に歪む口元も、僕を蔑む目も、皆嫌いだ。
「…さて、ではワタクシはすべきことがありますので」
「勝手に消えろ」
「…では」
そいつはふふ、と少し笑い声を立て、姿を消した。
それから少しして、これまた妙な格好をした下っ端らしき奴が朝食を置き、去っていく。
別に欲しくもないそれを、僕は無言で食べる。
食べなかったら食べなかったで面倒なのを僕は経験で知っていた。
「…」
空になった食器を格子の隙間から外に押しやり、僕はため息をついて、周りを見渡した。
鉄のような金属の格子。装飾も全く無い黒い壁。両手両足の鎖。
…最悪の気分だ。
「…寝よ」
さっき起きたばかりとか関係なかった。
することも無い。
適当に牢の隅に寝転がる。
今、僕のことを捜してる人は居るんだろうか。
事故で片付けられていてもおかしくは無かった。
旅に出てすぐ連絡がつかない…そんなの、迷った末野垂れ死にと思われて不思議じゃ無かった。
「…」
一緒に旅に出た、ベル、チェレン…元気かな。
そして、…弟。
「…トウヤ」
双子として生まれて、顔はそっくりで。
旅立つ時に僕がポカブを貰ったら、僕にいつか勝つんだと笑って、ミジュマルに頬擦りしていた。
あいつ、元気かな…
全く同じ格好で旅に出て、全く同じように歩いてたのに。
もうあいつに会えるか分からない。
あいつは、僕のことを凄く好いてくれていて、近所でも仲がいいよねって言われてた。
ほとんど同じ顔、姿なのにどうして僕を攫ったんだろう。
あとは、母さん。
急に連絡とれなくなって、きっと心配しただろう。
それにアララギ博士には、謝らなきゃいけない。
ポカブが、今どうしてるのかも分からない。
僕に懐いてくれて、足元に擦り寄ってきたあいつ。まだ何もしてやれてない。
「…くそ」
悔しかった。仰向けに寝転んだまま、天井が滲むのが分かった。
「…なんでだよ」
どうして僕がこんな目に遭うんだよ。
両手両足が重い。
それ以上に気分が悪い。
涙が零れそうになるのを慌てて擦る。
…と、
「大丈夫かい」
「!?」
「あ、驚かせたみたいだね。ごめん」
「…何だよ」
起き上がってそちらを見る。
あいつと同じ薄緑の髪の毛。
白いシャツに黒いインナー、灰色がかったベージュのズボン。
そして腕輪やらネックレス。あと、腰にルービックキューブみたいな物をぶら下げている。意味が分からない。
「お前、何?…その髪の毛、嫌いだ。吐き気がする」
「え?」
「あいつ…あの妙な格好の奴と同じだ」
「…ああ、…親子、だからね」
「…ふーん…あいつの息子なんだ」
興味無いけど。
小さく呟くと、そいつは小さく俯いた。
「お前、確かに面影だらけで嫌いだよ。…消えて」
「そ、そんな言い方無いじゃないか!ひどいよ、泣いてたみたいだから心配してあげたのに、」
「じゃあ消えて」
「ひどいよ…」
そいつは僕と目を合わせずに、しばらく黙ってから、
「…キミは、どうして泣いてたのかな」
と言った。
「…見て分からないのか?まあ、お前にも分かりやすく言ってやるとな、キミのおとーさんに酷いことされたからだ」
「…ごめん」
「お前に謝られて何になるんだよ」
「…ごめん」
「…面倒な奴。…とりあえずうざいから消えて」
そいつはそこで僕を見た。
顔を上げた拍子に涙がぽろぽろと落ちるのが見えた。
「…消えろよ。泣くなよ。面倒臭い」
「…ひどいよ。ボクはキミを案じて声をかけたのに…」
「いらないから」
そいつはもうぼろぼろ涙を零しながら泣き出してしまった。
正直本気で意味が分からない。
というか、腹立たしい。
見ているだけでイライラした。
だからだろうか、僕はもう背を向けて、
「早く消えろ」
と、もう突き放してやった。
「…」
足音がしない。
まだそこに居るんだろう。
「…」
僕は何も言わない。
「…ねえ」
「…」
「…あのさ」
「…」
「…あの、…キミの名前、聞いて良いかな」
「知らない」
「そんな訳ないじゃないか」
「知らない」
「言えないような名なのかい?」
「お前らにはな」
「ボクが名乗らないから名乗りたくないのかな」
「名乗られても名乗る気は無いけど」
「…そう」
そいつはまた黙る。

結局そいつは、誰かが捜しにくるまでそこで黙っていた。
正直意味が分からない。

じゃら、鎖の立てる音で目を覚ます。
「…」
「あ、おはよう」
「…な、」
「大丈夫?寒くないのかい」
「なんで居るんだよ!?」
起きてすぐ声をかけてきたのは、昨日僕に急に話し掛けてきた奴。
「え?…ああ、キミは一人ぼっちで寂しいんじゃないかって思ったから。ボクもトモダチが居ないと寂しいからね」
「…」
「ほら、キミだって話し相手が居た方が楽しいだろう?だからボクは、」
「消えろ」
「…え、」
「うざいから」
そいつは驚いたような顔をして、
「どうして、」
と小さく言う。
「…だから、うざい。嫌い。吐き気がする」
「…ひどいよ」
「酷い?酷いのはお前の父親だろ」
そいつは泣きそうな顔をして俯いた。
「そうだろ?僕自身は別に全く悪くないと思うんだけど。…この認識、間違ってるかな」
「…」
そいつは今日は意外とあっさりどこかへ歩いていった。

それから少しして、いつものように父親の方がやってきた。
「今日も来たのかよ」
「ええ」
「まだこのままなのかよ」
「ええ」
蔑むような笑みは、今日も完璧だな。…腹立つ。
「…で?用事無いなら消えて欲しいんだけど」
「ふふ…当たり前ですが、嫌われているようですね」
「まあな」
「貴方にはまだここに居て貰わなくては。ワタクシの…プラズマ団の計画が成就するまでは」
「…あ、そ」
「…では。失礼します」
「さっさと消えろ」
今日もあいつはイライラさせてくるばかりだ。
また少しして運ばれてきた朝食を無言で食べる。
そして食器を牢の外に押しやり、壁にもたれるように座る。
両手を持ち上げ、ぼんやり眺める。
赤く鎖の痕がついていた。
もうあれから何日経っただろう。
「…帰りたい」
小さく呟く。
その声は、誰にも届かない。

「ねえ、キミ」
「…ん、」
「ねえ、ねえってば」
「…またお前か」
僕を呼ぶ声に目を開けると、そこに居たのは変人の息子の方だった。
「…ひどいな。キミはいつもそんな態度ばかり」
「お前の父親がひどいからな」
「…そういえばね、キミを出してもらえるようゲーチスに頼んだんだよ」
ゲーチス?…ああ、父親か。
「だのに、ゲーチスはキミを出してくれるとも言わないし、理由も教えてくれない。…ボク、それはおかしいと思った」
「…ふーん」
適当に返しながら、僕は内心少し驚いていた。
こいつ、父親と共謀して僕を懐柔させようとしてるんだと思ってたんだけど。…いや、ただの作戦だろうか。
「…ねえ、興味ないのかい」
「どうせどうにもならないんだろ」
「…だから、ボク…」
「頼んだ、でも駄目だった。…それだけだろ?」
「…」
そいつは俯いた。
「ねえ。…お前に一個頼み事してやろうか」
「え、本当かい?」
「…殺してよ」
「…え?」
そいつは一度輝かせた顔をすぐに曇らせる。
「こんなことなら、死んだ方がマシだ」
「駄目だよ、そんなことは出来ない」
「…ふーん。…誘拐監禁は良くて殺人は駄目、か…変わった善悪の感情をお持ちのようで。感心感心」
「…そんな言い方」
「事実だろ?…ああ、事実突かれて痛い?そりゃ悪いことしたな」
「…キミはボクが嫌いなんだね」
「最初から言ってるだろ?大嫌いだってさ」
「…いつか出してあげるから、」
「ふーん。期待はしないよ。がっかりするから」
そいつは瞳を揺らし、今にも泣き出しそうな顔をした。
「…いつかきっと出してあげるから。…早くボクは…キミを出してあげるためにも、トモダチを助ける」
「…意味が分からない」
「ボク、旅に出るんだ。…トモダチを、…ポケモンを解放させるために。人間の手からポケモンを自由にするために」
「…」
そいつは僕を見た。
「キミのためにも、早く。ポケモンを解放する」
僕の牢の鉄格子を掴み言う。
「…名前、教えて。お願いだ。…ボクは、ボクの名は、Nだよ」
「変な名前」
「…お願い。…名前、教えてよ」
「言っただろ?名乗られても名乗る気は無いけど、って。さっさと消えろよ、どうでもいいんだよ」
「…キミは、トモダチが居ないのかい」
「居たよ。悪いけど」
「なら、どうしてボクにはそんな態度ばかりなの?…ボクは、キミの力になれたらと思っているのに…」
そいつ…Nは鉄格子を掴んだ指に力を入れ、僕を見た。
「は?…誘拐犯の息子と友達?冗談じゃない。ふざけるのは大概にしろよ。お前こそ人の気持ちなんか考えたこと無いんだろ?じゃなきゃおかしいんじゃないか?お前、僕を馬鹿にしてんだろうとしか思えない。…さっさと消えてくれ。お前なんかに名乗る名は無い」
Nは泣きそうな顔で僕を見て、それから何も言わず歩いていった。
泣きたいのはこっちだ。
あいつは嫌がらせのように僕に話し掛けてくる。
泣きそうな顔したり泣いたりしながら、何故かまたやってくる。
意味が分からない。親子揃って本当に意味が分からない。
横になり僕はまた目を閉じる。
とりあえず寝てしまおうか。



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