昼食をほとんど何も感じないまま飲み下す。
もうあれから何日になるだろう。毎朝ゲーチスは僕を見に来て、Nは僕に泣かされに来る。
…別に泣かせたくて泣かせる訳じゃない。泣きたいのはこっちだ。
動かさない身体は少しずつ力を失っていく。
僕はもう最近ほとんど動かず過ごしていた。
少しずつ少しずつ、何かがおかしくなるのが自分でも分かる。
ぼんやり、目を閉じかける。…と、足音がした。
…これは、Nのものだ。
「キミ、大丈夫?」
「…別に」
「…初めて見たときより痩せた気がするよ」
「へえ、ダイエット成功したんだな。良いじゃないか」
「…違うと思う」
ゆっくり目を開け、Nを見る。
「…」
いつもの格好、プラスで帽子。
「…似合う?」
「知るか」
「…旅に、出るんだ」
「勝手に早く行け」
「…」
Nは、ゆっくり歩み寄ってきて、僕の牢の鉄格子をぎゅうと掴んだ。
「…ボク…キミに、言いたいことがあるんだ」
僕は黙って目を逸らす。
いつも勝手に喋って居なくなるくせに。
「ボクは、…キミともっとちゃんと向き合いたかった。傷付いたトモダチ…ポケモンを癒すようにキミを癒してあげたかった。でも…キミとちゃんと向き合うことは出来なかった」
「そりゃ、誘拐犯の息子と向き合える被害者は居ないだろうな」
「…ボクは、キミが気になっているんだ。こんなに気になる人間キミ以外に居ないよ。…キミのためにも早くボクは願いを叶える。そしてキミを自由にする。こんなこと言ったって、キミはボクに心を開いてくれないだろうけど。もう会えないかも知れないからね。…それじゃ、…サヨナラ」
Nの手が鉄格子から離れていく。
ゆっくりNが足を踏み出す。
離れていく。
そこで僕は、何故かNを呼び止めたいと思うのに気付いた。
おかしい。あいつは誘拐犯の息子できっと僕の敵なのに。
「…どうしてそんな顔するんだよ」
小さな声は届かない。
Nの姿はもう見えない。
僕は一人目を閉じる。
もう意味が分からない。自分も分からない。
「…」
あいつの気持ちはゲーチスの作戦だと思っていた。でも、それであんな子供みたいな奴があそこまで出来るんだろうか?それとも、あの性格自体が演技?
…分からない。
あいつはあいつの願いを叶えると言っていた。
ゲーチスは僕をプラズマ団の目的が達成されれば解放すると言った。
だからそれはきっと、あいつとプラズマ団の目的は同じことを意味するんだろう。
確かに、最近ポケモンの解放を目的とする妙な集団が居るとは知っていた。
…でも、それに僕は何の関係が?
僕なんかより狙うべき人間は居るはずだろう。僕はポケモンを持ってまだほとんど日が経っていなかったのだから。
ボクが持っていたポケモンなんて、ポカブぐらいのもので、そんな新米トレーナーを捕らえることがプラズマ団にとってどんな得になると言うのか。
ぐるぐると今までの情報を拾い集めてなんとか繋ぎ合わせたものを様々な方向から眺めてはみるものの、なかなか答えは見えてこない。
…こんなことならNから情報を引き出せば良かった。
大して真面目に話を聞いてもいなかった、あいつはあんなに僕のために…
「…って!違う…!!」
…危ない、変な信頼持ちそうだった。
「はあ…」
両手両足の鎖。
もう腕も足も慣れてしまって痛くない。
窓のない牢の中、時間を知るのは誰が来るかということ。
それが当たり前になりつつあるのに、改めてため息を吐く。
自由という言葉にすら、もうそこまで希望を見出だせない自分に。
もうこのまま終わってしまうのだろう。
諦めという楽な感情に逃げてゆく自分をもう諦めることしか出来ない。
誰も居ない牢の中、僕は腕の鎖をゆっくり持ち上げる。
長めの鎖をゆっくり持ち上げる。

「…死なれては困る、か」
ぼんやり呟く。
…死んでない。
「貴方のような方があんなことをするとは思いませんでしたがね」
「嘘言え。やけに助けに来るの早いじゃないか」
ゆっくり自分の首に手を触れる。
包帯が巻かれている。
「鎖で首を括るとは、ワタクシも予想外ですよ」
「…」
失敗した。死ねなかった。
「殺せよ」
「いいえ、貴方にはもしもの時やってもらわねばならないことがあります」
「それが分からないんだよ、お前ら何なんだよ!?僕なんか攫ってどうなるんだよ?」
「…では、Nも行ってしまいましたし、少しだけお教えしましょう。…貴方がNの…プラズマ団の目的を邪魔し、失敗させる未来を見たからです」
「…は?」
ゲーチスは全く表情を変えず言った。
未来?…未来を、見たからです?
「そんな意味の分からない理由で僕を?…馬鹿らしい」
ゲーチスは笑う。
…意味が、分からない。

あの後、僕はまた牢に戻された。
鎖は無い。
本当に箱だけ。
これまでよりは自由にはなった。
けれど、外に出られる気はしない。
「…」
牢の中をぐるぐると歩き回る。
未来、Nの、プラズマ団の目的を邪魔する未来。
ゲーチスが言ったことが確かなら、僕が強くなる前に捕らえた、そういうことだろう。
確かにそれなら、つじつまが合ってしまうのは確かだ。
他の誰でもなく、僕を捕らえた理由も、分かる。
「…未来、が見える…」
それさえ、信じるなら。
…信じる?馬鹿らしい話だ。
でも、それしかこの状況を理解する術はない。
それに、僕がNとプラズマ団、そしてゲーチスの目的を邪魔するということは、あいつらの目的はあまり良いことじゃないんだろう。
…どうしたらいい?
このことをどうにかするためには、どうしたらいい?
連絡手段も断たれたこの場所で。
「…どうにか、出来る訳ないじゃないか、そんなの」
だからゲーチスもそんなことを話したんだ。
当たり前だ。止められると分かっていて手の内をさらけ出す奴は居ない。
「…はあ」
結局分かっていてもいなくても、僕に出来ることは無かった。
ただ、状況がなんとなく分かっただけ。
別に何も変わらない。

「…!?、キミは、」
「…誰?」
町を歩いていて、急に声をかけられた。
「…人違いじゃないですか?…ボクには…双子の兄が居ましたから」
薄緑の髪。さっき演説してた奴と同じ。
「双子、の…兄?」
「ええ。…ボクは貴方を知りませんし、きっと貴方もボクに会ったことは無いと思います」
「もしかして…キミは、彼の名を知っているのかい?」
「…は?」
意味、分からない。
なんなんだこの人。意味分からない。
…いや、もしかして、…ブラックのこと、知ってるんじゃないだろうか?
「…貴方、あいつが今どこに居るか知ってるんですか?」
「あ、…知らないよ」
一瞬、明らかに動揺した。
「ボクは彼の弟、トウヤです。…あいつが急に居なくなって今すごい大変なんです。…教えてくれませんか」
「…知らない」
「…そう」
ボクはモンスターボールを開けた。
「な、何?」
フタチマルの頭を撫でる。
「あいつをどうしたのか、それだけでも教えて下さい。…ボクはあいつに勝たなきゃいけない。だからあいつにはボクと対等で居てほしい。あいつに何かがあったなら、ボクはあいつを助けなきゃならない」
「…じゃあ、そうだね」
そいつもモンスターボールを開けた。
「キミ、ボクの計画を止めてみなよ。…そうしたら、キミの願い、叶えてあげる」
ボールから出てきたポケモンが、正体を認識する暇も無いまま、ボクのフタチマルを倒し、ボールに戻っていった。
「フタチマル…!」
「トウヤ、…ボクは、プラズマ団の王様、N。…ボクはチャンピオンを超え、全てのトレーナーにポケモンを解放させる。…ボクを止めたければ、キミも強くなりバッジを集めて、ボクを追いかけて来ればいい。…期待しているよ」
そのまま、踵を返して歩き出す。
振り返りもしないまま。
「…くそ」
プラズマ団の王様、N…
あの集団に何らかの形でブラックが関わっていそうなのは分かった。
…でも、どうしたら…
「トウヤ!」
「大丈夫!?」
「チェレン、ベル…」
「フタチマル、大丈夫!?」
「そうだ!フタチマル!」
フタチマルはゆっくり身体を起こす。
「大丈夫?」
小さく頷くのを見て、ほっと息を吐く。
「トウヤ、キミらしくないよ。キミからバトル仕掛けてたみたいじゃない」
「…うん。…ちょっとね」
ボクはフタチマルをボールにしまい、チェレン、ベルに笑いかける。
「ボク、…強くなる」
「…え?」
「ボク、やっぱりジムバッジ真剣に集めることにするよ」
「で、でもトウヤ、バトル苦手だって…言ってたよね?」
「ベル。…ボクだって男だから、悔しかったら自分の手で返したいと思うことも有るよ。…じゃあ、急ぐから」
「トウヤ」
「何?」
背を向けてチェレンの声を受け止める。
「…何が有ったか、何を話したか、聞いちゃ駄目かな」
「…、…戦いだよ」
振り返らず、口元に笑いを乗せる。
「ボクの。…ボクはあいつと戦うんじゃない。ボクは、あいつの先に居る奴と戦うんだ。…そのための戦い」
「…」
チェレンは何も言わない。
ボクはフタチマルのボールを持って、歩きだした。
…チェレン達まで居なくなったら、ボクは…嫌だ。巻き込みたくない。
ポケモンセンターでフタチマルを回復させ、それから傷薬を買い込み、ボクはまずサンヨウを目指すことにした。
「フタチマル」
フタチマルは、ゆっくりボクに頷いてくれる。
本当は涙が零れそうで。
「ごめん」
抱きしめる。暖かい。
「…ボク…バトル、本当は嫌い。…でも…ブラックを助けたい…」
でも、
「そのために…痛い思いさせる…」
フタチマルはボクを慰めるように何か言ってくれた。
「ごめん…」



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