「いたいいたいっやめて!」
「N!?」
慌てて立ち上がろうとして……失敗。
ばたーん、と派手な音を立てて、僕は思い切り身体を打ち付けた。
少しして、足音が僕の部屋にやってくる。
「……また?」
「……ごめん、母さん」
母さんは僕を車椅子に乗せてくれた。
「Nが心配なのは分かるけど、気をつけなきゃ。……ほら」
母さんに押してもらってNの声がした部屋のドアを開けた。
Nは涙目で僕を見ると頭をさすりながら少し笑った。
「髪の毛引っ張られちゃって……、ごめん、心配かけたね」
「いや……、大丈夫?」
「うん、痛かっただけ」
Nはそっと手を伸ばした。
きっと髪を引っ張った犯人であろうそいつ……メノクラゲに向かって。
「ほら、怖くないよ?大丈夫。……話聞いてあげるからさ、ほら」
するとメノクラゲは触手を一本伸ばして、そっとNの手に乗せた。と、
「痛い……っ!!」
Nはそれでも手を戻さず、メノクラゲを見た。
「そんなに……人間が嫌い?」
Nの手から赤い色が零れた。
「N!」
「N!一旦離しなさい」
母さんも流石にNの手を無理矢理メノクラゲから離した。
Nの手の平からは血がだらだらと流れ、そして少し腫れていた。
「毒針……!」
僕は急いで近くに居たエルフーンに、
「鞄!」
と単語だけで命令した。
すぐにエルフーンは駆けていって、鞄を持って戻ってきて、中から救急セットも出してくれた。旅をしてた頃ポケモンだけじゃなく僕も怪我したりしていたから、その時のものだ。
Nの手を取って傷口を見て、それから鞄からガーゼと包帯を出す。それから傷薬と消毒液、傷口を拭くためのウェットティッシュを出して、Nの傷口を拭いて、消毒液を吹き掛ける。
「痛い……」
「あ、しみる?……ごめん、でもちゃんとしなきゃ」
傷口を綺麗にしてから毒消しも使って、それからガーゼを当てて包帯を巻く。
「ブラック、上手だね」
「ん?……うん、まあ。なかなか傷、絶えなくてさ。背が高い草むら入れば指切ったりもするし……自転車でこけることもあるしな」
巻き終わって、最後にきゅっと縛る。
「動かしにくいかもだけど、我慢して」
「うん」
Nは少し手を動かして、
「大丈夫だよ、ありがとう」
と笑ってくれた。
「でも、傷口の処理はしたし、毒消しもしたけど毒で熱出るかもだから、今日はもうゆっくりしてて。……メノクラゲと、僕が話してみる」
「え?」
「そりゃ、直接は無理だから、通訳付けてさ。……な?ゾロアーク」
ゾロアークは頷いて姿を変えた。
ゾロアークはイリュージョンで人の姿になれば言葉を話せる。
『大丈夫、できますよ』
「……うん、お願いしようかな。ブラック、ゾロアーク、よろしくね」
Nは軽く包帯の上から手を押さえながら、出ていった。
母さんもそれについていって……扉が、閉まった。
「さて……じゃあまず。ゾロアーク、こいつ今何か言ってる?」
『いえ』
「へえ……どうして人間がそんなに嫌いなんだ?」
メノクラゲはゾロアークを見て、何かを言うような動作をした。
『嫌いだから、だそうで』
「……そう」
僕は周りを見渡して、それからまたメノクラゲを見て、ゾロアークに尋ねた。
「ここに居る皆とは話してた?」
『話してました』
「何を?」
『どうして……Nさんがあんなに優しいのかって』
「ああ」
僕は小さく笑った。
「Nは……痛みが分かるんだ。もちろんポケモンもだし、人間だって。僕も、助けられた」
メノクラゲは何も言わないらしい。
「僕は沢山悪いことをしてしまった。僕の身体には綺麗な所なんてかけらも無くて、僕の心もぼろぼろで……でも、Nは僕をただ心配して、僕のために泣いてくれた。僕を今も助けてくれてる」
ゆっくり車椅子から降りて視線の高さを合わせる。
「Nが優しいって、分かるなら……他の人間なんか嫌いでいいから、Nだけはスキだって言ってあげられないのか?……それとも、言えない理由があるのか?」
メノクラゲはゆっくりと何かをゾロアークに言った。ゾロアークは頷きながらその話を聞き、僕に向かって口を開いた。
『彼はイッシュの生まれではないそうです。……彼は、人間にジョウトとカントーと呼ばれる地の海で釣り上げられて、メノクラゲが珍しいイッシュで売りに出されたんだと』
「……!」
『彼は売れ残り、故郷でもないイッシュの海に捨てられた。そして、故郷を探すうちにあの川に流れ着いたんだと言っています』
ゾロアークの話を聞いて、僕は何も言えなくなった。
ジョウトやカントーなんて、本当に遠くだ。見たことのないポケモンが沢山住んでいるのだと聞いている。
「そんな……あんまりじゃないか」
『だから人間を嫌い、彼は彼を水から引き上げた人間を水に引きずろうとしたんだそうです』
メノクラゲの姿を改めて見た。
目の横に傷がある。
「……これは、釣竿の……」
『……はい』
ゾロアークはメノクラゲから聞き、頷いた。僕は、床に置いたままだった救急箱を引き寄せた。
「……おいで」
ゆっくりと、手を伸ばす。
メノクラゲは、……迷っていた。
「人間が嫌いなら、いい。……でも、傷は治してやるから、」
手を伸ばしたまま、僕はメノクラゲにゆっくり語りかけた。
ゆっくり、メノクラゲの触手が近付いた。
刺されても構わなかった。
でも、触れた時に感じたのは、軟らかい感触。
「……あ、……うん。ほら」
僕は思い切り笑顔を浮かべて、ガーゼと傷薬、テープを出した。

「おはよう」
「おはよう」
Nはゆっくり起き上がって伸びをした。
「ん、熱……出なかったみたい」
「よかった」
Nはそういえば、と小さく呟いて、僕を見た。
「メノクラゲは?」
「ん?……ああ!Nに、言いたいことが有るんだってさ!」
僕は勢いよく立ち上がろうとして……立ち上がった。
「……あ」
「……あ、あ!」
立てた。
立てたんだ……っ!
「立てたーっ!!」
思い切りガッツポーズしてNに抱き着く。
「やった!やった!」
「ぶ、ブラック、そんな急に動いちゃ駄目だよっ」
「大丈夫!……ほら!行こう」
僕は上機嫌なまま笑って、車椅子に腰掛けた。……この調子なら、歩けるまであと少しな気がする……っ!

車椅子を押してもらって隣の部屋に行くと、メノクラゲはNを見て、小さく俯くようにした。
「ほら、怒られないから」
僕が小さく促すと、メノクラゲはNに向かって、触手を伸ばした。
「?……えっ」
Nは、ゆっくりメノクラゲの触手を握った。
「……本当に?本当?」
Nは、ばっとこっちを見て、嬉しくてたまらないという顔をした。
「ブラック!聞いて!……この子が、ボクらをスキって言ってくれた!!」
「ボク、……ら?」
「うんっ」
Nは勢いよく頷いて、
「ブラックのことも、スキだって言ってるよ」
と僕の手をメノクラゲの逆の触手に添えた。
「ほら、ね?もう刺さないし、この子」
「うん」
僕が小さくよかったな、と言うと、メノクラゲは僕に握られた方の触手を軽く揺らした。
Nはメノクラゲににっこり笑って、
「じゃあ、これあげる」
とポケットから何かを出した。
「……クッキー?」
「うん。この子、あんまり食べてなかったみたいだからさ。ほら」
袋を開けて手にクッキーを乗せて、メノクラゲに差し出すと、ちゃんと受け取って、食べてくれた。
「美味しい?……よかった。ちょっと前にゾロアーク達に散歩ついでに買ってきてもらったんだよ」
すると、メノクラゲはゾロアークの方を見て何かを言った。
きっとお礼を言ったんだろう。
「ブラック、」
Nはクッキーを置いてからすっと僕に近付いて、僕に尋ねてきた。
「メノクラゲは、どうして人間が嫌いだったのか分かったの?」
「うん」
僕は昨日聞いた話をNに話して聞かせた。
すると、Nは少し考えるようにして、
「足、あとどれぐらいで治るかな」
と聞いてきた。
「ん?……うーん、まあ1ヶ月ぐらいくれればいけるかな」
「じゃあさ、ブラックが治ったら……」
「うん。メノクラゲを故郷に帰してやろう」
「そうしようよ」
Nはまたメノクラゲに向かって話しかけた。
「キミを、故郷に帰してあげるよ。……ブラックの怪我が治ったら、すぐにでも」
すぐにメノクラゲは嬉しそうなそぶりを見せた。
「うん、きっとだよ。でもそれまでは、ここで我慢してね」
メノクラゲはやっぱり嬉しそうで触手をNの手に絡み付けて、ゆらゆら揺らしていた。
「じゃあ、ボク達やることあるから……皆と仲良くしててね」
Nの手から触手が離れた。
「皆、よろしく」
Nは僕の車椅子を押して歩きだした。

「うん、歩けてるね」
病院へ行くと経過もよかったらしく、車椅子から杖に変わった。
片足を離せば倒れてしまうぐらいだったから、左足が治りが早かったから右手に杖を持って、半分足を引きずるように歩く。
「N、遅くてごめんな」
「ううん、ゆっくりでいいよ」
Nは隣を僕に合わせてゆっくり歩いてくれていた。
久々に外で見る横顔は相変わらず真っ白な肌に綺麗な緑色がきらきらしていて、大人びているようでどこかあどけない。
薄く濁って表情を映しにくい目も、最近では楽しそうな色を映す。
「Nって……何歳ぐらい?」
「うん?……あ、よく、分からないんだ。生まれた時の記憶は無いし、ずっと傍にいたトモダチも居ないから……」
Nは小さく口の中で何かを数えていたけれど、それからこっちを見て、
「ブラックよりは、長生きかな」
と言った。
「分かる?」
「……ううん、でも、」
Nは少し間を置いてから、
「直感、かな。……まあ、言ってしまえばなんとなく、だね」
と笑った。
「そっか。……誕生日も分からないんだ」
「うん、気にしてなかったしね」
Nはゆっくりと歩きながら、僕の足を見た。
「ん?」
「……いや、治るの早いなって。鍛えてたんだね」
「そりゃ、あんだけイッシュ中うろうろしたしな、足は鍛えられてたよ」
走るのは少し苦手なんだけど、と苦笑いすると、Nはボクも走るのはなあと笑った。
「早く治して、ジョウトとカントーに行こう。そしたら、その後他の場所にもついでに行ってみないか?」
「あ、いいね。旅だ」
Nは空を見て、
「ゼクロムと飛んだとき、いろんな所行ったんだよ。メノクラゲも見たことあるんだ」
と言った。
「沢山ポケモン居た?」
「うん。イッシュには居ないポケモンとか、イッシュでは珍しいポケモンも、沢山居たよ」
Nは少し考えるようにしてから、ぽんと手を打った。
「きっと、ゾロアークが覚えてるよ」
「ゾロアーク?あ、イリュージョン」
「うん。……きっとブラックが好きそうなのもできるよ」
Nは草むらを見て、
「でも、イッシュに住んでる子はあんまり見かけなかったなあ」
と呟いた。
「そうなのか」
「うん。イッシュのポケモンはまだまだ個体数が少ないのかも」
「へえ……そうなんだ」
前を見ると、もうカノコタウンは目の前だった。
久々に高くなった視界の中では、少し町が小さく見えた。


助けてくれるあの人は
彼の優しさには敵わないけどさ。


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