踏み出した足が絡まれるように水に沈んでいく。
慌てて引き戻そうとしても、もう遅い。
むしろ慌てたせいで体制が崩れて、真っ逆さまだ。
「あ……っ」
落ちる瞬間、何かに縋ろうと伸ばした指が空を掴む。
真っ黒な水へ、……落ちる……

「N!」
「……っ!!」
ぱ、と視界が明るくなる。
目の前にブラックがいる……
「……ブラッ、ク」
「N……うなされてたから。大丈夫?」
「うん……」
夢、だった……らしい。
嫌な夢だ。
「……ブラック……ありがとう」
「うん、よかった。大丈夫みたいで」
ブラックはボクの汗ばんだ前髪を優しく掻き上げて、キスをした。
「おはよう。N、寒くない?早く着替えた方がいいよ」
「うん」
ブラックが渡してくれた服に着替える。
隣でブラックは上着に袖を通しているところだった。
ボクが着替えている間、ブラックはベッドから下ろした足を伸ばしたり曲げたりしていた。
腕は固定されていた間も動かしていたけど、足を動かすことが出来なかったから、明らかに足の方が戻らないんだ、とブラックは度々零していた。
「あ、着替えたよ」
「じゃあ……お願いな」
ブラックを抱き上げて、下に降りる。
そして階段の脇に置いておいた車椅子にブラックを乗せる。
それから居間に入ると、もう朝食の準備をしてお母さんは待っていた。

「N、ちょっとは散歩でもしてきたら」
「え?」
「いや、僕の面倒見るばかりで大変でしょう?だから、気晴らしでもさ」
外に目を移す。
雲がぼんやりかかっていて薄暗い。
「ほら、僕は大丈夫。おとなしくしてるし」
「……、うん。じゃあ少しだけ歩いてこようかな」
特に行くあても無いけど、せっかくブラックが言ってくれたんだから、外に出てもいいかな、と思って、ボクは頷いた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
家から出て、ふらふらと目的もなく歩く。
空は曇り空。周りの木々は赤い。
無意識にぼんやりと歩いていたら、目の前に川が現れた。
あんな夢を見た後だから、少し警戒しながら水を覗き込む。
「……あれ?」
何だろう。見たこと無いポケモンだ。
「あー……!」
確か、遠くで見た。どこだっけ……あの……
「ねえ」
思い切って声をかけた。
と、
「うわああ!」
な、なんか……!引っ張られてる……っ!!
「や、やだやだ!離して!ボク、泳げな……っ!!」
ずるずると引き込まれる。
靴に水が染みてくる。
「離して!ねえ、お願いっ」
『人間は俺の仲間をこうやって引っ張っていくのに……!』
「!?」
『どうせお前だって……!!』
「ま、待って!話……聞くから……!!」
やばい。確かに昔傷付いたポケモンと沢山話した。けど、こんなに乱暴な子は初めてだ……っ!
『そんなこと言って油断させるんだろ』
「ち、違……!……や、やだ……!」
もう足が水に引き込まれかけてる……!
「無理……!助けて……ブラック!!」
ばしゃ、と水面が波打った。
後ろから、足音がした。
「……そこだ!」
ざぱ、と水が波打つ。
水から飛び出す影を見た。
足が一気に自由になった。
「大丈夫?」
そこに居たのは、
「……ブラック?……なんで?」
歩けないんじゃ無かったの、と言うより早く、ブラックは川を見て、
「押さえろ!」
と命令を出した。
すると、水から出て来た影……ダイケンキの姿をしていたゾロアークは、ボクの足を掴んでいたポケモンを押さえ付けた。
「……やっと捕まえた」
「え?」
「こいつ。最近、子供を川に引きずり込もうとしたりとかですげー捜されてた奴なんだ」
ブラックは、鞄からモンスターボールを出して、放った。
「……ふーん……メノクラゲって言うんだ」
そのポケモンがモンスターボールに収まったのを確認してから少し図鑑を見て、やっとブラックはボクに向き直った。
「N、大丈夫?」
「だ、大丈夫。……ブラック、歩けないんじゃ……?」
「ん?……ああ。あいつのお陰」
ブラックは空を指差した。
「……シンボラー?」
「うん。あいつの念力でさ。なかなか息ぴったりだからな」
「すごいな」
「だろ?……でもあんま長い間だとお互い疲れるから時間は限度が有るんだ」
するっと手を握られる。
「帰ろうか。寒いだろ?……それに、そろそろ歩けなくなっちゃうんだよな。走ったりしたし」
「そういえば、どうして分かったの?」
「ん?……だって、呼んだだろ?助けを求めてくれたじゃないか」
嬉しそうな顔をして、ブラックはボクの手を握ったまま、歩き出した。
「あ……」
確かに、呼んだ。助けて、ブラック、って。
「ありがとう……」
「いいんだよ。……あ、ほら」
ブラックはポケットからさっきのボールを出した。
「……こいつは、きっと人間が嫌いなんだな。なんとなく分かる。……こいつはもう僕の手の中。困ってた人に突き出すのも、黙って隠すのも自由」
でもさ、とブラックはボクの顔を覗き込んで、聞いてくる。
「Nの力が有れば、こいつもシアワセに出来るかも知れない。きっと他の困ってた人に突き出せば、こいつはもっと人が嫌いになる」
「……うん」
「Nの力を、本当にポケモンのために使ってほしいんだ」
ボクは頷いて、モンスターボールを、そっと受け取った。
「メノクラゲ、……よろしくね」
小さく呟いたけど、ボールの中で拗ねたように黙り込んでいる。
……早く、慣れてくれればいいけど。
「うん!よかった、Nが引き受けてくれて。……じゃ、帰ろうか」
「うん」

家に帰って、ブラックの部屋に帰ると、ブラックは窓から身を乗り出した。
「ありがとう」
すると、ブラックは、急に力が抜けたように座り込んでしまった。
「……疲れた」
「本当、ありがとう」
「ううん、大丈夫。……あ、窓、開けてあげてきてくれる?」
「うん」
ブラック部屋の隣の部屋、入った瞬間に沢山のポケモンがボクを見た。
窓はもう開いていた。
「あ、誰か開けてくれたんだね」
『ゾロアークが開けてくれました』
「ありがと」
『いや、全く。……新しいポケモン連れてるな』
「あ、うん。……仲良くしてあげて?」
『分かった』
モンスターボールを開ける。
『……』
「メノクラゲ、って言うんだって」
『よろしくね』
まず笑って言ってくれたのはエルフーンだ。
メノクラゲは周りを半分警戒、半分不思議そうに見ている。
「この子達はボクとブラックのトモダチ。キミとも……仲良くしたいから、まずは人間が嫌いなら、この子達と話してみてよ」
『そういえば……どうして、お前は俺の言葉が』
「あ、……うん。ボクには、ポケモンの声が聞こえる。小さい頃からずっと」
『……ずっと?』
「うん。だから何か人間に言いたいことが有ればボクに教えて。直接が嫌ならここの子達に言ってくれていいから」
『……』
「あ、あと」
周りを見回して、また、メノクラゲを見る。
「この部屋の中なら自由にしていいからね。外に出たかったら、昼間ならいいよ。…でも、夜帰ってきてくれたら嬉しい。あ、強要はしないから。……帰ってこなくても、ボクはもう、悪さしないなら探さない」
メノクラゲはボクを変なものを見るような目でじろりと見た。
ボクは小さく笑って見せた。
『変な奴』
「よく言われたよ。昔、この子達がキミみたいに人が嫌いだった頃」
『本当に、変な奴だ……』
「……うん、変なのかもね。……皆、任せていい?」
『大丈夫だ』
『いいですよ』
皆が頷いてくれたのを確認してから、ボクは踵を返しかけ、また振り返った。
「嫌いな食べ物、ある?」
『……特には』
「よかった!お母さんの料理、美味しいよ」
そして、また踵を返し、ドアを押した。

「メノクラゲ、どう?」
「根はいい子みたいだよ。仲良くしてくれたらいいけど。あ、やっぱり、ボクに窓を見に行かせたの、そのためだったんだ」
「N、勘が働くようになったなあ」
ブラックはゆっくりベッドに腰掛けたまま大きく伸びをした。
「そうだよ、窓なんて誰かが開けると思った。でも、直接あいつのためって言ったらあいつなんか言いそうだったし」
「確かに、なんでとか言いそうだね」
「なんか意地張りそうだろ?だから、ついでだから気にすんな、みたいな。な?」
「うん。……いつかブラックの優しさにも気付いてくれたらいいな」
ブラックの隣に腰掛けて、手を握る。
ブラックは、何も言わずにボクにもたれ掛かってきた。
「?」
「なんか疲れちゃったから、こうしてて、いい?」
「あ、……いいよ」
改めてブラックを見ると、冗談じゃなく確かに少しぐったりした感がある。
確かに、ずっと全身に念力を受けて動かない身体を無理に動かす訳だから、疲れるし、消耗もするだろう。
「ブラック、少し寝てもいいよ」
「うん……そうする」
ベッドに寝転がったのを確認して、ボクはまたブラックの手を握った。
「本当に、ありがとう。助かったよ」
「ううん。本当大丈夫。気にしないでいいから。ただ……傍にいてくれたらいいから」
「うん」
握った指から少しずつ力が抜けていく。
ブラックが規則正しい寝息を立て始めてから、ボクはそっと息を吐いた。
久しぶりに、未来に近い夢を見たな……。
水に落ちそうになる夢を見た。でも落ち方も違ったし、完全には落ちなかった。
ブラックが居たから、落ちなかった。
見えてた未来にはブラックは居なかった。
……ブラックの存在が、ボクの未来を変えてくれる。
ブラックの寝顔をそっと窺うと、ブラックは幸せそうな顔をして眠っていた。


未来予知が外れてく
キミがきっとシアワセな未来にしてくれるんだろうな。


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