「ブラック、Nは?」
「え?」
ある、晴れた日だった。
ふと気がついたらさっきまで隣に居たはずのNが居ない。
「……母さん、知らない?」
「知らないから聞くんじゃない。……迷子かしら」
母さんは困ったわー、なんてぼんやり言いながら空を見上げた。
……ああ、捜しに行けと。飛べるだろと。
……言われなくても、捜しに行くけど。
Nはまだまだ多少慣れたと言っても人が苦手だ。嫌な思いをしているかもしれない。
「……分かった、……N、まだ道分からないみたいだし、探してくる」
「そうよ、きっと困ってるわ」
僕はモンスターボールを一つ放った。
「シンボラー、Nを捜したいんだ。……多分、そんなに遠くには行ってない……と、思う」
シンボラーの背に掴まり、ふわりと舞い上がる。
「ブラック、なるべく早く帰りなさいよ。夜は冷えるから」
「うん」

「……いないなあ」
空から街を見下ろしながら、僕はぼんやりと呟いた。
家、帰れたのかな、なんて考えながら、ふ、と町外れを見ると、
「……あれ……は、」
ダイケンキ、……チェレンのだ。
「チェレン、どうしてあんな所に居るんだ?……シンボラー、下りてみて」
シンボラーがゆっくりと高度を下げたのを見計らい、飛び降りる。
多少地面との距離を間違っても、シンボラーの念力で怪我したことは無かった。
「チェレン」
「あ、ブラック……、」
チェレンは、川の岸辺に立っていて、ぴっ、と一点を指差した。
「あれ」
「?」
「ブラックの……トモダチなんだろ」
見ると、服をびしょ濡れにして、いつもはふわりとした髪の毛も水でぺったりさせたNが座り込んでいた。
「N……?」
「溺れてたんだよ。なんでか」
「N、どうしたんだよ」
駆け寄ると、Nは顔を上げて、こっちを見た。
「ブラッ、ク……寒いね」
「そりゃ……寒いだろ。……どうして川なんか入ってたんだ?泳げないんだろ?」
Nは、うん、と小さく頷いて、
「ヨーテリーがさ、一匹溺れてたんだ。近く歩いてたら声が聞こえて、よく分からないうちに飛び込んじゃってて……助けられたんだけど、……なんか、急に深くなって」
と言った。
「……な、N。ポケモン、持ってたろ?」
「……忘れてたんだ」
Nは前髪から雫をぽたぽたと零しながら、僕の後ろのチェレンを見た。
「ブラックの……トモダチ、だよね。前、会ったこと、あるよね」
「うん」
「……ありがとう」
Nがふわ、と笑ったのを見て、チェレンは少し意外そうな顔をした。
「……そんな顔、するんだね。前はしてなかった」
「うん……昔は、あまり笑えなかった気がする」
チェレンはNのびしょ濡れの姿を見て、
「ブラック、エンブオーは?」
と聞いてきた。
「あ、そうだな。……エンブオー、Nを暖めてやって」
ボールを開けて、エンブオーに指示を出すと、エンブオーは炎をいつもより強めに燃え上がらせて、Nの傍に立った。
「暖かい……ありがとう」
Nは濡れた手を払って乾かしてから、エンブオーにそっと触れた。
「え?……うん、うん……ああ、そうだね」
それからエンブオーを見ながら何か言っているので、喋っているらしい。
「え?……やだな、もうしないってば。でも心配してくれてありがとう」
「何って?」
「えっと……泳げないくせに何で飛び込むんだよ、って。心配したとも言ってくれたよ」
「エンブオーも僕と一緒だな。……な、エンブオー。Nはやっぱり少し不思議だ」
エンブオーの頭をがしゃがしゃと撫でたらエンブオーは楽しげにぽぽっと炎を舞わせた。
「……本当に、言葉分かるんだね」
「あ、うん。N、なかなか喋れるみたいだよ」
「すごいな。……それにしても、変わったね。前と全く違う。……前は、もっと、何と言うか、自分がはっきりしてなくて不安げだった気がするけど、今はなんだかなんとなく幸せそうだ」
チェレンはNにそっと手を差し出して、
「ブラックもベルも仲、良いんだって聞いたよ。だからボクも今なら君と分かり合える気がする。話してみたいとも思ってた」
と言った。
Nは、僕の顔を見てから、ゆっくりその手を握った。
「よろしく、」
「うん。よろしく。……でも、今日はとりあえず帰りなよ。風邪ひくから。……ほら、ブラック」
「あ、うん。……帰ろう」
「うん」
Nはおとなしく立ち上がって僕の手を握った。
「じゃあな、チェレン」
「サヨナラ、チェレン君」
「うん、また」
チェレンに手を振ってからNを連れて家に帰った。
玄関先にNを立たせて、
「タオル取ってくるから、靴下脱いで裾たくってから上がってて」
と僕は先に上がって、タオルを持った所で、母さんに声をかけられた。
「ブラック?帰ってるの?」
「あ、うん。……N、川に落ちてた」
「あら……大丈夫?」
「なんとか。風呂沸いてる?」
「ああ、沸いてるから先に入ってもらおうかしら」
そうするよ、と言いながらもう僕は振り返ってNの元に歩いた。
「N、大丈夫?」
「うん」
Nは僕が言ったように裸足で玄関に立っていた。
タオルでNを包むようにして、
「風呂、沸いてるから入っちゃってて」
とNに言うと、Nは分かった、と頷いて、風呂場に歩いていった。
それから僕は居間に戻ってぼんやりとしていたら、母さんにまた話し掛けられた。
「ブラック、N、どうして川に落ちてたの?」
「ああ、泳げないのにポケモンが溺れてるの助けようとしたんだってさ」
「溺れてたの?」
「ううん、チェレンが通り掛かったらしくて助けてくれてたよ」
「あら、チェレン君が。よかったわね、チェレン君のおかげじゃない」
「……うん」
何と無く面白く無くなってまたテレビに視線を戻してみたら、後ろからぷっ、と吹き出す声を聞いた。
「なっ、何だよ……」
「いえ、まだブラックにも可愛らしい所残ってるのね、と思って」
「……何だよ、可愛いって」
「妬いたんでしょ。チェレン君に」
「妬いてないよ」
あまりにも母さんが楽しそうだからさらに面白くなくて、僕はテレビをまた視界の中に入れた。
「……ブラック」
かちゃり、とドアが開いて、Nが顔を覗かせた。
「あ、N」
「……ブラック」
Nは僕に俯きがちのまま近付いてきて、きゅ、と僕の服の裾を掴んだ。
「どうしたんだ?」
「……ごめん」
「え?」
「……えっと、あの、」
Nはぐいっと逆の袖をたくし上げて、
「怪我してきた、みたい」
と泣きそうな声で言った。
「そんな、仕方ないじゃん。大変だったんだろ?……それに、大丈夫。そんなに深くない。すぐ治るよ」
「でも、……ボクはブラックに怪我しちゃ嫌だって言ってたのに」
「いいの。不可抗力。仕方ないから。……母さん、絆創膏」
「ああ、うん。これくらいなら絆創膏で大丈夫よ」
「……ばん、そーこ……?」
Nは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「何、それ……?」
「え?」
Nの顔を覗き込んだら、どうやら本当に知らないらしい。
「絆創膏。……知らないのか?」
「……うん……医者の名前?」
「いや、違う」
「ほら、絆創膏」
「あ、ありがとう。……これ」
ぴらり、と紙に包まれたままのそれを見せたら、Nは珍しそうにそれを見て、
「これで何するの?」
と聞いてきた。
「傷口に貼って、細菌の侵入を防いだりするんだ」
「すごいね」
「……普通なんだけどな」
Nの腕にそっと手を添えて、傷口に紙を剥がして貼り付ける。
「できた」
「うわ、すごい」
Nはしばらくそれを興味深げに見ていたけど、すっと顔を上げて、ありがとう、と言ってくれた。
「いいえ」
僕はNの肩をぽんぽんと叩いてから、
「風呂入ってくる」
とドアに向かう。
「単純ね」
なんて母さんの声は聞こえないふりしてやっておいた。


単純野郎で何が悪い
好きなんだよ、嫉妬ぐらいするさ。


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