がらがらと崩れていく建物。何人がその中に居たのだろう。 「分かった?……あれが、彼だよ」 戦いの中であっても、あそこまでのことをする必要は、有ったのか。生き埋めになり潰され息絶えていく呻きの中、彼はコンクリートを掻き分け、一人の男を引きずり出し、持っていた縄で拘束した。 「……、ブラッ、ク……」 「こいつだろ?相手の重要人物の一人って奴」 ぼろぼろの指でその男を引きずり、味方の兵に引き渡した。 「だからって、こんな……!」 「……別に、大して人間は居なかったよ。居たのは、敵兵。ここ、兵士の住居だから。一般人は別に巻き込んでない。約束は守ってる。……帰る」 血に塗れた背中を見送る。 「N」 「……チェレン、ボク……」 「あれが、ブラックのあの性格の代償だよ。幼い頃押さえ込んで忘れたままにした、そのままのね」 「……っ」 ブラックと再会したのは、ボクが一度転校してから、また戻ってきてからの、間を5年空けてのことだった。 「久しぶり。会えて嬉しいよ、N」 笑う顔には、確かな面影と大人っぽさが同居し、吐き出される声は子供っぽさを失ってきていた。 「うん、ボクも。ずっと会いたかった」 ブラックの笑顔はやっぱり昔のような優しさに溢れていて。 ……でも、彼の首には、何かの機械が付けられていた。首輪のような、機械。 「……気になる?」 「あ、……うん」 「何か、良く分からないんだけど……観察?実験?僕の何か、まあ色々なものを測定してるんだってさ。僕には分からないけど。どうして僕なんだろうなあ、別に不便は無いからいいけど」 「本当に?」 「うん。身体が悪いとかじゃないらしいし、しかもこれ付けてるだけでなんか金貰えるし。今一人暮らしだから、むしろ助かって仕方ないぐらいだよ、まあ……」 そこで言葉を濁らせる彼を、促す。 「まあ、何?」 「……うん、高校卒業と同時に、軍に入るって誓約書書かされてさ。それまでに終わってれば良いけどな、戦争」 「ブラック、喧嘩も嫌いなのに……!」 「うん……どうして僕なんだろうな」 また吐き出される疑問に答えは見付からない。ブラックが手を添えた機械は鈍く重い輝きを跳ね返し、そこに有った。 「ブラックの機械、何か知ってる?」 「え?……ああ、体温や、脈拍とかを測ってるんだろう?」 「……うん、まあ」 座りなよ。長くなるから。 そうチェレンに促されて隣に座る。 「……あれはね、ブラックを監視してるんだ」 「え?……それ、どういう、こと……?」 「ブラックは、犯罪者なんだ。それも、死刑判決を受けたね」 驚き過ぎると、感情は停止する。何も言えず、何も出来ない。 死刑?ブラックが?……虫も殺さぬ、そんな言葉がぴったりとはまってしまうような、ブラックが、 「死刑……?」 死刑って、殺人、それも本当に酷いものとかを犯した時に下るものだろう?……いや、殺人に酷い酷くないなんて、無いけど、でも。ほら、何人も無差別に殺したとか、そういう罪を…… ブラックはあの時も、それからも、そんなことをおくびにも出さなかった。あんなに優しくて嘘を吐くのが苦手なブラックが、そんなに器用にやれるか、疑問だし、まず、そんな事実が……全く、信じられない。 「事実だよ」 チェレンの声は淡々と冷め、希望の淡い光を残さず掻き消した。 「ブラックは、ブラックの家族全員を殺した。ある晩に、台所の包丁を使って全員めった刺しにしたんだ。そして家には火を」 どこか、声が離れていく。ゆらゆらと世界が揺れるよう。 「すぐに捕まったブラックは、けろりとした表情で『殺したかったから殺した。悪いとか、全く思わなかった』とか言ったらしい。いつものブラックと明らかに掛け離れすぎた様子だったから、ブラックはすぐに精密検査されて……分かったんだ。『あれ』は、ブラックの破壊衝動の塊だ。幼い頃ブラック自ら遠ざけ、汚いものに蓋をするように無視して、忘れたままにした、汚い欲の純粋過ぎる塊だ」 「で、でも……」 やっと絞り出した声は掠れ、震えた。 「ブラックは、……ブラックは、破壊衝動なんて……」 「Nがブラックに出会う前」 「……」 「ブラックは、子供の頃は……まあ、残虐な子だったんだよ」 淡々と語られる真実、ぐらぐらと頭が、……気分が、悪い。 「生き物とそうでないものの違いが分からないと言うか……蝶の羽をむしって、鱗粉塗れの手を見て笑ってた。僕も首を絞められたことが有るし、ブラック自身あまり生死を理解してなくて、刃物は疎か鉛筆すら握らせてもらえてなかった。……でも、ある時唐突にブラックは自分自身がしてきたことの意味を知った」 チェレンの声は確かに隣で溢れ続けているのに、それすら曖昧に歪んでいく。 「……ブラックは飼っていたペットを殺した。拾ったばかりの小さな小鳥だった。……冷たく動かなくなったぼろぼろの小鳥を見て、ブラックは分かってしまったんだ。……そして、壊れてしまった。自分自身の破壊的な性癖を呪い、何日も自分の部屋に閉じこもって……また出て来た時には、ブラックは破壊に関する記憶一切を失っていた。同時にあれだけ酷かった破壊衝動も、全く見えなくなった」 ブラックのボクの知らない過去が紐解かれ、ばらばらと落ちていくような。優しい笑顔に隠れた顔が、……怖かった。 「でも、見えなかっただけだったんだね」 小さな息を。そして。 「ブラックの中で、ブラック自身も知らぬ間にそれは膨れ上がっていった。そして、あの晩に弾けたんだ。……ブラックの中には、もう一人のブラックが住んでいる。それが、ブラックの家族を殺した犯人だよ」 ……とても、信じられない真実。あんなに穏やかな彼の中、そんなに激しいものが同居しているなんて、信じられなかった。 「だからあの機械でブラックは監視される。ブラックが、破壊衝動に動かされた瞬間、あの機械がブラックを押さえ込むらしい。場所もすぐに送られて、元に戻るまでは連れていかれて監禁されるんだって。……そこまでしてもブラックを生かすのは、戦力としての利用価値を見出だしたから、それだけでしかないんだよ」 戦力、破壊衝動、……ブラック。 「信じられないなら、見てみる?……今でも、たまにブラックは戦争に行くんだよ」 そして見てしまったのが、ただ、敵だからと言う理由で人間達を一人で目茶苦茶に殺していくブラックの姿だった。 「N」 「ブラッ、ク……」 「どうしたんだ?顔色が悪い」 「……」 心配そうに覗き込んで来る彼の向こう、あんなものが隠れていたなんて、全く気付かなかった。 正直……怖かった。あの記憶を全く持たないらしいブラックでさえ、恐れてしまう程に、……怖かった。 「……Nも……僕が、嫌なのか」 ふっ、と影が引く。 「、ブラック?」 「……知ってる。僕、……分からないけど、……でも、知ってる……僕は、汚いんだろ、……嫌なんだろ……、……知ってるんだ、僕、避けられてること。僕が知らない人にまで、避けられてること……僕って、人間じゃなくて本当は何かの実験動物なのかな……」 ブラックは一瞬首の機械に触れ、ぱっと背を向けた。 「……ごめん、嫌な思いさせた。帰っていいよ。……僕、一人で考えるから。自分が何なのか」 「違……」 「……」 「違うんだブラック、ボクは……」 「……」 ブラックの背中は、小さくて、寂しげで……微かに、震えていた。 「ブラック……!」 「来ないで、っ……お願い、一人に……」 「居ないと思っていい……だから、居させて」 「……、ありがとう」 静かに泣く気配を背に感じながら、ボクは小さく空を見上げた。泣き出しそうな空は、まるでブラックの気持ちを映すようで寂しかった。 その次の日、ブラックは学校に来なかった。ただの病欠と先生は言うけれど、実際は分からない。 ブラックの二つの面を知ってしまった今、彼の姿が見えないのは重大な不安材料だった。もしかすると、今この瞬間も彼は…… 「Nくん」 「ベルちゃん」 「何か悩み事?ここがきゅうってなってたよ」 眉間の辺りをやわりと指して、ふわ、と笑う。 「ブラックなら大丈夫だよ。あれでもブラックは強い子だから」 「そんなこと……!」 「……うん、分からないよ。でも、信じるよ。だって、ブラックはブラックだもん。戦地で暴れてるあの子も……ブラックだもん。いつか、大丈夫に……なるよ。きっと」 ベルちゃんはポケットから飴を取り出して、ボクにくれた。 「いつかちゃんと……『あの子』ともお話出来たら、いいね」 「……そうだね」 「お話、ね……」 「あ、チェレン、おはよう」 「おはよう、ベル、N」 チェレンは近くの空いていた椅子に座り、ボク達の会話に対する意見を出してくる。 「お話できたら、いいなって……簡単に言うけど、『あいつ』の感情は9割9分破壊衝動なんだよ?」 「……でも、人間だから」 「N……命は大切にしようよ」 「死なない。……ブラックには、殺されない」 「そうよチェレン。ブラックがNくんを殺すなんて……無いって、思いたいじゃない」 「……」 ブラックのことは皆大切で、助けたいとも思っている。でも……分からないんだ。彼は、本当は誰なんだ?と投げかけずに居られない。真実が知りたいと望みながら、それを受け入れる自信は充分と言えず、中途半端な思いは事実に煙にまかれ、真実に辿り着けずに彷徨い崩れていく。 馬鹿みたいに笑い飛ばしてしまいたい、そんなことを思ってもそれは無理な話。重たい問題が背にのしかかり、笑う余裕をじわじわと奪っていく。 「ブラックに……ブラックと、話さなくちゃいけないんだよ。遅かれ早かれ、いつかは……」 「……それは、そうかもしれないけど」 不安そうな表情。ボクだって……不安だ。 でも、ブラックのことを信じたいし……助けたかった。 『彼』に話し掛けるタイミングを失ったまま、ボクは終戦の日を迎えた。 戦況を一気に押し切ったのは、とある『兵器』だったらしい。 「ブラック!!」 開け放ったドアが大きく音を立てるのも気にせず、ボクは彼に駆け寄った。 「……」 ……瞳を閉じ、ぴくりとも動かない。 「どうして……?」 ブラックの身体には、沢山のケーブルが繋がれていた。点滴、なんて物じゃない。ケーブルだ。 首に『埋め込まれた』機械に、そのケーブルは伸びる。 「……、」 ゆっくり、彼の髪に触れる、と……彼が、目を開いた。 「……誰だよ」 「っ……」 「身体、……動かないんだけど」 「ブラック……!」 「……ああ、思い出した……お前、あいつか……」 『彼』は、ふっと笑った。 「Nだっけ?お前……『僕』が好きなんだろ」 「……うん」 「……悪いことは言わない。やめた方が賢い」 「どうしてさ!?」 「分からないのか?」 『彼』は、少し寂しげにケーブルを見やり、続ける。 「戦争が終わりました。平和がやってきました。兵器は不要です。むしろ平和を乱す害悪です。……さあ、どうする?」 「そん、な、こと」 「有るから言うんだ」 彼の目が、ゆっくりと瞬く。 「この機械が、『僕』をこの場に固定する……『あいつ』は、もう壊れた。お前が好きな『あいつ』はもう居ないんだよ。……僕が一番壊したい物だったのに、勝手に壊された。僕の知らぬ間に」 「嘘だ……!」 「嘘じゃない。……無駄に高められた感覚が話、全部拾ったよ。『僕』は元から死罪の罪人。殺したって、何の波風も立たない。いらなくなった兵器、そして危険な罪人……同時に処理するつもりらしい」 「処理、なんて」 「処理だよ……!!」 ぎり、と睨みつけられ、背筋が凍るような恐怖を感じた。 「色々悩んでるが全て僕を消すことさ、自分達に何の影響も無いように!」 睨みつける瞳に、射竦められたように動けない。『彼』の語る真実に、潰されそうだった。 「殺したい……誰も彼も関係ない、皆殺してやりたい……!僕を利用した奴、僕を蔑んだ奴、……知らない奴もだ……!!」 「そんな、」 「僕は……必要とされたことが、無いんだよ。自分自身にも、捨てられた。無視されて……忘れ去られた」 なんて寂しいこと、そう言って終わってしまうのは簡単だ。 でも、そんな言葉じゃ足りない。聞いた話を総括すれば、『彼』が無視され続け、どれほどの年月が経過しているのか。 「キミは……」 ただ、悲しかった。何も悪くない、とは言えない。でも、『彼』だって、確かに生きている人間で、『ブラック』の一部。優しくて、思いやりの心を持った、『ブラック』の一部なんだ。 そんな『彼』が、傷ついていないはずがなかったのだ。 「ごめん……」 「どうして、謝るんだよ」 「だって、君は、本当はずっと苦しんでいたのに……!」 「……ほんと、お前って」 ふっ、と『彼』は微笑んだ。 「どうして僕にそんなに思い入れられる?僕は、もうただの兵器でしかないのに」 「そんなことない!」 『彼』の服を掴み、目を合わせる。 「今だって!キミは本気になれば僕の事殺す事なんて本当は容易いんだろう!?なのに、今君はそれをしない。……本当に『君』が死んで壊れてしまったというなら、それは『君』にだって破壊衝動以外の感情があるってことじゃないのかい!?」 「……それは」 一瞬、目が、泳いだ。 「僕は……」 ゆっくりと、ボクの頬に指が触れた。 「……そう、だな」 小さな呟きが、耳を撫でる。 僕は……ずっと。その声は、唇からでなく、耳に直接滑り込んでくるようだ。 「……お前に出会う少し前、僕は大好きだった小鳥を殺した。その時、手から流れ落ちる体温に、心が震えるような感覚を覚えたのを、今でも覚えている」 暗い色を湛えた瞳が、小さく揺れている。 「それは、喜びや快感なんてものじゃなかった。自分のしたことに対する恐怖だった。……でも、それと同時に、どこか感じた充足感……それが、いけなかった。僕は『自分自身』を憎悪し、嫌悪し、遠ざけ、無かったことにしようとした。……でも、その時に『僕』は生まれてしまった。どこかあの充足感を忘れられなかった僕は、『僕』として残ってしまった。でも、それを認められない僕は、『僕』を無視し続け、結果、忘れていった」 自嘲するような笑みが浮かぶ。 「『僕』は憤った。どうして、『僕』を生んだのは僕なのに、無視するのかって、ずっと。燻ぶる思いが爆発したとき、僕はまた大切なものを破壊していた」 「それは、」 「そう、これがあの事件の顛末。僕は、あの時から少しずつおかしくなっていった。『僕』の存在をまだ認めきれず、揺らいだ。そんなところを、この機械で滅茶苦茶にされたんだ」 首にはめられていた機械は、今は完全に埋め込まれていて、外すことは簡単でなさそうだ。 「僕が気付いたときには、この状態さ。今はもう死を待つだけの状態ってところかな。この機械で、きっと『僕』も破壊され、空っぽになって何の抵抗もしない僕を楽々殺して幕引きさ。きっとここにお前を入れてくれたのも、もう僕が死を待つだけの状態で、どうしようもないって分かってたからさ。それに、きっとお前の中からも僕の事は消されるんだろうな……今も聞き耳立ててるのが、いる」 「そんな……」 「だから、ほら、耳貸せ」 促され、彼の口に耳を近付ける。 「……コード、全部纏めて引き抜いて。……これをすれば、お前も犯罪者だ。でも……もし、僕と、逃げてくれるなら……」 ゆっくり、『彼』が、微笑んだ。 「『僕』も、お前が好きらしい」 迷わなかった。彼の首から伸びたコードを、一気に引き抜いた。 瞬間、世界が回るような衝撃とともに、激しい音が聴覚を支配した。 「耳塞いで、目、閉じろ。刺激が強い」 耳元に囁かれた声。一瞬周りに目を走らせる。彼に、横抱きにされているらしい。 「軽い……身長は負けてるのにな」 冗談っぽく笑む顔は、やっぱり『ブラック』とは違い、でも、やはりどこか同じなのだと感じさせる。 『ブラック』ではありえないほどの運動能力で、町を駆け抜けていく。街中では流石に大々的な攻撃は出来ないらしく、追ってくるのも少数の人間だけだ。 「『あいつ』が戻ってきたら、嬉しいか?」 「え?」 「……いや、後でいい。もう耳を塞いでいろ。そろそろ街を抜ける」 「あ、ああ」 言われたように耳を塞ぎ、目を閉じる。 当たり前だが感じる衝撃はそれでは消えず、どこを走っているのかなんてすぐに分からなくなる。激しい衝撃音は耳を塞いでいても届くほどで、そんな中全く痛みを感じないのだから不思議で。まるで何かの映画の音だけを聞いているようだ。とはいっても、衝撃は充分感じるのだが。 そして、微かに感じる息遣いと、ボクを抱きしめる腕の暖かさで、彼の存在を感じる。 その鼓動を感じながら、僕はさっきの彼の言葉を心の中で反芻していた。『ブラック』が帰ってきたら。確かにそれは、嬉しいし、きっと喜ばしいこと。……でも、そうなったとき、『彼』はまた無視され、忘れ去られてしまうのか。そう思うと、素直にそれを望めない自分もいる。 『ブラック』と『彼』、どちらかしかこの世には存在できないのなら、ボクはどちらを望むべきなのだろうか。 その問いに答えられるほどの強い答えは見つからず、僕は小さく息を吐く。ボクの心の中に、はっきりした答えがない以上、あいまいなままの答えを吐きだすのはよくないだろう。『彼』を混乱させるのも嫌だし、口に出すことで安易に答えを固めてしまうことも怖かった。大切なことだ。じっくり考えたかった。 ふと、衝撃が収まっているのに気づいた。ゆっくりと耳を塞ぐ手に手が触れる。手を離すと、声が落ちてくる。 「一応ある程度逃げたから、一旦ここで休憩」 「あ……」 瞳を開くと、『彼』は僕を地面に下ろした。廃屋、らしい。 「雨漏りしそうではあるけど、一応雨は降りそうにないから大丈夫だと思う」 「うん。そう、だね」 そして彼は、首の機械に触れる。 「これ、多分GPSとか付いてるんだよな」 「やっぱり……?」 「まあ、兵器だし管理は徹底される。……今から行こうとしているのは、戦時中でいえば、敵国だったところだ」 「敵国!?」 「あっちに行けば、妨害電波があって、こっちのGPSが効かない。……問題は、それがまだ生きているかだけど。生きているなら、ここでも充分効果が発揮されているはず」 天井を見上げた彼に倣い、見上げる。 「あと、向こうは技術力はこっちより勝っている。だから、この機械、どうにか出来ないかって。勿論ただでとはいかないだろう。被検体として多少いじくっても良いって言うつもり。今までもう十分やられたし、今更気にしないさ」 「でも……」 「まあ確かに、僕は兵器としてたくさんのあっちの人間を殺してる。だから、見つかった瞬間殺そうとしてくるかもしれない。でも……良いんだ。その時はその時。また逃げりゃあいい。それに、何の伝手もなく行こうとしてるんじゃない。あっちの研究所に、僕達の開発者がいる。こっちでは罪人にされて、あっちに逃げてるって情報を聞いた。そいつを当たるつもりだ」 「そう、なんだ……開発者……」 開発者。きっと、この機械を作った。確かに、開発者がいるというなら妨害電波を作るのは簡単だったろう。 ただ、開発者を罪人にしておいて、その技術だけは使うのだから、本当に最低だと思う。今までこの国で生きてきたことが、嫌になってしまう。 「きっと、危険な道になる。……ごめん、巻き込んで」 「大丈夫だよ!」 「そ、か。ありがとう」 でも、と続いた呟きは結局ボクには届かず、彼はまた歩き出した。 敗戦した。その事実が色濃く刻まれた町並みに、ボクは思わず息を飲んだ。 その町を彼は駆け抜け、ある男性の家を訪ねた。……その男が、開発者だった。 「で?この機械、どうにかならないのか?」 「……お前は、S-7883だな」 「……そんな感じだったか」 男が、首の機械に触れる。そして、少しそれを見て、 「確かにお前は、S-7883だ」 と呟いた。 「何ですか、その、番号みたいなのは」 「製造番号……みたいなものだ。あそこでは、被検体を番号管理していた。本当に機械のような扱いしかされなかったんだ。……私は、この技術を対人用として作った覚えはなかった。軍用犬、とかいるだろう?あんなものを対象に作った技術だった。だが、あいつらはこの技術を人間に使い、反対した私を罪人に仕立て上げ、国外追放した」 髪の毛を、ゆっくり撫で、男はブラックに言った。 「すまない事をしたな……お前たちの事を滅茶苦茶にしてしまった」 「お前じゃない。あいつらだ」 「……S‐7883、名前は何と言う?」 「……ブラック」 「そうか、ブラック……お前の首のその機械、それは、本当に私が作ったものでも最終段階の、とても強力なもの。それを着けられてそうして意思を保っている方が不思議だ」 男は、本当に心底不思議そうに言う。ブラックは、小さく目を伏せた。 「……いや、僕が生きる代わり……『僕』が、死んだ……」 「そうか、お前は……二重人格」 「そんないい物じゃない。僕は『僕』の残りかすで人格であるかのようにここに在るだけで、元はと言えばただの破壊衝動と過去の記憶だけの存在だ」 どこか寂しそうな声音。そして、また顔を上げた。 「これをどうにかして、『僕』がまた存在できるようにする手は無いのか?」 「そうだな……無くは無い、だろう」 「なんでそんなに曖昧な、」 ボクが言い募ると、男は難しそうな顔をしてブラックを見つめる。 「今の彼は、元の人格が死んだことでここにいる。だから、元の人格が戻ってくれば、また埋もれてしまうか、もう混ざり合って消えてしまうだろう。今、すでに混ざりかけているようではある。それに、その機械の場所だ。首からの摘出となれば、リスクも高い」 「……僕は死んで構わない。『僕』が戻るなら。……確率は?」 「まあ、そんなに低くは無い。お前の意思次第、と言った位だ」 「やってくれ」 「え、でも!」 「……もともと僕はただの破壊衝動と少しの過去の記憶でしかない。『あいつ』が戻れば、僕は存在しているようなものだ」 「でも、君は……忘れられてしまうかもしれない」 「いいんだよ」 彼の凪いだ伽羅色がすっと細められた。 「僕は、確かに兵器さ。危険な兵器。『僕』はだから僕を遠ざけた。今ならわかる……半分『あいつ』みたいになった今、僕にもその気持ちが理解出来る……。僕は、お前を殺したくない」 ボクの髪の毛を、そっと撫でる。 「いつか、僕は今までに壊してきたもののように、一時の衝動でお前を壊すかもしれない。そうなれば……もう、僕は……耐えられない。本当に、今度こそ壊れてしまうだろう。だから、もう僕は……居なくなるべきなんだ」 「でも、」 「N」 「っ、」 初めて、『彼』に呼ばれた名前。そして、心のどこかで、もうこれを最後にするつもりなのだと、分かってしまった。 「僕は、きっともう後悔も、憤りも、しない。もう、いいんだ。子供じみたこんな感情、もっと早く捨てるべきもの。僕は、成長出来ていなかっただけ……成長するきっかけが出来たんだ。感謝すべきことで、悲しむことじゃない」 最後に、ボクの頬に口付ける。 「泣く事無い。『僕』と、一緒に居てくれればいい。……さて、じゃあ、お願い。やってよ」 ブラックは、男と一緒に奥の部屋に消えた。 最後に、小さく背中越しに手を振って。 最後に見送った顔は、『彼』の最期で、見た中での初めてと言えるぐらいの明るい笑顔だった。 そして、彼を待ちながらゆっくり考え……気付いた。あの時、僕と逃げると決めた時……『彼』は、告白してきていたのだと。 ボクは一人考え……悩んだ。 ブラックはあれから無事に手術を終え、『彼』は居なくなってしまった。 そして、今。ボクたちは、二人で生活を始めた。 「あー、やってしまった……」 「どうしたんだい?」 「いや、なんかさ……上手くいかなくて」 ブラックの視線の先、泣きながら駆けていく小さな少女。 「……子供は、苦手だな。難しい」 ボク達は、戦争で親や家族を亡くした子供たちを預かり、育てるということをしていた。ブラックは、これがせめてもの罪滅ぼし、と笑う。自分のしてきたことを、すべて思い出してしまったらしいブラックにとって、これが出来る最善と思ったのかもしれなかった。 「Nは、どう?」 「子供、確かに扱いは難しいけれど、嫌いではないな」 「僕も嫌いではないんだけどなあ」 「大丈夫だよ、ブラック元々が優しいし、すぐに慣れるよ」 「そうならいいなあ」 ブラックは近くにいた他の子供の乱れた髪の毛を直してやり、それからすとん、と椅子に座った。 「N、一個だけ聞いていいかな」 「いいけど、どうしたんだい?」 隣に座ると、ブラックは少し声のトーンを落としていった。 「……『僕』がさ、言ったでしょう」 「何を?」 ボクに小さく耳打ち。 「『僕』も、Nが好きだよ」 かあ、と顔が熱くなるのが分かる。 ブラックは小さくはにかむように笑い、立ち上がった。その背に、ボクはあの日の『彼』の影を見て。 ああ、そうか。『彼』はこんなことを言っていたのかもしれない……そう、思った。 neglect and oblivion 彼も、『彼』も。どちらも幸せならいい。 back |