救出作戦
2013.06.18.Tuesday
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漆黒の廊下を覚束ない足取りで歩みを進めるのは、桜花の精神の中に入り込んだキングナイトメアだった。
彼は先程連れて行かせたソレイユとミーシャの元へ向かっていたが、体を乗っ取ってすぐに動き出した為、今ひとつ精神と肉体がかみ合っていない様子であった。
「くそっ…動くにはまだ早かったか…」
忌々しげにそう呟きながら歩くキングナイトメア。
しかしそんな彼の背後から、威勢良く呼び止める声が一つ。
「おい、待てっ!」
「!……貴様は…」
乗っ取った桜花の身体を動かし振り返った先には、角から姿を現した白沢が其処にいた。
彼女の声を耳にしたキングナイトメアは、不思議そうに尋ねる。
「貴様は…男、だな。一体何処から入り込んだんだ?」
「そっ…そんなことはどうだって良いだろうが!」
聞かれたくないことを訊かれ、白沢はやや焦りながら話をはぐらかした。
しかしすぐに気を取り直すと、真剣な面持ちで目の前の廊下に立つ桜花に向かって言葉を続ける。
「それよりお前、さっさと桜花先生の身体から出て行け。…じゃねぇと、容赦しねぇぞ」
「なんだ、私が入り込む所を見ていたのか」
「ああ。相手が気絶している隙に取り憑く…ってやり方が、いけ好かねぇな」
「ククッ…精神ごと乗っ取るにはこれが一番効率が良いのだよ」
薄紫色の瞳が弧を描き、歪な笑いを浮かべる。
普段の桜花ならば絶対にしない表情に白沢は、取り付いたキングナイトメアに次第に苛立ちを募らせた。
「おい、さっさと出て来い…容赦はしねぇと、最初に言った筈だ」
「貴様に出来るのか?中身は確かに私だが、この身体はこの女のものだ。私を殺せばこの女も死ぬ、という事だぞ」
「そんくらい十分分かってるさ。要は、死ぬか死なないかのギリギリを狙えばいいって話だろ?」
言いながら、白沢は両手から靄状の“気”を発する。
それを見た途端、桜花の表情が訝しげなものへと変わった。
「俺の妖術はな、全てのものを消滅させるっつー、少々厄介な術だ。けど力を上手く扱えるようになりゃ、相手の“気”だけを削ぐって事もできんだよ」
「ほう…では、この女の気力だけを奪うという事か」
「ああ、本当はお前の弱点である光を使いたかったところなんだがな…あいにく俺は、そういった術は扱えなくてな」
まあこれでも十分相手できるだろ、と白沢が言うと、桜花の声でキングナイトメアはさも可笑しそうに哂った。
「まさかそんな手で私に立ち向かうとはな…全く、貴様等学園の人間共には悉く驚かされる」
「そりゃどーも」
「さて、それでは私も応戦と行くか」
言い終わらぬ内に、キングナイトメアは桜花の体を動かし、彼女の手を廊下の壁へひたりと触れさせた。
するとその触れた壁が隆起したかと思うと、ゆっくり離れる手に合わせて細く長く伸びて行く。
そして壁から現れたのは、一本の真っ黒い剣だった。
鍔も鞘も刀身も、全てが黒一色で統一されたその細身の剣は、西洋の武器であるレイピアとよく似ていた。
その武器を見た白沢は、唖然としながらもやや焦燥を交えた声色で訊ねる。
「おいおい…一体どこからそんなモン取り出した」
「この空間は私が統べている。私が望めば何でもその形に変形し、手にできる。キングならば当然のことであろう?」
皮肉めいた表情と声で言うキングナイトメアは、右手に持ったレイピアの刀身の腹部分を左の指でなぞる。
それを見据えながら、白沢は黙り込んで考える。
―さすがに素手で武器に立ち向かって行くのは、少々困難である。
キングナイトメアの言葉から察するに、あの武器を俺の術で消滅させたとしても、また直ぐに次の武器を何処かから作り出してしまうだろう。
どうすれば。どうすればこの戦いを長引かせられるだろうか。
そうして考えに気を取られていた所為だろうか、キングナイトメアは黙り込んだ白沢を見て、揚々とした声で話す。
「どうした、こないのか?…ならばこちらから行くぞっ!」
「っ…!?」
武器を手にした桜花に一気に間合いを詰められ、白沢ははっとした表情で我に返る。
しかし反応が遅れたのか、レイピアの突きが彼の頬を掠めた。
皮膚が裂け、其処から赤い飛沫が飛ぶ。
しかし桜花の体を動かすキングナイトメアは、攻撃の手を緩めようとはしなかった。
「さっきまでの威勢はどうした?この女の気力を削いでやるのではなかったのか!?」
「くそっ…!」
高揚した声色で白沢を挑発するが、彼はただかわすばかりで反撃をする気配は一切なかった。
それを察したのか、キングナイトメアは軽く舌打ちすると、再び左手を壁に添えて今度はそちらの手にも同じ武器を取り出した。
そしてそのままがら空き状態だった白沢の腹部に、それを突き刺した。
「がはっ…!!」
苦しげな声と共に、彼の口からは少量の鮮血が滴った。
「さっさと反撃をしないと、また腹に風穴が開くぞ?…何なら、頭に開けてやっても良いが」
「ぐっ…!」
レイピアを勢い良く引き抜くと、その傷口からも血が飛び散った。
白沢はその箇所を押さえ、よろめきながらも後退し距離をとった。
「……くそっ…」
目の前の人物を睨みつけるように一瞥した後、一瞬悔しげな表情を浮かべて彼はそのまま、後ろ姿を見せる。
そして暗い廊下を、怪我で足取りが縺れるものの駆け出した。
そんな彼の様子を見て、キングナイトメアは桜花の声で嗤う。
「はははっ!どうした、怖気ついて逃げ出したか!それとも死ぬのが急に恐ろしくなったのか?…どれ、私が直々に死の闇へと葬ってやろう」
左手に持っていた、血の付いたレイピアを放り投げると、それはカシャンと音を立てて床に転がった。
しかしその動きが止まった途端、レイピアは融けるようにして地面と同化して行った。
後に残ったのは、白沢の付着していた血液だけである。
その血溜まりを踏み進み、キングナイトメアは彼の後を悠々とした足取りで追って行った。
もうすぐ十分は経つだろうか。
それまで白沢は、歪んだこの空間の中を逃げ続けていた。
しかし一定の距離間隔で、後方からツカツカと桜花を操る敵の足音が聞こえてきて、休む暇は一秒たりともなかった。
抑えた左手は赤に塗れ、黒いシャツの裾も血で濡れそぼっている。
「はぁっ…この十字路、間違いねぇな…漸く戻ってきたか…」
少々息を切らせながら、白沢は周囲を確認する。
例の十字路に戻ってきたもののそこに人気はなく、代わりに錬金術の術式を書いた跡、鉄格子が破られた跡等が残っている。
敵の黒い悪夢達も消えうせ、完全無人となっていたそこで白沢は天井付近の壁にある、小さい白い矢印を見つけた。
「ったく…あれじゃ逆に目立たなさ過ぎだっての…」
それを見つけた彼は、訝しげに眉根を寄せて愚痴る。
しかし後方の廊下から足音が近付いてくるのが聞こえ、再びその矢印が指していた方の廊下へと慌てて歩みを進めた。
そうして白沢が廊下を抜けて辿り着いた先は、学校の講堂程の広さがある円形のフロアだった。
そのフロアの中心辺りまで来ると、彼は漸く足を止めた。
後を追って来ていたキングナイトメアも、彼が仄暗い中で立ち止まっているのを見つけると、にたりと笑いながら歩みを止める。
「漸く死ぬ覚悟が出来たか?それとも、この女と戦う気になったのか?」
少し息を切らせる白沢に、キングナイトメアは黒のレイピアを翻し、口角を吊り上げて訊ねる。
白沢は、鋭い目付きで彼が取り憑いてる桜花を見据えていたが、ふっと口元に不敵な笑みを浮かべた。
「残念だが、そのどちらでもないぜ」
「…何?」
訝しげな表情をするキングナイトメア。その瞬間であった。
ジリリリリ、と暗闇の中からベルの音が鳴った。
「はーい!きっかり十分!」
そのベルの音と共に、その場にそぐわぬ可愛らしい声が響く。
それに続き、また別の者達の声があちこちからそのフロア内で上がる。
「こっちはOKだよー!」
「こ、こっちも何とか…!」
「よーし、それじゃスイッチオーン!!」
最初に声を上げたその可愛らしい声の主の言葉で、バチンと一斉に何かのスイッチが入る音が響く。
刹那、フロア内が強い白に包まれた。
それとほぼ同時に、桜花に取り憑いていたキングナイトメアが絶叫した。
次第に精神と肉体が共鳴し始めていたのか、声は操っているの者の声へと変わっている。
「うあ゛ぁァぁッ!?な…何だこの光はッ…!?」
膝から崩れ落ち、薄紫色の目を覆って苦しげな声を上げるキングナイトメアに、白沢はふぅっと息をつきながら言う。
「どーだったよ、俺の迫真の演技は?」
「演技、だと…」
「ああ。妖人ってのは、有り難いことに体だけは丈夫でな。これくらいの大きさの穴で貫通されても、そう簡単には死なねぇんだよ」
ぱ、と傷口から手を離す白沢。そこからは既に血が止まり、服についたそれも乾き始めている様子が見受けられた。
先程まで浮かべていた苦痛と焦燥の表情も今や平然としていて、余裕すら窺える。
そんな彼を見て、今度はキングナイトメアが苦渋の表情を浮かべた。
光に当てれられ、体からはまるで炎で焼かれるような音と、煙が昇る。
「このスポットライト達も、俺の学校の生徒達が頑張って作ったり、運んだりしてくれてな。…それにしても、本当によく十分で準備できたな。後で一人ひとり褒めてやろう!」
「全く、バカ鬼もそうだけど先生も人使い荒いわよ!おかげでチョークがたったこれだけになっちゃったじゃない…」
漆黒のフロアに蹲る様にして身を縮めるキングナイトメアから視線を上げ、白沢は周囲に目を向ける。
まだぶつぶつ愚痴る沙羅をはじめ、大きな黒い目覚し時計を手にしているニムロットの姿。
どうやら最初に上げた可愛らしい声の主は、彼女だったらしい。
そして円形のフロアの壁に沿う様にして、生徒達がそれぞれスポットライトの傍に立っていた。
―遡ること、十五分前。
携帯電話で竜彦と話していた白沢は、急を要していた。
「すみません先生、ちょっと状況が状況で聞こえ辛くて…!」
「ったく、もう一回言うぞ…!沙羅・イングリッドを連れてこいって言ってんだ!」
声量を制限される中、白沢は尾行する桜花に聞こるか聞こえないかのギリギリの声で通話口に向かって怒鳴る。
ようやく言葉が聞こえたらしいが、返ってくる竜彦の声は申し訳なさそうなものであった。
「そうしたい所なんですが…今また檻から黒い悪夢が出て来て、再び混戦になってます」
「何!?あーくそっ……わかった、それじゃあ今から指示を下すから、ちゃんと聞ける所に移動しろ」
「分かりました」
そうしてやや時間を置いてから、白沢は口頭で竜彦にこれからの行動を伝える。
最初にそちらにいる人数と戦闘派、非戦闘派に振り分ける為に誰がいるのかを聞き出す。
様々な情報を把握してから、白沢は思考を巡らしながら指示を下した。
まずは戦闘派の壱鬼、狐乃衛、建、狼、すばる、そして彼等の近くにいるであろうSAYTSUI達を中心にして、黒い悪夢達の相手をさせ気を引き付ける。
その隙に、狐乃衛達の情報から得た円形のフロアの方へ非戦闘派のソレイユ、ミーシャ、ミライ達黒い悪夢、ニムロット、そして肝心な沙羅を移動させる。
移動後、沙羅が中心となってスポットライトを出来る限り錬成して作成し、それをフロアの隅に置いて中心に光を集めるようにする。
そして最後に白沢自身が囮となって、桜花に取り憑いたキングナイトメアをそのフロアの中心に誘い出す。
「それを十分で、全部準備出来るか」
「え!?じゅ、十分でですか!?」
普段は冷静沈着な竜彦だが、さすがにその指示には驚愕した声を上げていた。
しかし一呼吸置いてから、また落ち着いた声色で返す。
「…分かりました、できる限りの事はやってみます」
「ああ、頼んだぞ」
「あ…それと、俺は一体どうすればいいでしょうか?」
「決まってんだろ、今度はお前が中心となって皆に指示を下すんだ。任せたぜ、応援団団長さんよ」
騒音の中でも、竜彦の声量はちゃんと届く。それを考慮したうえで、白沢はその大役を任せていた。
その意思を汲み取ったのだろうか、竜彦は電話の向こうで一瞬息を呑んだ様子だったが、気を引き締めたように凛とした声で返事をした。
「…はい!」
「よし、いい返事だ。じゃ、任せたぜ」
―そうしてこの“スポットライト準備作戦”は決行されたのであった。
依然として何処かの廊下からは、壱鬼達とSAYTSUIの奮戦する声と破壊音が聞こえてくる。
その音を背景に、焼かれる音と共に白煙を昇らせるキングナイトメアへ、白沢は近付く。
「…呆れたな、まだ出てくる気はねぇのか」
「ククッ…生憎だが、この女の精神は既に私が完全に乗っ取った。最早この身体は私のものだ、手遅れだったな!」
まるで最期の足掻きだと言わんばかりに、キングナイトメアの嗤いがフロア内に響き渡る。
しかし白沢は平然とした表情でつかつかとその人物に近付くと、唐突に腕を掴み引っ張り起こす。
「!?き、貴様…一体何をするつもりだ…!?」
白沢の行動に、キングナイトメアは嗤い声から一転し、今度は驚愕した声を上げた。
それはフロア内にいた者達も同様の心境だったようで、皆心配そうな表情でその様子を見守る。
白沢は、キングナイトメアが乗り移ってる桜花の肩を両手でしっかり掴むと、薄紫色の彼女の瞳を真直ぐに見据えて話す。
「おい、桜花先生聞こえてんだろ?さっさと起きて中にいるこの黒い奴を追っ払ってくれねぇかな」
「な…おい貴様、一体何を」
「うるせえ、今は桜花先生に話してんだ。邪魔すんな」
キングナイトメアが話すと、白沢はひどく冷たい声でそれを遮った。
相手が黙り込んだのを確認すると、彼はまた話を続ける。
「先生、これからまだまだ行事もイベントもあるし、忙しくなる。それなのに教師陣が一人でも欠けると、本当に困るんだよな…それに、」
そこで一度一呼吸置いて、言葉を紡いだ。
「生徒皆が先生の帰りを待ってんだ。だから全員一緒に戻るぞ、学校へ」
―刹那、薄紫色の瞳に茶色が混ざった。
それを切っ掛けにして、キングナイトメアの様子が一転した。
白煙の量が一瞬にして増し、彼の絶叫がフロア、廊下までにこだました。
「な…何故だ!この女の精神は完全に消え失せていた筈だッ…!!」
「違うな」
「…!?」
「誰かを乗っ取ったとしても、その人間の“魂”までは完全に消え失せる事は絶対ねぇんだよ。…ちなみにこれ、妖人科二年の授業で習うからな。ちゃんと覚えとけよ?」
にやり、と笑って皮肉る白沢。
そんな彼の様子を見て、キングナイトメアは怒りと憎悪に満ちた眼差しを向ける。
しかしその薄紫色が、突然ふっと消えた。
瞬間、桜花の背から黒い影が現れた。
メリメリと音を立て引き剥がされる様に出てきたそれは、スポットライトが照らすフロアの中心部へと崩れ落ちた。
ふらりと倒れそうになる桜花の身体を、白沢は慌てて支える。
「おいっ!桜花先生、大丈夫か!?」
ぐったりと彼に寄りかかる彼女だが、足は自力で支えているところからして意識はあるらしい。
ゆっくりと面を持ち上げると、まだ意識はおぼろげながらも彼女の声で話す。
「…あ゛ー、何か…めっちゃぐっすり寝た感じで、すっきりです」
「…そりゃ良かった」
彼女らしい最もな感想に、白沢は苦笑いした。
しかし二人の傍にいた、黒い塊―キングナイトメアがまた、ゆっくりと起き上がった。
「おいおい、しぶとい奴だな…その体力妖人並みだぞ」
「…もういい、もう何も要らぬ。私が欲するのはただ― 一切の光も無い、闇だ」
最早、白沢の言葉も耳に入らぬ様子でそう呟く様に言うと、キングナイトメアはにたりと笑った。
それと同時に彼の姿は融けるようにして床の闇色に消えうせる。
直後、皆がいるその空間自体がぐにゃりと歪んだ様に見えた。
*Next…?*
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