救急箱から始まる出会い
2013.06.18.Tuesday
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とある住宅街の外れにある、廃病院。
そんな、明らかに何かしらの曰くがありそうな場所に、私は訪れていた。
陰陽科三年、碓井 光。
それがフォレスト学園に在籍する、私の所属している科だった。
陰陽科は人に害為す妖怪や魔物を退治するために作られた科で、後々は一人前の退魔師や陰陽師等を養成するための科と言っても過言ではない。
その為、実習では傷を創ったり最悪には命に関わる事もある、中々シビアな科でもある。
しかし今、私がこうして訪れているのは実習のためではない。
ただの自己満足のためだ。
陰陽科に通うならば、妖怪や魔物などと対等に渡り合える力がある。
そんな力があるのならば、せめて誰かの為に一つでも多くのそれらの物を退治しておきたい、といった、妙な正義感からくるのもあるのかもしれない。
でもそれでいい、綺麗事でも構わない。
そうすることでしか、私の存在は示せないのだから。
薄暗い廃墟となった病院内を、私は淡々と奥へと進む。
床には瓦礫が疎らに落ちていて、隙間だらけのタイルからは草が生えていた。
以前に誰かが肝試しにでも此処を訪れたのだろうか、壁にはスプレーで落書きした跡や、煙草の吸殻なども落ちていた。
(本当に此処に、妖怪が出るのだろうか…?)
この廃病院には昔から、妖怪や幽霊が出るとの噂があった。
肝試しに来た若者達が突然身体の不調に襲われたり、幾つもの妙な影が跋扈したり等々…と、そういった現象は挙げればきりがない。
しかしそんな不可思議な出来事も、いつからかぱったりと止んでしまったらしい。
近隣に住んでいる住人はその事を喜んだが、私は何故そうなったのかが妙に気になってしまった。
もしかしたら、力を温存しているのかもしれない。
膨大な力を帯びて再び人を襲うようになったら、取り返しのつかないことになる可能性だってある。
それを未然に防ぐ為に、こうしてこの廃病院に足を運んでいたわけだが―
その妖怪がいる気配は、まるでしなかった。
取り越し苦労だったか、と考えながら、私は上階の医務室のドアを開けた。
埃っぽい空気と、湿気を含んだ黴の臭い。
それらを吸い込んだ私は少々咽ながら、つかつかと中に足を踏み入れる。
ここも異常はなさそうだな、と思い、引き返そうとした時だった。
不意に、一つの救急箱が目に入った。
一見何の変哲も無い救急箱だが、よくよく目を凝らすとそれは“普通”とは少々異なっていた。
何かまじないの様な文字が羅列し、開け口の境目には封印の札。
私はそれを手に取ると、じっと見つめる。
(何か封じてあるのだろうけど…中身は一体なんだろう?)
両手で持ったまま、軽く振ってみる。
何も音はしなかった。重さも軽く、本当に中身があるのだろうか、と疑惑すら抱いてしまいそうになる。
しかしこれだけ厳重に封印が施してあるのだ、何も入ってない訳がないだろう。
私はその救急箱を、近くにあった古びた机に置き、倒れていたクランケ用のチェアーを持ってきた。
座る部分の埃を払い、それに座って封印を解除すべく術を解読し始める。
まじないの文字は東洋のものらしく、漢字に似た複雑な文字がつらつらと羅列している。
この古代文字はまだ授業で習っていないが、教科書をざっと予習した時に見たことがある。
幸い教科書が入った鞄も手元にあるし、これならば何とか解けそうだ。
この時ばかりは「陰陽科でよかった」と思いつつ、私は鞄から教科書を取り出しその術の解読を続けた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
割れたガラス窓から見える外は薄暗く、遠くに映る空は夕暮れ色に染まっていた。
廃墟のこの室内も、来た時よりも更に暗くなっており、このままでは私の視力の低下も危ぶまれる。
しかし私はそんなことも忘れるくらい、すっかり解読に夢中になってしまっていて、気付けばあと一つの術を解けば開封できるところまで来ていた。
「えーと…ここに五芒星があるから、これを軸にして考えれば…」
教科書と睨めっこしながら、その箱の術を解読する。
そして解除の方法が分かり、私はそれを実行する。
筆で文字を書きいれると、術を為していた古代文字は滲むようにして消えた。
札が貼られた以外、すっかり普通の救急箱になったそれを見て、私は達成感に包まれた。
「やった…!これで開けれる…」
その時の私は、疲労と達成感ですっかり気が緩んでしまっていたのだろうか、果たして何が入っているのだろうかと思いながら、その最後の札を何気なく剥がしてしまっていた。
刹那、その箱から白い何かが飛び出す。
空中に舞い上がったそれは、明らかに異形のものだった。
(妖怪…!?)
はっと我に返った私は、咄嗟に傍にあった刀を手にすると、柄を握り抜き払おうとした。
が、突然振ってきた声にその手が止まった。
「待たれよ!貴殿と戦う気は毛頭無いッ!!」
「…!?」
その言葉を耳にした途端、柄に手をかけたままぴたりと動きを止めた。
見上げれば其処にいたのは、頭や口元など白い布で覆われた、人型の妖怪だった。
しかし下半身はなく、代わりに布がふよふよと浮かんでいる。
この妖怪―
(一反木綿、か…)
妖怪は、人を惑わし襲うのを常套とする。
こいつもそうだろうかと思ったが、布の隙間から覗く白い色のその眼は、真摯さを宿していた。
それを見て、私は柄からそっと手を離した。
こちらの様子を見て、その声の主は溜め息混じりに安堵した様な声色で呟いた。
「やれやれ…漸く出られたかと思えば、主人となる殿に斬られそうになるとは」
「…は?しゅじん…?との…?」
「左様。小生にはそうなる様に、呪(マジナ)いがかけられていたのだ」
「ま…待って待って、話が見えない…」
「ふむ…では、小生がこの箱に封印されるまでの経緯から話そうか」
その一反木綿の妖怪は、麻布 木綿衛門と名乗った。
木綿衛門はかつてはこの廃病院に住み着き、小さいことから大きいことまで、色々と悪さをしてきたらしい。
しかしそんな悪事を見かねた一人の退魔師が、彼?をフルボッコにした上、この救急箱に封印してしまったらしい。
しかもこの箱を開けた人物がいた場合、その相手を主人として従うようにする呪いまでかけられたそうだ。
そして今回、その箱の封印を解いて開けてしまったのが私だったらしい。
「じゃあ…私が貴方の主人、となるのか?」
「左様」
「私は陰陽科で、もしかしたら将来退魔師にもなりうるのに?」
「殿がそう望むのであれば、小生は付き従うまで」
「………」
何だか妙な事になってしまったぞ。
妖怪を退治するはずなのに、その妖怪を従属するなんて。
しかし開けてしまったのは私だ、少なくとも私にも責はある。
そうして一人思い悩んでいると、木綿衛門がふわりと浮かびながらこちらに近付いてきた。
「殿が何を悩んでおられるのかは存じませぬが…主従の契約は結ばれた、これは紛れもない事実。どうかそれは享受していただきたい」
「……分かった。ひとまず…よろしく、頼む」
「こちらもお頼み申す」
右手を差し出され、私は戸惑いながらもその手を握り返す。
包帯で包まれたその手は暖かくも冷たくもなく、ただふわりとした不思議な感触がした。
ふと顔を上げれば、木綿衛門と丁度視線がぶつかる高さだった。
木綿衛門は私と目が合うと、ふっと表情を和らげた。
いや、顔の半分は覆っているからはっきりとした表情は分からないが、それでも覗く白い瞳は確かに柔らかなものになっていた。
その様子を目の当たりにして、私は内心更に戸惑ってしまっていた。
というのも、こうして誰かとまともに触れたり密接に関わること自体、久々だったからである。
今まで、親しい友人など作らずに一人で生きてきた私にとって、これは人生の大きな変化になるのかもしれない。
しかしその時の私はただ、これからどうなるのかなぁと思う、今後について考える方が勝っていた。
―これが、後々私のとても大切なパートナーとなる、木綿衛門との最初の出会いだった。
*END*
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