サンジくんの手は魔法の手だ。その手で作り出す料理はどれも絶品で、初めて彼の料理を食べたときは感動でいっぱいだった。今まで食べてきた料理が料理じゃみたいにかんじて、これが本当の料理なんだと思った。これからもこの先もサンジくんの料理が食べられると思ったら嬉しくて堪らなかった。幸せだなあと思った。
 ずいぶん前のことだ。いつだったかは忘れたけど、わたしはあるとき、サンジくんの手って魔法の手だよね、と言ったことがあった。感じたことを感じたままにいったせいでサンジくんは不思議そうに首を傾げていた。たぶん意味が分からなかったんだと思う。わたしは言葉を付け足して、サンジくんの料理は世界一おいしいってこと、と言ったらサンジくんは嬉しそうに微笑んでくれた。照れたようなはにかむようなそれだったけど、本当に嬉しいことが伝わってくる、そんな笑みだった。
 わたしはサンジくんから目が離せなくなった。そうして微笑む彼を一秒でも多く網膜に焼き付けてしまいたいと思うくらい彼の笑みに釘付けになった。



 最近のグランドラインは穏やかだった。心地いい春島と過ごしやすい秋島の気候海域を航海していたけれど、そんな穏やかな気候は数日で絶たれた。気づけば凍えるような冬島の気候海域に入っていたのだ。冷たい潮風が吹き付けて、止むことを知らない雪が看板に積もった。雪かきが大変ねとナミが嘆いていたけど、雪の積もった甲板ではルフィとウソップとチョッパーが楽しそうに雪合戦をしている。でも、この三人以外は船内で暖を取っている。こんなにも寒いのだから仕方ないだろう。
 ちなみにわたしも甲板にいる。ルフィたちに雪合戦しようぜ! と誘われたけどそういう気分じゃなかったからやんわりと断っておいた。三人は不満そうにしていたけど、今はそんな素振りは見えなくて、とにかく雪合戦に夢中といった様子だ。
「(……寒い……)」
 一応コートを着てマフラーを巻いている。だけど、いくら着込んでいても寒いものは寒い。冷たい潮風が頬に当たってジンジンと痛むし、吐き出す息は白くなるばかりだ。だったら船内に入ればいいのにと思うけど、何故だかそうしたくなかった。久しぶりに見る雪が懐かしかったのかもしれない。
 雪はどんどん積もっていく。足跡をつけた場所は既に無くなっていて、いつか埋もれてしまうんじゃないかと思うくらいの積雪量だ。そんな中でも雪合戦を興じている彼らはいつにも増して元気で楽しそうだ。ルフィもウソップもチョッパーも雪まみれで端から見たら寒そうなのに、三人の笑い声は耐えない。
 わたしはしんしんと降り積もる雪を見ながら三人の雪合戦をどこか楽しげに見つめた。
 そういえばとふと脳裏に幼少の頃の光景が浮かんだ。まだ六歳にならない頃に、わたしもあんなふうに雪と戯れていたことがあった。雪だるまを作ったり、近所の友達と雪合戦をしたり。あの頃は本当に楽しかった。
 父がいて母がいて兄がいて。かつてはわたしにも家族がいた。海賊に島が襲われて父と母が亡くなり、わたしを助けた兄も亡くなった。
 あの日は雪が降っていた。全ての音を掻き消してしまうくらいの激しい雪が降っていた。
 結局わたしは海軍に助け出された。わたし以外に生き残ったひとはいないと聞いて、酷く取り乱したものだ。あんなに優しかった島のみんながいなくなっただなんて信じたくなかった。わたしは泣いて叫んで、ただただ悲しみに暮れるしかなかった。
「(…………)」
 こうして昔のことを思い出すと所構わず取り乱していたけど、今は過去と向き合えているせいか心臓の音が大きく聞こえるだけでこれといった異変は起こらない。
 わたしは笑みを浮かべた。取り乱さないのはルフィたちに出会えたから。心から信頼出来る仲間を手に入れたから。わたしを仲間だと暗い底から引き上げてくれたみんながいたから。
 じんと目頭が熱くなる。泣きそうになるのを堪えて小さく息をついた。



 もうどれくらい経っただろう。かじかむ指先を擦り合わせながら熱い息を吹き掛ける。
 冷たい指先に息が当たって、そこからほんのりあたたかくなるけど吹き付ける潮風によって柔らかなそれはすぐに凍えるように冷たくなった。
 いい加減中に入らないとダメかもしれないと思って、取り敢えずサンジくんのいるキッチンに向かうことにした。
 雪に足が取られて滑りそうになるけど、注意を払いながらゆっくりと足を進める。ようやく辿り着いたキッチンの前に立つと、そっと扉を押し開けた。
 ギイという蝶番の鈍い音が鳴る。視界いっぱいにサンジくんの後ろ姿が映り込んだ。サンジくんが作業の手を休めて振り向いてくる。たぶんみんなのおやつを作っていたのだろう。甘い匂いがした。それに混じって煙草のにおいもする。わたしは安心感を覚えて肩の力を抜いた。
「え、ナマエちゃん……。どうしたんだ? 顔が真っ赤だけど」
「う、うん。甲板にいたから」
「甲板って……」
 窓の外を見たサンジくんが怪訝そうな顔をした。わたしはすかさず言葉を紡いだ。
「雪が見たかったの」
「…………」
 サンジくんは何も言わなかった。たぶんわたしの表情を見て何かを感じたのかもしれない。今のわたしは本当に酷い顔色をしていると思うから。
「寒かっただろ」
「……うん」
「何か淹れるよ。何が飲みたい?」
「えと、じゃあ……ココア。ミルクたっぷりのココアが飲みたい」
 そう答えながらカウンターの席に着いた。室内はあたたかかったからコートは途中で脱いだけど、長い時間甲板にいたから体は寒いと訴えている。やっぱりコートは着たままのほうがよかったかなあと思考していると、サンジくんが「了解。お姫様」と言って笑ったのが視界の端に映った。
 それを目の当たりにしたわたしは居たたまれない気持ちになった。顔に熱が帯びるのを感じて、咄嗟に視線を逸らした。
 潮風に当たって頬が赤くなっていたから更に赤くなったのは気づかれていないと思うけど、もしかしたら気づかれるかもしれないし、とにかく恥ずかしくてサンジくんを直視出来なかった。
 しばらくすると、カウンターの前にココアの入ったカップが置かれた。
「お待たせ、ナマエちゃん」
 ココアの香りが鼻腔をくすぐった。わたしは「ありがとう」と言って、カップを手に取る。
 ふうふうと息を吹き掛けながらカップに口をつけると、おそるおそるといったかんじでココアを啜った。ミルクとココアの香りがいっぱいに広がる。同時に熱いそれが食道を通って胃に入っていくのが分かる。
 じんわりと滲むように熱が広がっていく。それだけ体が冷えきっていたのだろう。体の芯からあたたまるようなそんな心地になった。
「おいしい……」
「そりゃよかった」
「ふふ。サンジくんが淹れてくれたからかな。すごくおいしいよ」
「ナマエちゃんにそう言ってもらえて光栄だよ」
 サンジくんが微笑む。やさしくてやわらかい笑みだ。でも、頬が少し赤い。わたしと目を合わせようとしないからたぶん照れているのだと思う。
 そんな仕草も好きだなあ、と心の中で呟きながら再びカップに口をつける。やさしくてあたたかいそれが口内に広がる。こくりと嚥下してカップの中のココアを覗いた。
 大好きなココアはまるでサンジくんみたいだ。やさしくてあたたかくてわたしを癒してくれて。心の中の氷を溶かしてくれるような、何もかもを包み込んでくれるような。そんな安心感を持たせてくれる。
 やっぱりサンジくんはわたしにとって特別なのだ。
 仲間という意味ではルフィたちももちろん特別だし大切だと思う。彼らと出会ってなかったら今のわたしはいなかったと思うし、とっくに命はなかったと思う。でも、それ以上にサンジくんは特別で大切なのだ。きっとこの気持ちは言葉では言い表せない。それだけの想いが詰まっているのだ。
「ねえ、サンジくん」
「ん?」
「……ありがとう」
 秘めた想いはこのまま告げずに胸にしまっておくつもりだ。わたしには成すべきことがあるし、恋をしているだけの余裕はないから。
 でも、こうしてふたりで過ごす時間は欲しいと思う。我が儘かもしれないけど、唯一心が安らぐ時間だと思うから。
 わたしは口元に笑みを浮かべた。サンジくんから何か言いたそうな視線を感じたけど、気づかないふりをしてココアを飲んだ。ココアはぬるくなっていた。



そうして微笑むあなたがすきよ

Sanji / writer by 紺野さま
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