男はミステリアスな女に惹かれるものだと本で見た。その下にもタイプ別で、素直な女は大体好まれるだとか、甘え上手がモテるとか。

残念ながら私は素直じゃないし、甘え上手でもない。でも別にミステリアスな女を演じているとか、そういう訳でも断じてない。

だからあの人を「ミステリアスな女が好きな男」に分類している訳じゃないけれど、私が毎日決まった時間に同じ場所で手を洗っているのは、好まれる女子像の何処にも当てはまれる気がしない、強いて言うなら女だというくらいしか振りかざせるものがない私の、溜息含めたシャボン玉を君が割ってくれるから。ただそれだけだ。


掌に水を馴染ませて石鹸をくるくると転がし、ステンレスの手洗い場に腰掛けて、今日もハートを型どった指に溜息にも似た想いを吹きかける。

誰もを魅了する、
私もこんな風であれたらいいのに。


通路いっぱいに浮かんだ頃にお目当ての人は現れる。眩しいくらいに微笑む君が、一番近くを漂うシャボン玉に人差し指を伸ばせば、音も立てずに消えた衝撃は遠隔操作で私の胸を叩き始めた。


「こんな時間に。ホント懲りねぇな」

「お疲れ様です参謀長」

「痒いなその呼び方。サボでいいって言ったろ。あんまりしつこいと、俺もナマエをアライグマって呼ぶぞ」

「なんですか、それ」

「最近皆がそう呼んでる。知らなかった?」


グローブを外して、ポケットに詰め込みながら意地悪そうに笑う君は、平然と隣合う蛇口をひねる。その横顔を見てしまったから心臓が跳ねて、制作途中のシャボン玉がひとつ消えてしまった。


「あっ!あ、目に!…入っ…!!」

「馬っ鹿、何やってんだ」



石鹸だらけの両手をわなつかせるしかない私を見兼ねてか、動くなと制されてびくついた体を、君の手が容赦なく捕まえる。掻きあげられた髪が耳にかけられて、そのままうなじの辺りまで差し込まれた指先が、ここ最近で一番の大事件を起こした。


濡れた指先は優しく瞼をなぞっていく。

石鹸の毒気は綺麗に拭われていくけれど、君のために付け始めた下手くそなシャドウがバレてしまったら私はどうしたらいいんだろう。真剣に診察してくれる君の顔を見ていたのが片目だけであったとしても、心臓が痛いのはさして変わらない。逆に悪くなってるんじゃないの?なんて、変な余裕まで。


「あのですね。百歩譲ってアライグマだったとしても食べ物を洗ってる訳じゃないですよ。あと別に潔癖症でもないですし」


動揺し過ぎると、私はよくルールを外す。
お喋りな女は嫌われるって書いてあったのに、次から次へと流れる言葉が止まらない。


「へぇ」


離れて行った君はもう一度蛇口を捻った。
同じようにステンレスに腰掛けて、こちらを見たまま、拭ってくれた親指をすり合わせるように流して。

次は横顔じゃなくて面と向かい合っているけれど、そこまでして私を映してくれる瞳が有頂天にさせるから油断した。



「じゃあ教えてよ。なんで俺が通る度に石鹸が香るのか」


突然泡だらけの手を掴まれて、
またもや弾けた、石鹸の匂い。

にこにこと穏やかだった顔は今、真剣に謎解きに挑む探偵の顔だ。真実を追究する真っ直ぐな視線は私を貫いて、悪い事をした犯人みたいな気分にさせる。



「えっと………やっぱりアライグマ、です!…あ、違いますよ私がじゃなくて!」


私はとことん可愛い事なんて言えやしないと自覚した。言い訳なんてしてないでマニュアル通り「君のため」って言えばよかったのに、素直になれない後悔と罪悪感はいつも目に染みる。

でもきっと、明日も明後日もその次の日も、先の未来はずっと君がそんな私を咎めずにシャボン玉を壊してくれるんだ。
だから、謎多き美女に甘え上手、現実を見れば雑誌が提言する理想の女は私の中に皆無だけど、このままでいいと思う。どうせやめられそうもないんだし、ここを通る君に甘やかされていればいいんだ。



「最後まで聞かせてよ。手は俺が洗うから」


「…あ、あの…!!っこの前占い師さんに前世はアライグマだって言われまして!しかもそのアライグマ不眠症らしく」


へえとか、ふーんとか。
流し気味だった君は追求を諦め、握ったままの私の手を滑らせる様に泡立てて、微笑みながら相槌を打ち始めるものだから、困惑の分だけデタラメな話は延々と続いた。


ところで何故、君は毎日同じ時間に現れては密やかな恋心を割っていくのか。聞くことのできない疑問は取り残し、悪戯に抱き寄せておいて微笑むだけのミステリアスな君に益々埋め尽くされていく。
嘘話の構成を綿密に組み立てる傍ら、相変わらずパノラマいっぱいに広がるシャボン玉の中で、今日も一段と君だけが夢のようで現実味を帯びない。



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Sabo / writer by ダリ
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