※現代パロ


事務のアルバイトの傍ら、キャバクラで働いている女の前に、ある日大金を持った男が現れた。
すぐにどこかの会社のCEOか社長の団体だと分かり、飲んで騒いでいつものごとく下ネタに入るのかと思えば、何故かその年行われるw杯の優勝チームはどこかという話になり、大して興味のなかった私は適当に「ソーセージ美味しい国が勝ちます!」と声高に宣言した。
「それはねぇだろ」と笑う男達の一人、クロコダイルさんに、「じゃあ勝ったらどうしますか?」と冗談半分で吹っ掛けると、「当たればお前の望みを叶えてやる」と約束してくれた。

7月に入り、何となく世の中がサッカーで騒がしいことを感じつつ、社長との約束などすっかり忘れていた私は、8月の中旬、突如携帯に表示された知らない番号を見て、「はい…」と電話を取った。


「おめでとう」
「……はい?」
「お前の勝ちだ。望みを聞こうと思って電話をした」


随分楽しげな男の声に、どうしよう…何のことだろう…と思っていると、「決勝戦での戦いは見事だったな」と言われ、ようやくクロコダイル社長との店でのやり取りを思い出した。


「何でもいいんですか?」
「ああ。何でも」
「怒りませんか」
「おい、勝負を吹っ掛けてきたのはそっちだろう。俺は賭けに負けたんだ。何も遠慮する事はねぇ」
「……じゃぁ、部屋が欲しいです」


沈黙の後、「部屋?」と聞き返された。もちろん冗談だったが、「どんな部屋だ、広さは、場所はどこがいい。お前一人で住むのか?」と矢継ぎ早に質問され、本命だった「ノルマに協力してもらえませんかー?」の一言が言えなくなった。
言葉が出て来ない私に気づいたのか、社長はまた会って話そうと言って電話を切った。

電話を切って暫くぼーっとした後、私は急いで近所の本屋に行き、スケッチブック、色えんぴつ、インテリア関係の雑誌を買った。モダン、カントリー、ロマンチックと幅広くカフェで読み漁り、その足で電車を乗り継いでインテリアショップと雑貨屋に行った。
歩き疲れて家に帰った後も、ベッドに寝転び雑誌を広げ、壁紙、カーテン、ベッドカバー、テーブル、椅子、チェストと間接照明にも目を走らせ、かつてない程の勢いで頭の中に理想の部屋を思い描いた。
そんな中、ハッとする程綺麗な藍色の壁紙が目に付いた。写真の横にある説明を見ると、

夜と朝が交り合った空の美しい壁紙。きらきらと輝くラメが使われており、素敵な空間を演出してくれます。

と書かれてあった。
雑誌から切り取った写真をスケッチブックに張り付け、色鉛筆を使って情報を書き込み、2ページにかけてアウトプットを終わらせると、倒れる様にして眠りについた。

***

「なんだ、たった10畳でいいのか」

同伴してもらったクロコダイル社長の手には、先日何かに憑りつかれたようにして作ったデザインノートがある。社長はじっくりと部屋の配置や家具の写真を見た後、「なるほどな」と呟いてコーヒーを一口飲み、私に視線を戻してにやりと笑った。


「いいだろう。作ってやるよ」
「…あの…ほんとは冗談ですよね?」
「冗談?冗談でお前はこれを作ったのか」
「……半分冗談でした」
「クハハ、面白い奴だな」


「家具の取り寄せから何から済ませてやる」と言いながら携帯で誰かに連絡を取り始めた社長を見て、さすがに怖くなった。どこの世界に、そこらへんの店に勤め、寝てもいなければ特別親しい仲でもないキャバ嬢に部屋を一室送る客がいるだろう。


「そんなビビった顔するんじゃねぇ。楽しみにしてるんだな」


それでもまだ信じられず、私は両手で持ったカップからカプチーノを恐る恐るすすった。


「あの、ほんと、いいです」
「クハハハ。もう手続きを始めている。後戻りはできねぇぞ」
「そんなぁ……」

***

とは言ったものの、私は彼が店を訪れる度に新居の事を聞きまくった。部屋の話をする時、クロコダイル社長は毎回私を指名してくれた。やった、ノルマ達成。社長は意地悪く毎回ほんの少しずつしか過程を教えてくれなかったけれど、例の壁紙の写真を見た時は思わず溜息が出た。


「凄い…」


美しい青の上に散らばる星の壁紙。確かに私が望んだものだった。写真でこれなのだから、きっと本物はもっと素敵に違いない。ずっとその写真を見ている私を気にいったのか、クロコダイル社長の機嫌も始終よかった。


「嬉しいか」
「もちろん」
「それはよかった」


社長は楽しそうに笑うと、テーブルの上のお酒を持ち上げ、中身に視線を落とした。

その部屋は、それから四六時中私の頭の中を占領した。私はその部屋に思いを馳せ続けた。
そんな中、バイトの方で大失敗してしまった。
私は精神的に疲れ、よろめいて、住み慣れたアパートの8畳の部屋で膝をついた。

その夜、私は夢を見た。夢の中で、私はクロコダイル社長とベッドにいて、大きなクッションを背にあの壁紙を見ていた。社長は私の腕や太ももやふくらはぎを揉んでいて、私はワインを飲みながら「海の中にいるみたい」と訳の分からないことを言っていた。

***

「部屋が出来上がった」


社長からの電話に出て、聞こえてきた言葉に思わず立ち上がる。慌てて休憩室を出る。そんな私の様子を知ってか、クロコダイル社長は電話の向こうで面白そうにクハハと笑った。


「今度の土曜は開けておけ」
「わかりました。どういう風にして行けばいいですか」
「お前の好きな時間に車を寄こす」
「じゃ、じゃぁ9時くらいで」
「いいだろう。楽しい夜になることを願っている」


「ありがとうございます…」と言いかけだが、言い終わる前に彼はすぐに電話を切ってしまった。

私が思い描いた、星が浮かぶ部屋。
星空に溶ける部屋。
あの部屋で、夢のような夜を味わえるのなら、どんなにおざなりな扱いを受けてもいい。
生まれてこのかた、ここまで貪欲になったことはない。
訪れるその夜の事を考えながら、私は卓上カレンダーにいそいそとボールペンで星印を書き込んだ。


***


準備は万全だった。お気に入りのワンピースに着替え、滅多に履かないブランドもののハイヒールを履く。お気に入りのリップをつけ、香水を足首、太ももに付け家を出た。

きっと今夜は忘れられない夜になる。
私はそんな期待と共に、いつも社長と同伴の待ち合わせに利用するホテルのエントランスへと向かった。

迎えに来てくれた車は闇に溶け込みそうな黒のセダンで、このまま拉致られてもおかしくはないよな…と、クロコダイル社長の凶悪そうな顔を思いだしながら乗り込んだ。
運転手は強面でとてもいかつい男だったが、黒いスーツがよく似合っていて、礼儀正しく、もしも私が今夜のお誘いをしたら、この男は承諾してくれるだろうか…と、スキンヘッドの襟足を見つめながら考えた。
運転手との氷を使ったプレイを想像しながら、流れる夜の街を見ていた。空を覗き込むと、星はなく、ただただ都会の明かりに照らされオレンジ色と藍色が混ざった夜空がぼんやりと広がっていた。

車が止まったのは、首が痛くなる程高いマンションの前だった。街灯が多い。車を降りると、柔らかいオレンジ色の光に、アスファルトの上にある沢山の自分の薄い影がくるくると動いた。私の為だけに用意された部屋が、私が訪れるのを今か今かと待っている。その事は、甘くまったりと私の脳を刺激した。


「クロコダイル社長」


紺色のスーツ姿を見て出てきた声は大きく、私は慌ててエントランス前の玄関に立つ彼に駆け寄った。煙草を吸いながら携帯を弄っていた彼は、私を見るといつもの笑みを浮かべながら、「準備は万全か?」と聞いてきた。

「あの、一緒に部屋に行ってくれるんですか?」
「お前の面白い反応を見ようと思ってな」
「ああなるほど」

頷いきながら、エレベーターに入る。先日見た夢が頭を過った。夢の中で、私の腕や足を揉んでいた彼の手にこっそり視線を向ける。何だか店やホテルで会う時よりもどきどきしている自分がいて笑える。考えれば考える程、思考は絡まり緊張は深まった。社長はそんな私の下心などつゆ知らず、「ここだ」と言って2003号室の前で止まり、キーを使って部屋を開け、私を見た。

「どうぞ」

クロコダイル社長が支えてくれているドアを通って中へと入る。社長…と声を掛けようとした時、ドアが閉まり、私と社長は暗闇にのまれた。

「心配するな。ゆっくり進め」

右腕を、大きな手が掴んだ。ぎょっとして振り返るけれど、彼の顔は見えない。ヒールを脱いでフローリングに足を下ろし、社長に手を引かれるまま、ゆっくりと前へ進んだ。
4、5歩あるき、ふと足を止めるよう言われる。
ドアが開く音がして、僅かなひかりが漏れた。

「信じらんない…」

目の前に広がっていたのは、私の理想の部屋だった。
柔らかい間接照明の中、何度も頭で構成し、スケッチブックに張り付けたデザインがそのまま、そこにあった。夜明けの星空の壁紙は美しく、透き通っていて、思わず深呼吸をする。
キラキラと繊細に輝く星達。極小のラメは、私の期待通りに瞬き、美しい明け方と夜をしっかりとつなぎとめている。
クロコダイル社長を振り返ると、彼も満足げに笑っていて、本当に泣きたくなった。

「ありがとう。まさかこんなに思い通りの部屋になるとは思わなかった」
「気に入ったか」
「もちろん」
「クハハハ、そいつはよかった」

10畳の部屋は、他にも様々な感動を持って私を迎え入れてくれた。エキゾチックな白い麻布のソファー、毛足の長いラグ、ブラックチェリーのテレビボードにチェスト、貝殻で出来たガーランド、生き生きとした観葉植物。全て私が思い描いた通りのものばかりだった。

10畳の部屋を、美術館に来た時の様にじっくり見回していると、クロコダイル社長がグラスとワインを持ってきてくれた。注がれたそれを受け取り、ゆっくりと真新しいベッドの上に座って一口飲む。興奮していた気持ちが一瞬落ち着く。すぐ傍に立ってワインを飲むクロコダイル社長を見上げると、目が合う。

「本当に私が頂いていいんですか」
「今更だな。お前が作った部屋だ」
「……はい。けど何だか未だに信じられなくて…。あ、引っ越しの手続きしなくちゃ」
「ま、ゆっくりでいいさ」

「そうですよね」と言いながらグラスを持った手を膝に置き、目の前に広がる明け方の星空を見る。それから、もう一度クロコダイル社長を見上げる。キスがしたいと思って少しだけ背筋を伸ばすと、見透かされた様に彼がゆっくり身を屈めてきた。持っていたグラスを取られ、唇が少しだけ強く押し当てられる。ふわっと社長の匂いが濃く香り、それをゆっくりと吸い込む。重ねただけの唇が離れ、私達は見つめ合い、もう一度短いキスをした。

「一つ、粋なことをしてやろうか」
「粋なこと?」
「実は、俺は星が嫌いでね」

クロコダイル社長の言葉に、「え?」と彼の顔を見た瞬間、照明が一瞬にして暗転し、星空が消え、代わりに海の底を連想させるような青が壁と天井に広がった。星が浮かんでいたはずの壁には、たゆたう水の影がゆらゆらと揺れ映っていて、それは天井の四隅にまで届いている。
水の中から暗い空を見上げているようだった。光の元に目をやると、ベッドサイドに一つずつ、細長いLEDライトが着けられていた。

「特殊な水の中に照明を入れて埋め込んであるんだ。綺麗だろ」
「すごい…」

星が一つもないその部屋は、私が求めていたものとはまるっきり違い、だけど美しく、柔らかく、とても静かだった。

「きれい…」
「星は一人でいる時に楽しむんだな」

クロコダイル社長は私の足元にしゃがみこみ、ふくらはぎをそっとすくうようにして持ち上げる。そして膝がしらにキスをし、大きな掌で包んだ。
夢の中での社長と、今目の前に跪いている社長が重なり、私は自分から足を開き、社長の手に自分の手を重ねる。「脱がして下さい」と言いながら腰を浮かすと、彼の手が伸びてきてストッキングが引き抜かれる。ふくらはぎを、暖かい手の平でやんわりと揉まれ、撫でられ、優しくなぞられると、ため息が漏れた。
身体を起こし、私を抱きしめるクロコダイル社長の分厚い肩越し、揺らめく海面に目を凝らす。
そこに星は一つもなく、ただ静かな青が優しく広がっていた。

「海の中にいるみたい」

小さな笑い声が聞こえてきて、私もふっと笑った。
夜明けの星空は、明日の朝じっくり見ることになるだろう。
私は目を閉じ、暖かい心地よさの中、今は見えない星空に想いを馳せた。



ふたり、星のいない夜

Sir・Crocodile / writer by 道
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -