不動の足を折った。右足を折ったときの悲鳴が耳障りだったから、部屋に脱ぎ散らかっていた不動の下着を丸めて口の中に入れて、それから左足も折った。悲鳴はくぐもって聞こえなかった。
 不動のことを猫だと誰かが言っていた気がする。気まぐれで、たまに甘えてみせて、そのくせ近づけば爪で引っ掻き、触れることは許さない。そんなにかわいらしいものではないだろうとそのとき俺は思ったものだ。確かにこいつは啼くのだろう。誰かもわからないやつの下で、にゃあにゃあとわざとらしく啼くのだ。その点においては不動は猫で間違いなかった。

「何か言うことはあるか」

 唾液に濡れた下着を取り出し放り出す。不動は何度も咽返ったあと、笑う。滲み出た脂汗などないかのように、口の端を上げる。不動は笑顔を作るのが上手で、同時に下手くそだった。

「べ、つに」
「ここで一言でも謝罪の言葉があれば、少しは許そうかと思っていたんだがな」
「へ、そんな、気、まったく、ねーくせに」

 笑う不動の肌には、つけた覚えのない赤い痕が残っている。またこの男は、誰かの下で啼いていたのだろう。何度言っても聞きやしない、ふらりと部屋を出て行っては、誰かに抱かれて戻ってくる。世の中には物好きというものが想像以上にたくさんいるもので、不動みたいな外見や性格の同性と、金を払ってでもそういう行為をしたいのだそうだ。不動は魔性だ。濁った瞳で、上手に男を捕まえてくる。ほら、これ、貰ったから鬼道にやんなきゃって、そう言って笑いながら金の入った茶封筒を差しだす不動の首に、赤い痕を見つけて、俺は不動を殴った。床に倒れる不動の頬を思い切り殴って、腹を蹴る。赤い痕を目印にして、塗りつぶすように殴る。不動はあまり綺麗じゃない悲鳴を上げて、それから思い切り笑いだした。笑いながら俺に殴られて、蹴られていた。こいつはわかっていないのだろう。俺がどれだけおまえを大事にしてやりたいか、だとか、どれだけ繋ぎとめておきたいか、だとか。わかっていないから、こんなことをするのだ。何度も何度もそうやられれば、堪忍袋の緒も切れるというもので、今日も反省の気がまったくない不動の足を、折った。これでまた、誰かの下で猫のように啼くこともない。それでもまだへらへらと笑う不動を殴る。悲鳴に混じって、やけにはっきりと聞こえた声がある。

「別に恋人とかでもないのに」

 もう一度強く腹を蹴れば、その痛みに不動は気絶した。




*********




 最近の不動はいつも機嫌が良い。誰かに当たり散らすこともなく、鼻歌なんかも歌って、口元が笑みを形作ることも多くなった。

「鬼道が遊びに来たんだ」

 機嫌が良い理由を聞けば、不動は嬉しそうにそう言った。不動は鬼道家の知り合いから無料でアパートを借りているらしい。なんでも、寮に入ろうとしたときに色々不具合があったとか、定員がすでにいっぱいだったとか、そういう理由で、仕方がなく鬼道の伝手でアパートを借りたのだそうだ。ときどき鬼道が様子を見に行く条件で、不動は今一人暮らしをしている。

「なぁ、不動。顔のそれ、どうしたんだ」

 それ、と不動の顔を指差す。不動の右頬を、白く大きなガーゼが覆っている。また誰かと喧嘩でもしたのかと溜息を洩らす。不動は今でもしょっちゅう誰かと喧嘩をしては怪我をして帰ってくる。落ち着きがないのだ。売られた喧嘩を買うほど馬鹿ではないが、進んで売りに行くのが不動だった。いつだって不動は不安定で、見ていて不安になってくる。それでも、最近は精神的に前よりずっと落ち着いてきていて、不動が笑った顔を見ると、帝国に不動を連れてきて良かったと思わされた。きっと、鬼道と関わることで良い方向へ向いたのだろう。鬼道が不動のところへ遊びに行った次の日は、不動はとても機嫌が良い。不動がこの手から離れていくことをなんとなく寂しく思うのは、小さな感傷だった。

 不動の怪我が増えた。また喧嘩か、そんなことはやめろと口を酸っぱくして言っても、お前は親かよと一笑されて終わった。最初は顔のガーゼだけだったのが、時々あちこちに包帯を巻いて、見ていて痛々しい。それでも不動が、なぜか怪我をするたびに上機嫌だったものだから、あまり深く追求されるのも憚られた。

 不動はいつも着替えるのが遅い。授業が終わって、大抵みんなすぐにグラウンドへと向かうのに、不動は飲み物を飲んだり汚い鞄の中身を整理したりで、大抵グラウンドへ到着するのが遅くなる。何度か注意したこともあったが、結局直ることはなかった。その日も不動は着替えに残ったままで、他のみんなはさっさとグラウンドへ向かっていたが、俺だけグローブを忘れてしまったので、一人部室へと戻った。特に気にすることもないだろうと、ノックもせず部室へと入る。ちょうど不動が上のシャツを脱いでいるところだった。
 時間が止まったような気がした。そう感じたのは俺だけのようで、不動は、ちらりとこちらを見たあと、なんだよと首を傾げて着替えを再開した。

 包帯を巻く自分はなんと無力なものかと思う。あの日以来、何かにつけて不動は俺を頼った。包帯、自分じゃうまく巻けねーんだ。そんな、誰でも出来るようなことを、俺に頼む。
 不動の身体中にある痣はあまりにも一方的な暴力だった。腹よりも背中の方が多い痣は、反抗しなかったことを想像させた。ときどきある引っ掻き傷を消毒すれば、そのとき初めて不動は痛いと言ったが、その様でさえどこか楽しげだった。不動はこれ以上ないほど落ち着いていた。逆にこちらの方が動揺しすぎて、指摘されるほどだった。
 この痕をつけたのは誰なのだろう。何度も問いただしたが、不動が口を割ることはなかった。助けてほしいかと聞いてみたこともある。そのとき不動は、なんでだよ、と返した。その口ぶりは、なんでおまえが、というよりも、そんなことする必要がないのになんで助けるんだ、と言っているようだった。不思議なほど、不動は痣が増えるたびに、精神的に安定していった。それが恐ろしかった。何よりも愛おしそうに痣を撫でるのだ。

「ありがと」

 前なら絶対にしなかった礼を言って、不動はさっさと部室を去っていく。どことなく軽快な足取りで、しかし捻った足を引きずりながら。不動の頬を殴って、馬鹿だと叫んでやりたかった。それから、大事に大事に抱きしめてやって、その身体を癒してやりたかった。けれど、不動は幸せなのだ。傷だらけの身体で、これ以上もなく幸せそうにしているのだ。だったら、自分が何かをすることに、どんな意味があるというのだろうか。目を覚まさせることも、抱きしめてやることもできない両腕は、ただ無力だった。





*********




 たぶん俺は頭がちょっと、おかしいんだと思う。他人の痛みが良く分からないし、倫理とか、道徳とか、そういうものに人より感情が動かされることがない。小学校の頃、学校で飼っていたうさぎが死んだ。野犬に食われたのだ。あまりに酷い有様に、みんな泣いていたけれど、俺にはその理由がよくわからなかった。ただ、うさぎのえさやり当番はやらなくて済むのはよかったと、単純に思っていた。
 幸いなことに、自分で自分の頭がおかしいことに気づいていたからよかった。テレビで少年犯罪のニュースを見るたび、あー、これ自分でなくてよかったなと思う。たぶん、誰も、まさかあの子がこんなこと、なんて、言わないだろう。
 あまりろくでもない生き方と狂った頭を携えて帝国に来た俺は、なんとか生活ができている。鬼道が貸してくれたアパートは新しくて、窓を開けない限り騒音もしない。何度か鬼道を部屋に呼んでは、抱かれたりもしてみた。俺は鬼道のことをどう思っているか、考えてみてもきっと答えははっきりとは出ない。嫌い/嫌いじゃない、そういった区分の中では、たぶん、嫌いじゃない方に分類してみるだけ、俺の中では上等な方なのだ。恥ずかしい言い方をすれば、きっと俺は愛とやらに飢えているカワイソウなお子様で、だから、なんとなく鬼道に愛されればいいなぁーと考えてみるのは当然の成り行きだった。ただ、俺はあまり人間というものを信用だとか信頼だとか、していなくて、それはきっとどうしようもないことで、これから変えていくことは無理だと思う。一般的に言う優しさとやらが胡散臭く思えるのだ。他人が与える優しさというものを、俺は信じたことはあまりない(源田の奴は別だ。あいつは逆にだまされるんじゃないかってくらいなお人よしだからだ)。
 愛されてみたいという欲求と、優しさを信じられないという拒絶感はどうしても折り合いをつけることができない。優しくされればされるほど、俺は鬼道のことが信じられなくなる。それはどうしようもないことなのだ。かといって優しくするなとは流石に言えなかった。俺は愛されてみたかったのだ。
 鬼道は無自覚ながらも大変独占欲の強い男だった。たぶんそれも、専門家に言わせれば幼いころの不幸な境遇が云々、なのだろうけれど、重要なのはそれが無自覚であることで、ならば俺がその独占欲を突っついて煽ることは容易かった。テレビや本で、DV特集を見ては、これで別れない女って馬鹿だろと笑っては、その男の特徴をまとめてみたりした。例題。どうやったら、駄目な俺に、鬼道は依存するか。
 どうやら俺は男を捕まえる才能があるらしい。一般的にあまり役に立つとは到底思えない才能である。物好きはいるもので、こんな頭や口の悪さが目立っても、まだ若い少年というオプションは、その手の性癖を持つ者を刺激した。わざとらしく痕を残して貰っては、猫のように啼く。そういえば猫の鳴き声というものは、赤ん坊の泣き声に似ているらしい。全部終わって背を丸めている俺は、確かに赤子のようだった。それよりもずっと純粋ではないけれど。
 あとは簡単だったので、あまり経緯は覚えていない。ただ、初めて鬼道が俺の頬を叩いたとき、俺は堪らなく嬉しかった。暴力は単純だ。暴力に付随する感情は非常に分かりやすい。そのときようやく、俺は鬼道に愛されている自覚を得ることができたのだ。
 背中を丸めて赤子のように丸まれば、また蹴りが降ってくる。口の端が上がるのが止められない。嬉しい、嬉しい、嬉しい。俺は幸せだ。だって、こんなにも愛されているんだから!
 鬼道が泣く。悪かったと何度も繰り返す。あちこちに散らばった痕を撫でて、それから壊れ物を扱うかのように抱きしめてくれる。「でもおまえが悪いんだ。そうだろう」そうだよ。鬼道は俺なんかに捕まっちゃったばっかりに、好きでもない暴力を振るうんだ。あぁ、なんて幸せなんだろう。
 色とりどりの痣を撫でる。愛おしくて堪らない。あぁ、ここは薄くなってる。また殴られなければ。なんで痕はすぐ消えてしまうのだろう。一度ついたら消えなければいいのに。でないと、不安で仕方がなくなるのだ。あぁ、全身を愛された証が消えないように、このまま時が止まってしまえばいいのに。
 目を瞑って背中を丸める。背中を撫でる感触がする。そんなことは良いから、早く殴って、蹴って、甚振ってくれないだろうか。あぁ、でも、それでも、段々と眠くなって、ほんとにたまには、こういうのもいいかもな、と思った。
 
 このまま二度と目が覚めませんように。
 おやすみなさい。

 








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