遊郭パロ
若干くどふど描写もあり?









 不動が即興で作った歌は、高すぎず低すぎず、心地のよい声で紡がれる。大抵、その時の気分だったり、季節だったり、今日の朝食べたものの内容であったり。不動はよく客の前で芸を披露するが、こうして俺以外誰もいないところで気の向くままに紡ぐ歌が、一番好きだった。

 買い物から帰り店を見上げると、窓から顔を出していた不動が、手招きをしていた。久しぶりの上機嫌だ。着物が肌蹴ているが、そこも似たり寄ったりな店であるから、誰もそれを気にする者はいない。こんなところに来るのは、そういうのを目的としてくる奴だけだ。
 買ったものを店の者に任せ、座敷へと向かう。今はそれほど客が多くない時間帯であるから、遊女も自由気ままに話に花を咲かせている。時折頭を下げられるが、未だにそれに慣れることはなかった。手を出したら厄介であることがわかっているから、この店で俺に気軽に話しかけることのできる人物は少ない。
 引き戸を開けると、不動は肌蹴た衣服を正すこともせずに、壁に寄りかかり俺を待っていた。客がいない時間、よく不動はこうやって気だるげに壁に寄り掛かっている。おかえり、と微笑む不動に、土産を渡す。桜餅だ。それを見て、顔を輝かせる不動にこちらも頬が緩むが、俺の自由になる金などこのくらいのはした金である。そうわかっていて、不動はたまにこうした甘いものを強請るのだ。

 不動と出逢ってから、もう随分と経つ。立て続けに親を病気で亡くし身寄りがなくなった俺と、生活が貧しかった不動。行き場のなくなった俺たちは最終的にこの店へと捨てられ、売られ、そうして出逢ったのである。初めは気に喰わないやつだと思った。その名前に負けず劣らず尊大な態度を取る不動は皆に嫌われた。だから他の遊女にも、名前ではなく不動と呼ばれている。それは身請けしてもらえなければ救いのほとんどないこの世界から、抜け出せないようにとの呪詛のようでもあった。女も男も平等に「遊女」と扱われるこの店で、不動はそのほぼすべての遊女から嫌われた。けれど、不動はその態度に見合わず、努力家でもあった。遊女は身体を売るだけではなく、芸や教養も秀でなくてはならない。不動は歯を食いしばるように毎日三味線の練習をしていたし、人の話は聞いていないようで、どんな小さなことも聞き逃さずそれを生かした。そんなところに惹かれ、次第と俺たちは距離を縮めていったのだ。友人が出来たということは、少しずつ親の死をきっかけに凝り固まってしまった俺の心を解きほぐしてくれた。遊郭という場所は欲を解放する場所でもあるが、そこにいる者は本当の意味で解放されることはないだろう。そんな中、少しでも心に救いをあるだけで随分と違うものだった。これから禿を経て、遊女になったとしても、二人でいられるなら、身請けなど来なくても良いと思えるくらいには、お互いに依存しあってもいた。店の主人に養子にならないかと言われるまで。
 もともと店の主人には子供がいなかった。跡取りも考えていなかったようだが、何の気まぐれからか、俺を養子にしたいと言いだしたのである。下手に他から改めて子を探すよりも、芸も教養もここでは普通よりも身に付けさせられている。そのことを考えてのことだそうだ。俺も不動にも負けず劣らず努力してきた。その器量のよさを評価されてのことだ。不動も努力は怠らなかったが、奈何せん誤解を招きやすい捻くれた性格をしているし、借金のカタに売られたというのは印象が悪すぎたのだ。
 こうして俺と不動は、傍にいながら決定的に立場が違うものとなった。俺はきっと、いつか跡を継いで店の主人となるし、不動も、このままなら一番の遊女になれるだろうし、そうでなくても、運が良ければ身請けしてもらえるだろう。俺は比較的恵まれた立場となったが、さりとて自由になる身でもない。不動を身請けできる立場には二度となれやしないのだ。
 次第に俺たちの仲は自然とぎくしゃくしたものになった。不動は初めての客を取り、俺は少しずつ店の経営を任せられるようになった。不動は俺の予想通り、良い遊女になった。日々の努力を怠らなかった結果である。不動は周りから嫌われてはいたが、客のあしらいはとても上手い。その独特の毒で、客に中毒を起こさせる。今では店一番の遊女である。そうなると、跡取りとして接する機会が増えてくる。最初はぎくしゃくとしたものの、今ではなんとか元のように、会話できるようになれたのだ。

「どうしたんだ、その髪飾り」

 茶を頼み、不動と二人きりの時間を過ごす。最近では少しずつ余裕のある時間が増えてきたから、こうして不動に手土産を持って会いに来た。そのたびに不動は楽しそうにするものだから、少しだけ心が痛むのも確かである。
 見慣れぬ髪飾りを指させば、不動は、あぁ、と思い出したように頬を緩めた。

「久遠サンから貰ったんだよ」

 久遠というのは、よくこの店に出入りする人物である。基本遊女の教育は年上の遊女がするものだが、この店では彼を雇ってより高度な教養を受けさせているのだ。たまに彼は、不動の部屋に来ては、けれどそういった行為をすることはせずに、強請るままに不動の求める話をしてやっては、喜ばせていた。きっと不動は、彼のことを少なからず好ましく思っている。髪飾りを撫でる手は穏やかだ。

「今日、久遠サンから身請けの話が来たよ」
「え、」
「とりあえず、聞いてみないと分からない、って言っておいた」

 不動も今では人気の高い遊女である。店側がそう簡単に不動を身請けさせるとも思えない。しかし、身請けしたいと言ってきているのは、何度もこの店に訪れ、主人の信頼も厚い人物である。
 きっと、彼は不動を自分の子供にしたいのではないだろうか。もうすでに娘が一人いるというが、自ら進んで学ぶ姿勢を持つ不動を、このまま人気であるとはいえ遊女として納めておくには惜しいと言っていたこともある。それならば、このままこの店にいるよりも、きっと不動は幸せになれる。不動は勉学が好きだ。口にしたことはないが、見ていればわかる。それならば、このまま彼に身請けされた方がいい。きっと大事にしてもらえるし、その頭の良さを生かす道も示してもらえるかもしれない。俺が、主人に頼みこめば、きっと不動が身請けされる可能性は格段に上がる。
 そして、俺は今度こそひとりになる。

「鬼道クンはもう俺に遠慮しなくていいのにさ」

 不動は優しく俺の頬を撫でた。部屋にいることが多いから、日に焼けることもなかった白い肌。

「一人だけ、いいもん食えるような生活になったこと恨んじゃいない。俺だって、この仕事は天職だって思うし。正直、すごい楽しかった。たまに珍しいもの貰えるし、面白い話もたくさん聞けた。おまえと親しいせいで、かなり優遇もされたしな」

 不動はもう覚悟を決めてしまったのだ。恐らく、自分のためではなく俺のために。一人の遊女ばかり気にかける主人の養子が、少しずつ反感を買っているのに気がつかない奴ではなかった。不動は俺の頬を撫で、背中に手を回し、もういいよ、と言った。もういいよ。
 優しい声色に、俺は目を閉じた。けれど慰めるように、あやすように歌う声は、少しだけ悲しさを含んでいる気がした。



 冬の初めに、不動は身請けされることが決まった。不動は少しずつ身の周りを整理し始めた。一番人気だった不動が身請けされることに一時は大騒ぎだったが、不動に人気が取られていた遊女たちは喜んでいた。結局のところ不動が嫌われていたのは妬みの部分も大きいのである。俺はといえば、その手伝いをしていた。不動のために、上等な硯や筆を取り寄せた。身請けされる遊女には、うちの店では着物を特別に仕立てる習わしがある。けれどどんなものがいいかと不動に聞いたところ、きっとあっちでは俺、そういう着物は着ないと思うぜ、と苦笑していた。確かにそうだ。そこで、俺は、不動のために硯などを取り寄せたのだ。きっとこれならば、これから先も使うだろうし、不動も喜んでくれると思った。実際に、不動は大事にすると笑っていた。
 身請けが決まってからは、不動は客を取らなくなった。だからたまに、不動の眠る部屋に訪れてもみた。引き戸を開けると、不動はぱっちりと目を開け、仕方がないなぁと布団を半分開けてくれる。俺がいなくても泣いちゃ駄目だぜ、と額をくっつける。そうして俺たちは今までの分も、これからの分も埋めるように、一緒にいた。きっともうすぐお別れだと思うと、胸が痛んだ。不動の身体は夏だからかすごく暑くて、それにすがりつくように眠った。この熱を俺はもうすぐ永遠に失ってしまうのだ。きっと不動は幸せになって、俺もこっちでそれなりの生き方を見つけるだろう。けれどもう、二度と会うことは何故だろうか、できない気がしたのだ。それはきっと、同じ気持ちで次も会える気がしないからだと思う。きっと、離れたら、この名も付けられないような気持ちは、くすんでしまう。次、不動と出逢えたとしても、同じ気持ちで同じように接することは、できないのだろう。そうなってしまっては、本当の意味でお別れになってしまう。この一瞬、通じ合ったものを、閉じ込めて大事にする方法があったなら、それを知りたかった。
 けほん、と軽い咳が聞こえた。もう寒くなってきて、二人で一つの布団はちょっと辛いかもしれない。あぁ、でも本格的に寒くなるころには不動はもういないのだと絶望し、逃がしたくないと抱きしめて、眠った。



 結局、不動は身請けされることはなかった。
 正確にいうならば、できなかったのだ。
 労咳だった。日増しに症状は悪化の一途を辿り、ついにはまともに起き上がることもできなくなった。不動は、離れに隔離された。誰も来ないようなところだ。座敷の方では客が出入りする。せっかくなんだから貰われた後に罹ればよかったのにねぇ、と笑う声を聞こえないふりをした。俺は離れに近づくこともできなかった。最後はここで死にたいと望んだのは不動だ。最後の我儘だから、ここにいたい。
 不動が解放されることはなかった。かつて他の遊女たちが望んだとおり、不動はどこにも行けないまま、ここで。
 離れからは擦れた声で、不動が歌うのが聞こえるらしい。
 俺は部屋を抜け出して、不動に会いに行った。こそこそと人影から隠れ、離れへと忍び込んだ。埃が舞うこの離れで、不動は一人で歌っている。
 引き戸を開ければ、不動はぱちりと目を開けた。いつもそうだ。俺が部屋へ行くと、それまで眠っていたことなど感じぬ速さで目を開ける。けれど今やその目は潤み、肌はより一層白く、頬は赤らんでいた。きたら駄目、と不動は擦れた声で言った。きたらうつるよ。
 もう遅い、と俺は一緒の布団に潜り込んだ。ずっと同じ部屋で寝泊まりしてきた。俺も感染している可能性は高い。もしかしたら、不動も気づいていたのではないだろうか。気だるげに壁に寄りかかっていた姿を思い出す。熱かった身体を思い出す。小さな咳を思い出す。本当に不動は気付かなかったのだろうか。
 不動は泣いた。たぶん初めて泣くのを見たと思う。子供みたいに顔をぐしゃぐしゃにして泣いて、俺は零れるそれを一々拭ってやった。
 まだ泣き続ける不動に、俺は慰めるように、あやすように、子守唄を歌ってやった。下手くそなそれに、不動は泣きながら笑って、俺は笑いながら泣いた。歌えなくなってしまった俺の代わりに、不動は即興で歌を作る。擦れた歌声ごと抱きしめて、俺たちは眠った。
 これを心中と呼ぶべきなのかはわからない。けれど、不思議と責める気にもなれなかったのだから、そう呼んでもいいのではないだろうか。少なくとも俺と不動は、こういう結果に終わるが、あのまま別離し、心が死ぬのと、こうして心を通わせて気持ちが尚も生きていること、どちらが良いかなど、結局のところ俺たちにしか正解を選ぶことはできない。そして俺は、どちらを選ぶかもう決めている。
 ここには確かに愛とも呼べるものが介在していることを、俺は知っているから。








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -