不動明王が消息を絶ったのは数年前の話だ。確か中学を卒業して、暫く経ってからのことだったと思う。中学の時は、不動は地元を出て寮で暮らしていたから、高等部に移る際にはまた別の高等部用の寮に荷物を移動させる必要があった。手伝うか、という問いに、不動は別に荷物は多くないからと断ったのだ。寮は家具は備え付けであったし、寮同士も距離があるわけではない。そうか、と俺は頷いて、それきり。その後はきっとそのうちまた会えるだろうと、そのまま連絡を取らずにいたが、不動が帝国の高等部に上がらず、しかもその後何処の学校に行ったかわからないという事実を知ったのは、春休みが開けてからだった。
 不動の連絡先を誰も知らなかった。なんとなく、誰かは知っているだろうと感じていたのだ。誰か一人くらいは、電話番号なりメールアドレスなりを交換しているだろうと。しかし、誰に尋ねても一人も知らなかった。自分のことを積極的に話すような人間ではない。けれど誰もその連絡先を知らないというのは、いくらなんでも少しおかしいのではないだろうか。一度、実家の方の連絡先と住所の情報を手に入れて、連休に訪ねたことがある。電話は通じなかったから、直接会いに行くしかなかったのだ。家族ならば不動の居場所を知っているだろうと思ったし、もしかしたら地元に戻ってそこから高校に通っているのかもしれない。しかし訪ねた其処は、もう何年も人が住んだ気配を感じさせない状態で、売りに出されていた。草が生え放題の庭を見て、元の庭はどのような姿だったのだろうと想像し、虚しくなってやめた。それ以来、不動の居場所を詮索しようと思ったことはない。
 そして数年が経って、不動の存在すら、滅多に思い出すことはなくなった。なのに今、こうして不動はここにいる。それも数年前の、そう、あの失踪した当時の、中学生の姿で。


「部屋、思ったより汚いな」
「片付ける暇がないからな」
「ハウスキーパーでも頼んでるかと思った」

 そんくらいの金はあるだろうしなぁ、と皮肉った顔で言う不動は、やはりあの頃のまま、成長した気配がない。マンションの前に立っている不動を見たとき、最初は幻覚かと思った。その次に、血縁者かと思った。けれどそのどちらも違うとわかったのが、こちらを見て、目を細め、名前を読んだからだ。俺をそのようにからかい混じりに呼ぶのは、この世界で一人しかいない。

「鬼道クン」

 その声に、はっと顔を上げると、不動はにまにまとこちらを見て、笑っていた。昔から人の感情を逆撫でするような笑みを浮かべる人間だったということを、その笑みを見て思い出す。あれから何年も経って、もうあの頃のことをほとんど忘れかけていた。こうして不動を目の前にして、ようやく思い出すことがいくつかある。

「訳がわからないって顔、してる」
「……実際、訳がわからないからな。何故お前は此処にいる。そんな、姿で」
「問に答えるのには、ちょっと長くなるけど」

 不動曰く、このような成長しないで姿が止まっているのは、エイリア石の影響であるらしかった。不動は佐久間や源田と違い、エイリア石の洗脳効果をほとんど受けなかったが、あの潜水艇爆破の際に、誤って石を飲み込んでしまったらしい。もちろんすぐに検査は受けたが、レントゲンを撮ってもどこにも異常はおろか石の姿は映っていない。だからそのまま放っておいたのだが、世界大会が終わり、帝国に編入した後、夏休みに酷い高熱を出し、そのまま何日か病院で検査を受けた。その結果、エイリア石は長い時間をかけて不動の身体のホルモンバランスなどを狂わせ、二次性徴期を迎えて暫く経った状態のまま、それ以上成長できないことが明らかになったのだそうだ。だから、高等部に進む前に姿をくらましたらしい。

「誰にも言わなかったのか」
「言ってどうなるって話だしな。まぁこの数年で色々治療とか受けてみたけど、実際どうにもならなかったし」

 出したコーヒーに口をつけた不動は、苦いと顔を顰める。どうやら、味覚の方も成長はしていないらしい。対して俺は、あの頃はあまり好きではなかったコーヒーを飲んで、不動を見下ろしている。数年の歳月、それもあちらの成長は止まっているわけだから、不動の背は小さく、身長の差を大きく感じた。今の不動はあの頃のアルバムからそのまま抜け出た形でここにいる。

「鬼道クンってさ。今何やってんの。仕事とか」
「事業を手伝っている。まだ駆け出しの状態だが」
「疲れ切った顔しちゃって」
「こんな訳のわからない状態に陥っていれば、そりゃあ疲れるだろうさ」

 そう答えれば、不動は軽く肩を震わせ、笑う。しかしその目はやや細められ、こちらをじぃっと見つめていた。居たたまれなくなって、目を逸らす。
 成長していない不動に対して、俺は成長した。背だって伸びたし、あの時のゴーグルは大切にしまいこんで、今では眼鏡をかけている。あの頃とは何もかも違う。
 あの頃のまま、何も考えずに未来を夢見ていた子供のままでいられる不動とは、違う。

「明日、休みだろ。ちょっと一晩泊めろよ」
「別に構わないが。俺はあまり構ってやれないぞ。家でやらなければならない仕事だって残っている」
「ふぅん。なんだ、サッカーできるかって思ったのに」

 その単語を聞いて、思わずカップを乱暴に置く。派手な音を鳴らしたそれに不動は驚くことなく、目をさらに細めた。先ほどから、きっと不動は吟味しているのだ。今の俺を。

「悪いが、そんな暇などない」
「だろうね。お坊ちゃん」

 わかっていて不動は言ったのだ。
 最近、サッカーを全くしていない。事業の手伝いを始めてから仕事に追われるばかりだったし、大学でもほとんどお遊びのようなサッカーしかしていなかった。あんなに熱中して見ていたサッカーの試合を、録画どころか新聞で勝敗をチェックすることすらしなくなった。今の俺は、あの頃とは違う。そんなことを忘れて、今まで過ごしてきたのだ。
 だから、あの頃を抜け出してきた姿の不動を見ていると、心臓が嫌な音を立てる。あの頃が一番輝いていたのだと、思い出すたびに辛くなるから、あの頃の仲間には今ほとんど連絡を取っていない。だからこそ不思議な形で失踪した不動のことも、頭の中から放りだしていられたのだ。薄情にも。
 
「今日、一晩泊める。でも、そのあとは帰ってくれないか」

 冷たくなったカップを持って、キッチンへ向かう。不動の顔はどうしても見られなかった。どんな顔をしていても、受け入れられそうになかった。



 来客用の布団を敷いた。ベッドがいいか訪ねてみたが、これでいいとさっさと不動は布団にも潜り込む。今不動はどんな生活をしているのか気になったが、追求しようとまでは思えなかった。
 普段気にならないカチカチという時計の音がやけに気になる。目が覚めてしまって眠れそうにない。コーヒーを飲んだせいではないということを、隣の布団の身じろぎに耳を澄ませてしまうことからわかる。

「俺、他の奴にも会いに行ったよ」

 その瞬間、あんなにカチカチと鳴っていた時計の針の音すら消えてしまったかのように思えた。
 何か言おうかと思ったが、喉の奥からは何の音も出ない。

「さっきの鬼道と同じことを言われた。もう来るなって。ある奴はお前を見ていると辛いって。昔のことを思い出すからって奴もいたな。自分がやってきたことを思い出すからって」

 からからと不動は笑うが、きっとその目は笑っていない。

「子供の頃の夢を叶えた奴ってどんくらいいるんだろうな。俺は全部覚えてるよ。お前たちがどんな夢見てたか。どんな大人になりたかったか。会いに行ってやろうと思った。お前たちがどんな大人になったか見たかった。まぁ、結果はさっきの通りだけどさ。思い出話もできなかったよ」

 タイムカプセルのような奴だと、そんなことをふと思った。あの頃のまま時を止めてしまった不動が、あの頃の生の記憶を引き連れてやってくる。アルバムよりも鮮明だ。だからこそ、大人になってしまった俺たちは不動を拒絶する。あの頃が一番輝いていたと、成長して知ってしまったからだ。あの頃無邪気に将来の夢を語り合って、あの中のどれだけがそれを叶えることが出来ただろう。夢を見ていられたときが、一番幸せだった。現実はそれも潰してしまうのだから。

「期待してたんだぜ。俺は大人にはなれないから夢を叶えることは二度とできないけど、お前らの何人かが夢を叶えていて、俺があの頃の話を酒の肴にして飲めるかなとか思ったんだ。まぁ俺の身体は子供のままだから、酒はあまりよくないだろうけどさ。だから、会いに来たんだ」

 そうして、不動は一度黙った。長い沈黙だった。それが、不動の答えだ。みんなが不動を拒絶した。だから不動の中に貯めこまれた記憶は、そのまま外に出すことができない。誰も開いて中を見ることをしないタイムカプセル。あの頃のまま取り残されてしまった哀れな箱。
 俺たちは不動を置いて大人になってしまった。だから不動はまた、一人きりだ。

「おやすみ、鬼道クン。せめて夢の中で、俺を大人にしてくれよ」



 FFI終わったら、お前どうすんの。
 ……。そうだな。このまま雷門を卒業して、それから高校は帝国に戻る。雷門には高等部はないし、それにまた円堂と戦うのも悪くないだろうし。
 ふうん。
 もともと鬼道家の事業を継ぐために養子になったが、大人になってもサッカーがしたいとは思っている。プロになって、自分の力がどこまで生かせるか見てみたい。
 難しいんじゃね、それ。
 反対はされるかもしれないな。もしかしたら無理かもしれない。そうなったらそうなったで、会社でチームを作ったりスポンサーになることだってできるだろう。
 サッカーのない生活なんて考えられませんってか。
 そういうお前はどうなんだ。
 俺?
 人のことばかりで。お前は学校だってサボりそうだし、真っ当な社会人になれるかどうかも怪しいな。
 うっせえよ。
 どうなんだ?
 そうだなぁ。……じゃあ、変なところで抜けてる鬼道クンが、ちゃんとその夢を叶えているとこを見て褒めてやるのが俺の夢。駄目だったら、またほっぺたにビンタ食らわせてやるよ。



 長い夢を見た。この記憶は本当にあったものなのだろうか。それとも作り出してしまったものなのだろうか。それすらもわからない。
 朝起きてみれば畳まれた蒲団だけがそこにあって、不動がいた痕跡はそれしか残っていなかった。
 夢の中でさえ不動を大人にしてやれなかった俺は、きっとあの頃に戻りたいと感じるままの心で停滞しているのだろう。
 布団を片付けるその手はあの頃よりも大きくなったはずなのに何も掴めないままで、その日俺は少しだけ泣いた。








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