基山ヒロトは吉良ヒロトではなかった。けれど吉良ヒロトではない基山ヒロトは基山ヒロトですらなかった。
 ヒロトはヒロトではなく、宇宙を構成していた欠片のほんの一粒が人格を持ってしまったもので、それが誤ってこの星に落ちてしまったのだ。生まれたての一粒は、一粒が落ちてきたその瞬間に偶然にも息を引き取ったひとりの人間のデータを取り込み、それに擬態した。まだ生まれたての一粒は、人間のデータそのものを写し取ることができず、人間と同じように幼い赤子から成長することでこの星に順応することを本能的に選んだのだった。


 いつの時代のSF小説だ、と罵りたくなるその内容を宇宙の一粒であったヒロトは受け入れるしかなかった。自分の居場所はどこにもないのだという孤独感が、それをさらに促した。
 吉良ヒロトではないヒロトがようやく基山ヒロトとしての自分を受け入れてたった数年、その声は唐突に聞こえた。日本語でも、英語でもない。きっと、この地球のどこの国の言葉でもない。それは宇宙の言葉だった。音でもない光でもないその言葉の意味を、不思議とヒロトは理解できてしまった。それはヒロトがまぎれもなく宇宙の一粒である証拠でもあった。一粒であるヒロトは宇宙であり、宇宙はヒロトという一粒なのだということを、本能に刻まれたそれを、ヒロトは思い出してしまったのだ。
 ヒロトは泣くしかなかった。ようやく吉良ヒロトではなく基山ヒロトとして生きようと思えたのに、こんなのはあんまりではないかと夜が来るたびに嘆く。自分の居場所はここにはないのだと感じたものが、単純に思春期が感じる特有のもので完結してくれたらどれだけよかったのだろう。この世界のどこにも、自分の居場所は本当に存在しなかったのだ。
 一であるヒロトが全である宇宙の声を聞くことができたのは、ヒロトが基山ヒロトの肉体を構成するためにベースとして利用した当時の吉良ヒロトと年齢が近づいているから、らしい。幼かった宇宙の一粒が肉体の成長と共にその力を取り戻したのだ。それと同時に知らされたのは残酷な現実だった。ベースとして利用した吉良ヒロトの肉体は死んでしまったために、その年齢を追い越した瞬間、基山ヒロトの肉体は宇宙に溶けてしまうのだそうだ。吉良ヒロトをベースとして作ったため、死んだその先のデータがない。したがって、そのデータを取りこんだときの吉良ヒロトの年齢までしか、基山ヒロトは肉体を再現できない。
 肉体が保たれる機嫌は、約一週間後。奇しくも、何十年に一度という流星群の夜だった。

 人間としてのタイムリミットが近づいていることが、ヒロトを憂鬱にさせた。もともと、喋らない性質であったが、その憂鬱はさらにヒロトの口を閉ざす。何人かは心配そうにヒロトを眺めているが、それもあと一週間であると知っているヒロトは、その視線に構ってなどいられなかった。
 視線だけではなく、声をかけてきたのは、ヒロトが初めて友達と心から呼べる人物だった。

「悩み事か?」

 普段鈍感で人の心の小さな悩みにはあまり気付かないであろう彼が話しかけてきたことに、ヒロトは驚いた。だから、思わず口は、まぁね、とそれに返す。人から離れて席に座っていたヒロトの隣に、彼も腰を下ろした。
 こうやってとなりに座るのは、あと何回なのだろうと自嘲したが、もうどうとでもなれという気持ちが、ゆっくりと口を開かせる。

「ねぇ、もし俺が、宇宙人だったらどうする? もちろん、本物の」
「はぁ?」
「もしもの話だよ。俺が宇宙人で、実は自分でもそのことを自覚していなかったんだ。それで、次の流星群の夜、宇宙からのお迎えが来て俺が宇宙に帰るんだ」

 なんだかそれってかぐや姫みたいだなぁと彼は笑った。俺も笑みを返す。もっとも、多くの人間を狂わせたような悪女ではないけれど。

「宇宙人からお迎えが来たら、ヒロトは行っちゃうのか?」
「そうだね、おとぎ話みたいに、連れて行かれるんだ」

 そうやってヒロトはようやく、元の世界に帰ることができる。自分の居場所をようやく手に入れることができる。もう孤独に苛まれることはないのだ。ならば何故、こんなにも憂鬱な気持ちになるのだろうか。
 なぁ、と彼はヒロトに再度、笑いかけた。ん、と首を傾げてヒロトはその先を待つ。

「流星群見に行こう」



 孤独に吉良ヒロトを再現して生きようとしたヒロトを引きとめたのも、孤独に宇宙に溶けようとしていたヒロトを引きとめたのも、彼だった。
 学校に忍び込んで、屋上に上った。鍵は不思議と、かかってはいなかった。人間としての最後の夜に星がくれた、小さな奇跡なのかもしれない。
 まだ夜は寒いから、ポットとお菓子と上着を持って、レジャーシートの上に二人で腰掛ける。他の誰かを誘っているかと思っていたのだが、今屋上にはヒロトと彼しかいなかった。
 待ち合わせる前は、どんなことを言おうか、悩んでいた。宇宙に溶ける前に、何か思い残したことはないだろうかと考え、ありすぎる自分を知ったとき、なんだ自分に居場所がないと感じていたのはただの馬鹿ではないかと、自嘲する。こんなにも、思い残したことが多すぎる。伝えきれなかった言葉の分、星がまた、落ちていく。そら、今も。
 夜空から落ちる星のひとつひとつはきっとどうしようもない悲しさの成れの果てだ。

「今日、お迎えが来るんだっけ」
「……うん、そう」

 今の自分は笑えているだろうか。そうやって冗談にしてしまわなければ。そうでなければ。――どうなると、いうのだろう。
 どうもならない。冗談として処理しても、本当だと訴えても、今日、この夜、ヒロトは宇宙に溶けるのだ。だったら今更、何もできるはずがない。
 この気持ちも全部抱えて宇宙に溶かしてしまうしか、ないのだ。
 心の内側で焦げ付く思いも、全部、全部。

「嫌だな」

 小さく震えるヒロトの手に、小さく熱が重なった。

「嫌だなぁ、俺」

 その言葉に顔を上げると、彼は相変わらず星が落ちる空を見上げながら、笑っていた。けれど、その声に、その手に、幽かに感情を乗せてくるのを、ヒロトは感じていた。駄目だ、とその声の先を、止めてしまいたくなる。けれど重なった手に力が込められたときに、理解してしまったのだ。嫌だ。いや。

「だって俺、ヒロトが好きだからさ」

 消えたくない。

「もしお迎えがきても、絶対引きとめるんだろうなぁ」

 だってこんなにも、彼が好きなのに。

「ヒロト?」

 重なった手を握り返して、さらに彼に抱きついた。消えたくない溶けたくない。だって自分の居場所なんてここ以外いらない。気付かないふりをしていた。そうするしかなかった。だってこの世界には自分の居場所はないからと全部あきらめて溶けようと思ったのに、この世界のどこにいたって宇宙のどこに溶けたって、彼の隣以外などいたくない。気付かなきゃよかった。知りたくなかった。この気持ちも彼の気持ちも、気づかなければ知らなければこんなに苦しい思いなど、しなくてもよかったのに。
 溶かさないで。ここにいたい。お願いだから、と何度も落ちる星に願いを込めて、それでも星はきっと悲しさの成れの果てだから、何も聞き届けてなどくれやしない。
 だから、彼に願うしかない。

「ねぇ、ずっとこうして俺を引きとめて」

 好きなんだ、どうしようもないくらい、宇宙で一番好きで。なのに。もう一緒にはいられない。流れる星に負けないくらいに涙を零して泣くヒロトを、彼は黙って抱き返す。太陽のような熱の中で、ヒロトは静かに宇宙へ溶けていった。


「ヒロト」

 と呼ぶ声の主は宇宙は知っている。

「ん?」

 と答える声の主も宇宙は知っている。

「ほら、流れ星」

 かつて宇宙の一粒だった一粒は、宇宙に溶けて宇宙になった。一から全に戻った宇宙は、全部知っている。一粒が擬態した肉体が宇宙に溶けた後、その穴埋めをするためにベースとなった人間を蘇らせたこと。それに合わせるように多くの人々の記憶を修正したこと。宇宙の一粒が歴史に与えた影響をなかったことにするために、代替として用意された吉良ヒロトが今日も彼の隣にいることを、宇宙は知っている。手を重ねて彼が何を願うのかを、宇宙は知っている。

「何を願ったの?」
「そんなの決まってるだろ」

 だから今日も静かに星は流れていく。流れる星は悲しさの成れの果てなのだ。

「ヒロトとずっと一緒にいられるようにって」

 けれど流れて溶けた悲しみが、今度はどこに帰るのかを、宇宙はまだ知らない。








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