負けるつもりはなかったし、自信はあった。半年近くかけてチームを作ってきたし、新しく入部してきた一年生も、隠し玉として育ててきた。だけど、負けた。あーあ、これで俺の中学サッカーはお終い。 FF地区大会、決勝敗退。 「ほら、」 目の前に差し出されたジュースを、ああうん、と受け取る。氷たっぷりのメロンソーダだったが、ただでさえ最近上がっている気温に加え、この熱気であっという間に溶けてしまいそうだ。今日の雷雷軒は、俺たち帝国メンバーと雷門メンバーで貸し切りになっている。一般の客は入ってこないように貸切の札はかかっているが、ヒロトや緑川など、懐かしい顔はいつの間にか入り込んでいた。 それをぼぅっと眺めていると、隣に座った鬼道が、どうしたと尋ねてくる。なぁんも、と俺は首を横に振り、ストローに口をつけた。 「終わったなって」 「俺たちはまだ全国があるがな」 「けっ」 勝てると思った。試合は延長まで持ち込み、どちらも体力はギリギリ。佐久間と俺は隙を見て上がったが、カウンターを食らった。指示を飛ばすが間に合わず、一点。そこでホイッスル。あぁ、終わったんだな、と溢れる歓声で理解した。勝てなかったし、今年の帝国にはシード権がない。全国にいけない。だから、三年生の俺たちは、今日でサッカーはお終い、だった。悔しいような、すっきりしないような。体力を使いきって座りこむ俺に手を伸ばしたのは、鬼道だった。この手を掴むのは最後なのだな、と思うと、ちょっと惜しい気がしたが、そんなこと言ってやるもんか。 「でも、今日の試合は面白かったな。俺がいたころより面白いチームになっていた」 「当たり前だろ。俺が半年かけて調整してきたんだからな」 「やはり、お前にその制服を譲ってよかった」 帝国の制服に身を包む俺を見て笑う鬼道に、けっ、と吐き捨てる。 FFIが終わって、俺は帝国に編入した。というか、いつの間にかそんなことになってた。俺たちの預かり知らぬところで、真・帝国生徒の処遇は決まっていたらしい。ほとんどの生徒は自動的に帝国に編入することになっていた。とはいっても、俺の家は貧乏だから、学費諸々が免除されても馬鹿高い制服を買う金はない。そんな俺に制服を譲ったのは、雷門に編入し帝国の制服がいらなくなった鬼道だった。 「この制服、すぐ着なくなると思ってた」 「成長期は来なかったな」 「うっせ。単純に帝国は合わなねぇと思ってたんだよ。どいつもこいつもまぁ、お人よしなこって」 「本当、良い奴らだろう?」 それには答えず、炒飯を食べる。厨房では確か飛鷹が手伝ってるんだったか。話している間に少し冷めてしまったが、普通に美味しい。たまに食いにくるかなと思ったが、来たらいつものメンバーに会ってしまいそうなのが嫌だ。 「お前、高校どうすんの」 同じように隣でラーメンを啜る鬼道に尋ねる。ずるずるとちょうど良いところまで食べたところで、ぽつりと、帝国に帰る、と鬼道は答えた。大体予想の範囲内だ。雷門には高等部がない。帝国は進学校だし、サッカーの名門だ。来年の春にはこいつは帝国に帰ってきて、今サッカー部をまとめている俺は晴れてお役御免。そんなところか。 鬼道を見れば、おまえはどうする、と視線が聞いていた。 「俺、中学でサッカーはやめる。だから、帝国からもいなくなる」 「は?」 「つもり」 ぽかんと口を開け目を見開く鬼道がおかしくなって、笑いながら続けてやった。 中学でサッカーはやめるつもりだった。自分のサッカー人生で最高の瞬間はきっと、あのFFIだったのだ。そんなことを薄々、感じてはいた。帝国に編入して、学費免除の条件がサッカーや成績に関することだったから、そのままサッカー部に入って、鬼道の穴埋めを始めた。真・帝国のことで多少はいざこざはあったが、佐久間もいたし、FFIのこともあったから、驚くほどあっさりと帝国には馴染んだ。それでも、やはり自分の中のサッカーはあの瞬間で終わっていたのだ、という感覚が拭い取れなかった。FF大会で、せっかくだからどうせ決勝に昇ってくる鬼道に、新しい帝国メンバーをぶつけてやろうか、と思い始めてから少しおかしくなったのだろう。真・帝国の時とは違う、正式なる乗っ取り。どうやればこいつの間抜けヅラを見れるかを考え始めて、それが少し楽しくて、思った以上に真剣にチームを作っていた自分がそこにはいたのだ。全力を出して、全部ぶつけた。相手を負かして、清々しい気分で負かしてやろう、と今日を迎えた。勝つ自信はあったし、もし勝てなかったとしても、満足してサッカー人生を終えられる気がしたのだ。 「だったんだけどさぁ」 全然満足していない自分がここにいるのが現状なのだ。負けてしまったからか。満足できるって、思っていたくせに。全然、満足できていない。 試合が終わって、もやもやしたものの正体をはっきりと実感したのは、グラウンドに座り込む俺に、鬼道が手を差し伸べた瞬間だった。 惜しいな、と思ったのだ。この手を掴むことが、もうないということが。試合を通じてでしかしないようなコミュニケーションやボディタッチ。そんなものが惜しくなるだなんて、想像もしていなかった。あんなに独りで生きようとしてたのに。結局絆される自分がいるのに、呆れてしまう。 「俺、サッカーやめたくないわ」 漏らした本音に恥ずかしくなり、メロンソーダの入ったグラスのストローを回して、からんからんと氷を鳴らす。そうか、と再びほっとしたように笑う鬼道がなんだかむかついて、爪先で軽く足を蹴ってやった。ゴーグルつけてるくせに、ラーメン食べて曇らないのかよ。 「じゃあ、お前もそのまま帝国に上がるんだな」 「それは知らね」 「はぁ?」 さっきよりも盛大に驚いた鬼道のつけたゴーグルは案の定曇っていて、俺はげらげらと笑った。 「どういうことだ。授業料はお前なら免除されるだろう?」 「余裕で」 「なら何故だ」 「何故って、」 手を伸ばして、曇ったゴーグルを拭う。ようやく、見えにくかった目が少しだけ見えるようになる。その目は疑問を含んでいたし、怒りを含んでいるようにも見えた。あーあ、そんなに俺と離れるのが嫌かねぇ、と少しだけ嬉しくなってきた、気がする。 ゴーグルを引っ張ると、普段は隠れている赤い目が、はっきりと見えた。こいつ、高校なってもゴーグルするのかな。するんだろうな。余計に隣歩くの嫌になるだろうなぁ。 「今度こそお前を負かして、大勢の前で泣く姿が見たいからに決まってんじゃん」 ばぁか、と手を離してやれば、勢いよく戻ったゴーグルが鬼道の目に当たる。痛そうに顔を押さえる鬼道に、負かさなくても今この手の下は涙目なんだろうな、と想像して少しだけ面白くなった。鬼道の食べていたラーメンはすっかり冷めきって、もうゴーグルが曇ることはないだろう。 |