「ねぇ、鬼道クン。お前の妹、俺にくれよ」

 その言い方に、思わず顔を顰める。それがわかったのか、不動は、おお怖、と肩を竦めながら大げさな動作をした。それが尚更不快感を煽るものだから、自制というものが効きそうになかった。

「春奈は物じゃない」
「知ってる」
「だったら、そういう言い方を改めろ」

 不動が春奈と付き合い始めてから、何年か過ぎた。最初こそ、色々口は出していたものの、今では春奈の自主性も理解して、黙認しているに近い。告白は、春奈からだったそうだ。二人が付き合い始めたということを知ったのは、春奈や不動からではなく佐久間の口からで、それも面白くはなかった。どう言われようが、妹は大事だ。例え、付き合っている相手がよく知っている人間でも。いや、だからだろうか。
 不動は決して不誠実な人間ではない。それは長年一緒に過ごしてきた俺が良く知っているし、何より大事に思い信じている自分の妹だって知っているはずだ。しかし、斉一な人間かというと、そうではない。出逢ってから数年、何度トラブルを繰り返してきたことか。自分ともそうだし、第三者とも。昔ほどではないが、今だって、誰かと諍いがあるたびに借り出されるのは自分や源田、春奈だった。一度、大きな喧嘩をしてきて、酷い大怪我をしてきたことがある。それを真っ先に怒鳴り、泣いて、労わったのは春奈だった。その悲痛な声を思い出すだけで、胸が締め付けられる。あのときのような思いを、二度と春奈には。

「もうさ、俺らも年だし」
「それでもまだ若い」
「俺の性格知ってるっしょ。逆に、きっぱりきめちゃった方が、落ち着くんじゃないかって」

 本当は、気づいている。不動がこう言い出す時点で、ある程度の覚悟は決まっているのだ。もし、俺が頷けば、すぐに不動は春奈の元へと向かうだろう。
 もっと早く、そうなる機会などいくらでもあった。それでもそうならなかったのは、それを躊躇させるものがあまりに大きすぎたのだ。一度家庭の崩壊を味わっている俺たちにとって、その一歩を踏み出すには勇気が足りない。どちらかが死んでしまったら。解決のできないトラブルが起こったら。子供がいれば、俺や春奈のようになるかもしれない。本人に非がなくとも、不動の家庭のようにどうしようもない歪みが家庭の中に生まれる場合もあるだろう。それがわかっているから、周りも、そういうことを促すことはしなかった。無責任なことを言うわけにはいかないからだ。特に、不動はその点においてあまりに諦観が過ぎた。それを知っているから、俺は春奈に対して不動と付き合うことに黙ってはいなかったのだ。他の何より、その諦観は、きっと春奈を傷つける。
 けれど、不動は決めてしまった。今、俺が頷かないとすれば、きっと不動は春奈に会いに行くどころか、春奈と別れるだろう。ここで今、決めてしまおうとしているのだ。誰より春奈の幸せを願う俺が、どう決断するかで。酷いではないか。そんな俺が、どう決断するかだなんて、おまえは知っているのだろう。

「妹さんを、俺にくださいってね。やっぱそこ、通らなきゃ」
「……ならば土下座でもしてみるか」
「お望みならばね」

 不動は笑って、膝をついて、頭を下げる。こんな風に見下ろすのは、初めてだ。

「音無春奈を幸せにさせてください」



「不動さんにね、プロポーズされたの」

 そう言った春奈は、嬉しくてたまらない、という風ではなかった。ただ、少しだけ肩の荷が下りたような、そんな横顔。こんな横顔を見るのは、初めてだ。

「それで、どうしたんだ」
「知ってるくせに」

 そこでようやく、春奈はくすりと笑う。風に靡く髪を押さえる仕草は、数年前と少し違う。数年が経った。もう春奈は子供ではないのだ。それが少し寂しくて、頬に手を伸ばし、触れた。冬の風に撫でられた頬は、少し冷たい。春奈はそれに、自分の手を重ねた。

「不動はおまえを幸せにできないかもしれない」
「できるわ。だって、不動さん、できないことは決して口にしないもの。お兄ちゃん、知っているでしょう」

 ああ、知っている。不動は春奈を幸せにするだろう。寂しい思いはさせるかもしれない。喧嘩もするかもしれない。それでも不動は春奈を幸せにするだろう。あいつはそういう男だ。
 数年かかって、ようやく不動は確証のある言葉を伝えたのだ。

「それに、大丈夫。不動さんがわたしを幸せにできなくても、わたしが不動さんを幸せにするもの」

 不思議なもので、数年一緒にいれば、男女とは似てくるのだろうか。春奈も、同じように、確証のない言葉は口にしなくなった。俺は、春奈のこともよく知っているのだ。もう二人のどこにも、俺が入る隙間などなかった。

「ねえ、お兄ちゃん。わたしに不動さんを幸せにさせて」

 春奈も俺の言葉を待っている。馬鹿だ。二人して、もう決めてしまったのに。それでもまだ不安なのか。俺はやっと、安心できたのに。
 手が触れているのに、寂しくなる。ここで手を離してしまったら、もう春奈は遠くへ行ってしまう。誰より大事にしてきた、たった一人の妹。可愛くて、愛おしい、俺の妹は、きっともう何処へでも行ける。二人で、何処へだって行ける。不動は春奈を幸せにするだろうし、春奈は不動を幸せにするだろう。俺は知っている。二人はそういう人間なのだ。
 春奈は少し寂しげに笑って、重ねた手とは逆の手で、俺の頬に触れる。温かい。冷たい。春奈の冷たい手が、優しく頬を撫でていって、離れた。もうさよならだ。

「馬鹿ね、お兄ちゃん。泣くのなんて、結婚式だけでいいのよ」










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