合宿所の裏に野良猫が住み着いているらしい。それを最初に見つけたのは虎丸くんで、大きな目を輝かせて追いかけまわしていたのを覚えている。住み着いた猫はどうやら雌猫のようで、野良猫にしては白く毛並みの良い彼女は、つんと澄ました顔をして、決して俺たちに近づこうとしなかった。餌を買ってきても、近くに人間がいるときは決して寄ってこない。少し遠くに離れて、こちらの様子を窺いながら、そうっと餌に近づくのだ。誰か飼えるひとがいないかと思ったけれど、北は北海道、南は沖縄に本来住所を持つ俺たちには飼うことができない。家庭に問題を抱えるひとだって少なくないのだ。そんなことを電話の途中、世間話のひとつとして玲名に話したところ、だったらうちが引き取ると名乗り出てくれた。お前と緑川の分の食いぶちが減ったから、猫一匹くらいどうとでもなる、と冗談なのかなんなのかよくわからないことを言われてしまった。FFIが終わったあと、俺と緑川の帰る場所は猫に取られてしまうのではないだろうか。しかしすぐには引き取りに来れないらしいので、しばらくは合宿所で飼っていて欲しいらしい。わかったと頷けば、さっさと玲名は電話を切った。そういうところは相変わらずだ。
 澄ました顔の白猫を、俺はこっそりウルビダと呼んだ。ウルビダはどうやら少しずつ俺たちに慣れてくれたようで、一人きりのときには寄ってきてくれる。少ないお小遣いで青い首輪を買って、つけてやった。つんつんしている彼女は、本当に玲名を思い出させる。
 合宿所にベッドを作ってやったものの、ウルビダは気がついたときにはそこから抜け出して、合宿所の周りをぐるぐるとうろついた。今日も、玲名が引き取りに来る日なのに、誰かが開けた入口から抜け出してしまったらしい。玲名が来る前に見つけなければと、何度もウルビダの名を呼んだ。ウルビダが気にいった猫缶を置いて、おとなしく出てくるのを、待つ。

「ウルビダ、出ておいでよ」
「……わたしがどうした」

 その声に慌てて振り返ると、玲名がウルビダを抱えて立っていた。あのすんと澄ましたウルビダはどこにいってしまったのだろう、彼女は玲名の腕の中でごろごろと甘えていて、少しだけショックを受けた。

「玲名が捕まえてくれたんだ」
「あぁ。ところで、さっきウルビダと呼んだだろう」
「えっと、それは、」

 まさか猫にウルビダと名付けてたなんて知ったら、玲名は怒り狂うに違いない。本当に、FFIが終わったらお日さま園に俺の居場所が残っているのか、怪しくなってきた。ウルビダと俺が名付けた毛並みの美しい白猫は、玲名の腕の中で何も知らないとばかりに、にゃあんと鳴いた。





*********




 はじめまして。わたしははじめてみたときからあなたのことがうんぬんかんぬん。目が滑るようなその手紙を、最後まで読まずに破って捨てた。ごめんね資源。でも再生されてほしくないんだ。黙って燃やされておくれ。
 なんとも女子とは恐ろしいもので、ラブレターを入れるために開けた靴箱に、すでに誰かが入れたラブレターが入っていたら、それを捨ててしまうらしい。そうして自分の書いた手紙を置くのだ。見下ろしたゴミ箱には誰かが書いた手紙が細切れになって捨てられている。ほら、この手紙もそいつらの仲間入りだ。
 早くしないと玲名が来てしまう。その前に自分も靴を履き替えなくては。ゴミ箱に蓋をして、上靴に手を掛ける。あとは振り返らなかった。




 不健康そうな肌をしたその身体の、首筋に手を掛ける。少しずつ力を入れても、ヒロトは相変わらず薄く笑んだまま、それを止めようとしなかった。此の男の此の笑い方が、わたしはずっと嫌いだった。なにもかも知ったふりをして、それでもなにもしない。諦観。虚無感。ここにはなにもない。二酸化炭素しか生まれない、無意味な空間、無意味な関係。そっと、ヒロトが首を絞める手に触れた。止めるわけでもない、ただ撫でるだけ。優しく優しく、撫でるだけ。それが却って、ひどく惨めな気分になって、わたしは首を絞めるその手の力を抜いた。おまえはなんてひどいんだろう。そうやって薄く笑って、考えていることも感情もすべてを隠してしまうから、おまえのことが憎くてたまらなくなる。こんなわたしを、責め立てて、子供の癇癪だと嘲笑って、否定してくれれば、せめてわたしは救われたのに。

「それでも俺は、きみに許されないことが救いだったよ」

 あぁ、だからわたしは救われないのだ。




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 玲名がモテる。女の子に。俺よりも。なんということだろう。今日だって、一年生の女の子に呼び出されて、お昼も食べないで行ってしまった。こういうとききちんと面と向かって断るのは玲名の良いところかもしれないけれど、俺は不安でたまらない。万が一でも、頷くことはないとは思うのに、もしもそんなことになってしまったなら、きっと立ち直れない。よりによって女の子。今日の女の子は色白で、背が小さくて、意外と世話焼きな玲名の保護欲をそそりそうな子だった。俺だって色白だよ、と呟いてみるものの、ぽりぽりとイチゴポッキーを食べる晴矢に、ただ不健康そうな色しているだけだろと切り捨てられた。イチゴポッキーは玲名のロッカーの中に入っていたものだ。今日の貢物その一。面と向かって渡されるなら玲名は断るけれど、ロッカーにいつの間にか突っ込まれている分には流石にどうしようもない。そういったものは、食べ物だったら大抵俺たちが消化した。玲名は甘いものがあまり好きではない。そんなことも知らないのに、あの子たちは玲名が好きだと言う。その単純さが羨ましかった。

「玲名、遅くないかな」
「五分前に呼び出されたばっかじゃん」

 そんなに気になるなら見に行けばいいだろ、と晴矢に言われたが、見に行ったら殴られることは確実だった。入学当初は男女問わず(今は圧倒的に女子に)呼び出された玲名をこっそり見に行く度にそうだった。玲名が呼び出される度に、俺がどんなにそわそわと落ち着かない気持ちになるか、玲名は知らないのだ。知っていて、知らないふりをしているのかもわからない。はぁ、と溜息を吐いてイチゴポッキーを咀嚼する。

「そういえば、お前進路調査の紙書いてないだろ。俺が係だからさっさと書けよ」
「忘れてた」

 ファイルの中から進路調査の紙と、あまり中身の入っていないペンケースの中からボールペンを取り出す。進路調査と言われても、いまいちぱっと思い浮かぶものがない。一年後の自分よりも、たった今の玲名のことが、こんなにも俺を不安にさせるのだ。名前を書いたあとにペンが止まってしまった俺に、晴矢はめんどくさそうにお嫁さんになりたいとでも書いておけよと言い放った。仮にも進路調査書を集める係として適切なアドバイスなのだろうか。もう考えることも面倒になってしまった俺は、言われたままにその内容を書いた。第二希望第三希望、以下同文。俺は玲名のお嫁さんになりたい。そうやって玲名の一番になりたい。どんな可愛い女の子に呼び出されても不安にならない関係になりたい。まさか冗談を真に受けるとは思わなかった晴矢が、馬鹿、消せよ、と慌てたものの、ボールペンで書いてしまったのだから消しようもない。修正液も修正テープも、この薄っぺらいペンケースには不在だ。進路調査の紙を晴矢に押し付けて、もう一度机に突っ伏した。
 俺は切実に玲名のお嫁さんになりたい。








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