「ナニコレ」

 ずかずかと仕事部屋に入ってきた不動の目は据わっている。最近ではすっかりと丸くなった不動だが、時々するその目が恐ろしくて、背中に冷や汗が流れる。

「……煙草」
「なーんーでー、こんなもんがウチにあるんですかー?」
「……仕事の合間に吸ってるからです」

 敬語口調の不動に、思わず同じように敬語で返す。俺の間抜けな返答に不動は、ンなこと知ってるっつーの、アホか! と思い切り煙草の箱を投げつけてきた。眼鏡をかけているから良かったものの、目に当たったらどうしてくれる。煙草の箱はご丁寧にぐしゃぐしゃに潰され、もう吸えそうになかった。最近では煙草も高くなってきているから、少し落ち込む。チェストの奥にしまい込んだはずなのに、不動はしっかりとそれを見つけてしまったらしい。不動は煙草が嫌いなのだ。外食に行く時は必ず禁煙席を選ぶし、目の前で吸おうものなら睨みつけられる。暫くご飯抜きにされたこともあった。前はベランダで吸う分は許してくれたのだが、仕事量に比例して増えていく煙草の吸殻に、俺も禁煙を命令されたばかりだった。

「大体、空気清浄機回してても煙草の匂いなんか消えるかよ。この部屋めっちゃくちゃ臭い。ていうかもう鬼道ちゃんが臭い」
「その言い方は傷つくからやめてくれ」
「事実だろ、ヘビースモーカー」

 ヤダヤダ、喫煙者って全然人のハナシ聞かねーんだもん。本当に臭いのか、不動は鼻を押さえて仕事部屋を出ていく。そうか、臭いのか、そう落ち込み始めると、もう仕事が上手くいくはずもなかった。ネットさえあれば仕事はどこででもできる。前はそうでもなかったが、今では外で仕事をするよりも家で仕事をすることの方が多い。それなりに交通の便が良い場所にマンションを買い、不動と暮らし始めたのは一年ほど前の話だ。大学に入った不動は教員免許を取り、この近くの中学校の教師になった。教える科目は数学だ。元日本代表だという俺たちは、そのままプロになった者もいれば、俺のように全くサッカーと関わりのない仕事をしている者もいる。不動もその一人かと思っていたら、どうやら昔から監督になることを目標にしていたようで、赴任先の中学校のサッカー部からも歓迎されていた。見た目は昔みたいなモヒカンではないものの、教師にしては目付きは悪いしピアスも付けたままな不動はあまり保護者にウケがよくなさそうなものだが、実際には生徒にも保護者にも結構ウケが良いらしく、たまに差し入れのビールを貰ってきては二人で飲んだ。酒はガバガバ飲む不動も、煙草だけは吸わない。すぐ息切れるようになるだろ、ガキの面倒見るのに、もう年だなって言われるのだけは屈辱なんだよ。そう言ってついでに俺の煙草も握る潰すのだけは勘弁してほしいものだった。
 仕事部屋を出て不動を追う。リビングにもおらず、どこにいるのかと探し回れば、寝室で、ボストンバッグに着替えを詰めていた。まさか、家出か。確かに煙草をやめなかったのは悪かったと思ってはいる。だからといってまさか家を出ていくという暴挙にでるとは。いや、不動ならばやりかねない。先ほどの目が据わった不動を思い出す。

「ふ、不動。悪かった」
「あ?」
「これからはちゃんと禁煙するから。すぐ、には無理かもしれないが。だから頼むから、出ていくなんて真似はやめてくれ」

 懇願する俺の顔がよほど間抜けだったのか、不動はぽかんとした顔をする。しかし、一瞬の後に、げらげらと笑い飛ばした。腹痛い、とまで言って転げまわって笑う不動に、どうすればいいのかわからない。

「俺、明日から遠征。一週間前には言ってたし、冷蔵庫のカレンダーにも書きこんでただろ」

 その言葉にそういえばと思いだす。一週間も前のことなのですっかりと忘れてしまっていた。思い出せば、今の自分の懇願というのはなんて恥ずかしいものなのだろう。思わず、ベッドに腰を降ろしてそのまま倒れ込んで、枕に顔を埋める。恥ずかしい。かなり恥ずかしい。ぎしり、と不動がベッドの上に乗る音がする。すぐ耳元で、不動がにやにやと笑う気配がした。

「何、鬼道ちゃんってば、そぉんなに俺に出ていってほしくなかったわけ? ん?」
「……もうやめてくれ」
「可愛いところあんじゃねーか。明日から大丈夫か? 俺が恋しくて泣いちゃったりとか、しねぇ?」

 言い返そうとしても、さっきの醜態を晒した後だと、何を言っても説得力に欠ける。それがわかっているのだろう、不動は俺が続いてどんなことを言うのかを、笑いながら待っているのだ。ならば、そう思って不動の襟首を掴み、ベッドに押し倒す。大丈夫じゃないと言ったら、この男はどんな表情を浮かべるのだろう。

「暫く会えないのだろう」

 そう言えば、俺が何を言いたいのか理解したらしい。相変わらず頭はよく回る。ふぅん、と楽しげな笑顔を浮かべ、首に腕が回される。別に良いけど、そう許可を得て、俺は不動に顔を近づけた。何をするにも、落ち着きがないのは俺の方だった。いつだって不動の方にイニシアチブを取られる。せめてベッドの上では、その立場を逆転させなければ立つ瀬がない。まずはキスから、そう思って押さえる手に力を入れたところで、不動が顔を顰めた。

「ちょっと待て」
「ん?」
「やっぱ駄目。無し。お預け」

 思い切り頭突きされて、思わず仰け反る。不動は相変わらず容赦がない。それにしても、割と良い雰囲気だったのにも関わらず、何故急に駄目だというのか、まったく理解ができなかった。少しくらい怒ってもいいのかと不動の方を向いたが、不動は俺以上に機嫌が悪いようだった。ベッドを下りて、再び荷物を詰め始める。

「不動、何故急に」
「鬼道ちゃん、臭い」
「はぁ?」
「煙草の匂い。禁煙するまでキス禁止だって言ってたよな。お前、今日吸っただろ。我慢できねぇ」

 どうやら不動の煙草嫌いを舐めていたようだった。確かに、禁煙を始めたときは、キス禁止だと散々言われていた。しかし最近はお互いに忙しく、なかなかそういう雰囲気にならなかったため、そのことをすっかり忘れていたのだ。いや、バレないと思っていた、というのが正しい。しかしチェストの奥から隠していた煙草を見つけてくる不動のことだ。もしかして最初から俺が今日吸ったことを知った上で、こういうことをしたのかもしれない。お預けを食らった今、現に今まで言われていたどんな罰よりも辛すぎる。

「それとも、何か。口寂しいから煙草吸っちゃうわけ」

 そっちの方が、言い訳としては上等だ。ずっとキスをしてなかったことは確かだったし、そう言えば、煙草に嫉妬などという可愛げのある部分を見せてくれるかもしれない。頷いて見せれば、不動はにっこり拳を握って親指を下に向ける。

「自分の指でもしゃぶってろよ馬鹿が」

 俺、今日はネカフェに泊るわ。荷物を詰め終えた不動がさっさとボストンバッグを担いで部屋を出ていく。それを追うにも、目だけが笑ってない笑顔がそれを牽制した。結局、ベッドの上で不動が玄関を出ていく音を聞く羽目になってしまった。もう一度枕に顔を押し付けて、長い溜息を吐く。不動が帰ってくるまでに家中の隠し煙草を処分してしまわなければ。いっそライターも処分してしまおうか。しかし接待のときに無いと困る。もう一度溜息を吐き、最後の一本をと、喫煙者が禁煙を始める前の常套句を口にして、ベッドの脇のチェストを探る。ここにも一箱だけ隠していたはずだ。しかし手にはその感触は掴めず、代わりにビニール袋に触れた感触がする。もしかして不動に処分されたかと、そのビニール袋を引っ張り上げる。思った以上に重い。中を覗いてみると、中に入っていたのは、大量のチュッパチャップスだった。一体何本入っているのかさっぱりわからない。ごそごそと漁っているうちに、一枚のメモを見つける。あまり綺麗とは言えない字で、テメーの考えなんかお見通しだクズ、と書かれていた。仮にも教師なのにこんな字で良いのだろうか。思わずくすりと笑い、一本取り出して包装を剥がす。懐かしい甘さが口の中を支配した。たった数分前に別れたばかりだったのに、もうすでにあの憎まれ口が恋しい。とりあえず、舐め終えたらメールでも送ってみよう。謝って、それからありがとうと礼を言わなければ。不動が帰ってくるまで、もしかしたら口の中はすっかり甘くなってしまうかもしれない。今度は虫歯になった俺に対して、不動はまた怒るだろうか。それはそれで、楽しみな気がする。








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -