▽ 〜15. 2/26
負けよ負け。
惨敗だわ、完敗だわ。
完膚なきまでに叩きのめされたわ。
白旗を揚げる間もなく潰されたわ。
気持ちいい程の完全敗北よ。
わたしが策に溺れた訳じゃない。
完璧な策を練ったわ。
でも負けた。
女のなかでは軍師に関してそれなりの地位にいたわたしの最善策を、まるでごみ屑でも棄てるかのように簡単に見透かされたのよ。
このわたしが。
そんな馬鹿げたことってあるのかしら。
でも事実。
目を瞑りたい現実。
疑いようのない真実。
策士は弱いって相場が決まっているの。
強い策士は気付くからよ。
自分が歩兵になったほうが戦略を組みやすい、ってね。まあ、或いは飛車かも。
だから策士は弱くなくてはいけない。
常に軍の最低位に属し、仮に敗れても――それこそ、今のわたしのように――対して支障をきたすことがないような人間でなくてはいけない。例えるなら、桂馬。
そんなわけだから、詰まり、ああそう、抵抗はしないってことよ。
さあ煮るなり焼くなりどうとでもすればいいわ。
まあでも、もしこんな愚かで矮小で狡い救いようのないわたしに慈悲をくれるというのなら――そうね、出来るだけ早く、一思いに殺して頂戴。
痛いのも哀しいのも嫌いなのよね
女はそう告げ、降伏を示すように正座して目を瞑った。
「いえ。私の目的は貴女を殺すことではありません」
ピクリと反応したその女は、ゆっくりと瞼を開けた。見たところ私よりも若い。弟である紅覇などよりは年上に見えるが……。いかんせん、女の年頃など分からない。まあ、二十二、三歳だとしても、その精神は恐るべきものだった。
最後の最後まで抵抗を見せ、ありとあらゆる策を巡らし、思考に試行を重ね、少ない軍勢であったのにも関わらず、組み敷きの悪さは今まででも上位に名が上がるくらいだった。
今もなお、隙さえあれば、と射るような目でこちらを見る、縛り上げた彼女の部下たちと、そんなふうに降伏を宣言しても、腹の中では今からについて考えに考え抜いて出し抜こうとしている彼女には戦慄を覚えた。
「あら、驚いた。貴方は我が国を侵略しに来たんだと思っていたわ」
「そうですよ」
「ふん。ならば従わない危険分子のわたしは殺すのが道理というものじゃない?どのみち中衛を任ぜられこの様じゃあ、国に顔向けなど出来ないわよ」
「しかし貴女は優秀です」
もし私がいつもの兵の規模で来ていたら(それでさえ彼女の指揮する軍の六倍上なのだが)、全壊だっただろう。
現に、倍で表現すれば凡そ三十倍の今回の大軍でさえ半壊――いや、正確な所はまだ分かっていないが、ひょっとすれば三分の二程はやられているのだ。
「お褒めにあずかり光栄ね。それとも皮肉なのかしら?」
つらつらとまるで無感情にそう言われるのも、恐らく作戦の内なのだろう。機械と話すのは大変疲れる。
しかし勿論、私もそれを顔に出したりなどはしない。
「本心ですよ。それで、どうでしょう。貴女に煌帝国で指揮官として仕事を与えましょう。貴女は優秀だ。そんな若い年で命を落とすのは勿体ない程に」
「よく言うわ。貴方がたの殺してきたわたしたちの仲間の中には、わたしよりもっと若く優秀で、将来的に輝かしい功績を残すであろう素質を持った人間は、わたしの把握しているだけでも三十八人いたわ」
女は睨むでも、憎しみを顔に出すでもなく、やはり同じ声色、スピードまでも一定にそう告げたが、ひょっとしたら心の中では私のことをこの上なく怨み堪らなくなっているのかもしれない。
「随分と少ない見積りですね」
「あら。軍の人数を考えればそれほど少ない数じゃあない筈よ」
「……貴女は軍の人間を一人一人覚えてるんですか」
「……。」
初めて女は返答をやめた。いつの間にかまた目を閉じていた。
「ちょっと待ってください。素質?素質って言いましたね。貴女は人の力を見抜く能力でも持っているんですか?」
「いいえ、言葉の綾よ」
しかし、一人一人が完璧に個人の力を最大限に活かせる役に付け、最大限に活かせる策を練ったのであれば、今回この少人数の軍で、我々の軍をここまでボロボロにさせたのも納得がいく。
やはり殺すには惜しい人材だ。
「どうせ貴女の国は煌帝国の傘下に入るんです。死ぬと思えば悪い話ではない筈ですが」
「そうね、確かにそうだわ。言う通りよ。だけどそんなの忠義もへったくれもあったもんじゃ―…」
「貴女のお仲間――例えばそこに捕らえている少年は、将来有望なんですか?ほら、そこの目のギラギラしている一番若い少年」
「……、貴方最低ね」
女はぐ、と苦虫を噛み潰したような顔をした。嗚呼、こちらの方が随分と人間らしくてよっぽどいい。
「で、有望なんですか?彼らを生かすも殺すも、貴女にかかっていますよ。もし貴女が、彼らを生きさせたいのなら、そうしてもいい。だけど犬には飼い主が必要なんです。この意味が分かりますか?」
「……分かるわよ。詰まりあいつらを生かせたければ貴方の元で働けと言うことなんでしょう」
「聡明です」
「貴方のこと、本当に大嫌いよ。――練紅明」
「私は貴女に興味を持ちましたよ。何なら夜枷のお供にでもなります?」
「寝首を掻くわ」
「遠慮しておきましょう。それではこれからよろしくお願いしますね」
「……。」
握った手はやはり細く、どうやら彼女を手離せそうにないなと、心の内でにやりと笑った。
prev /
next