今日の授業の無事に終わり、引き出しから鞄に教科書やらノートやら算盤やらを詰めていると(文次郎は置き勉完全否定派である。鞄が重ければ、寮と学校までの短い時間でも鍛錬になって効率的だ)、未だ机に突っ伏している名前が目の端に引っかかった。

(あいつ、午後の授業全滅じゃないか…?)

 昼休みにパシられ、文次郎が買ってきた焼きそばパンと苺牛乳を平らげてからは、ずっとあの体勢のままだ。名前の性格の、間違えた、寝起きの悪さは教師中にも有名なので、彼女を起こしてまで授業に参加させようという猛者はいない。なにより名前は要領がいいので、あれでも成績は良い。

「おい」

 ロクな目に遭わないので起こしたくはないが、ここで放って置いても、後で「なんで起こさなかったのよ」とどうせ八つ当たりをされるのが目に見える。恐る恐る肩を揺さぶると、「んー」と低く呻きながら名前が顔を上げた。

「授業終わったぞ」

 さあ飛んでくるのは拳か足か文房具か椅子か、と文次郎は鞄を盾にした。が、名前は「あっそ」とまだぼーっとした様子で、目をこすっている。

「ラブコメが読みたい」

 突然、名前が言った。

「はっ?」
「何かラブコメっぽい甘ったるい夢を見たのよ」
「お前の脳内にも甘ったるい夢を見る要素があるん……ぎゃあぁあっ!!」
「あっ、ごめん。
 唐突に文次郎の隈の長さが測りたくなったんだけど間違えて定規で目差しそうになっちゃった。
 で、明日の休みどうせ暇でしょ? しょうがないわね、本屋付き合いなさい」

 文次郎が痛みに悶絶している間に、なんだかそういうことになっていた。しかも、まるで暇をもてあましている文次郎にしょうがなく名前が付き合ってあげるという体になっている。
 「明日11時に寮の入り口でね」と言い残して、名前は薄い鞄を手にして、とっとと教室を出て行った。






 で、翌日。
 なんだかんだ言いながら11時に寮の入り口に待機している自分は、結構なお人好しなのだと思う。行きがけに同室の仙蔵に「どこへ行くんだ?」を聞かれたので、事のあらましを説明したところ、「荷物持ちにされるのは見え見えなのに、それでも行くんだから名前のいい下僕だよな。このドMが」と凄い良い笑顔で言われた。Mじゃない! ここで行かないと後が怖いんだ! と弁解をしたところで、「ほら、女王様がお待ちだぞ。行けよ負け犬」と吐き捨てられた。ひどい。なんかもうひどい。

「ほら、行くわよ文次郎」

 名前の第一声は「おはよう」でも「待った?」でもなく、これだった。名前の私服は散々見ているが、寮の中でなので比較的ラフな格好だが、今日はワンピースなんか着て、いつもよりめかしているように見える。もう長い仲なので、何度か二人で出かけたこともあるが、こんな綺麗な名前を見たことがあったか、と思いを巡らし、ハッとする。

(つ、ついに名前が俺への思いに気づいた……とか?!)

 子供の頃から、いつも一緒だった二人。友達、親友だと思っていた彼を、ある日突然異性として意識するようになり…。

『私たち、当たり前みたいに一緒にいるけど…』
『文次郎、私のことどう思ってるんだろう』
『私は文次郎のこと…』
『はっ、まさかね。そんな』
『でも…』
『この胸の高鳴り、もしかして……』
『文次郎のこと、好きかも…』
『そんなこと言ったら、今の関係が崩れちゃう』
『でも文次郎のこと考えると、私、もうこんなに…っ』
『あぁっ…ああ、はぁっ…!』
『こんなこと、しちゃ、ぁっ…でも、手、とまんないよぉ…』
『もんじろっ…きて……っ!!』
『もうダメ…私我慢できない』
『好き、好きよ。文次郎。私決めた、今日言う。私のこの熱い思いを、貴方に伝えるわ!』
『あん、でも気持ちぃっ…』
『あっやだ、文次郎の……のほうが熱いっ』
『やぁあっ、らめぇええぇええ…っ!』


「ちょっと文次郎、早く行くわよ」
「お、おう」

 んな訳あるか、と自分の妄想にツッコみ。
 二人は並んで歩き出した。







 漂流教室全巻。
 赤い蛇。地獄小僧。
 ねこぢる。
 弟切草。彼岸花。ISOLA。
 以上、名前嬢のキープリスト。

「ラブコメが、読みたかったんじゃないのか?」
「よく考えたら、私、ラブコメ読むと蕁麻疹が出る体質だったのよ」
「だからって、こんなホラーばっかり…」
「文次郎のくせに私の嗜好に口出す気?
 しかし、これだけ持ってもヒィヒィ言わないんだから、ダテに日頃鍛錬してないわよね。生まれて初めて文次郎を見直したわ」

 文次郎に山積みの本を持たせ、名前は上機嫌で古本屋のホラー漫画の棚を漁っていた。レーベルや作者は問わないらしく、なんとなく気になったタイトルを取り出し、表紙を見ただけで戻したり、数ページ読んで買い本に加えたり、十分ほど熟読したり、そんなことの繰り返しである。
 どうせ荷物持ちにされるのは覚悟していたが、本屋に行くというので、そこまでの大荷物にはならないだろうと高をくくっていたらこの様だ。しかも「あそこの本屋、私の読みたい本ばっかり上の棚に置くのよね。爆発すればいいのに」と不平を並べていたので、本を取ってあげることがメインになるかと思っていたのだが。

(そういや、名前の奴、さっきから全部自分で取ってるな)

 成長期だから身長が伸びたんだろうか。何にせよ、作業が減るのは有り難い。
 そろそろ手が痺れてきそうだと思っていると、「よしっ」と名前は文庫本をもう一冊山に加えた。

「今日はこれくらいにしておくわ。あんまり積んでおくと、新しいのを買う楽しみがなくなるしね」






 近くのファーストフード店で昼食兼休憩をし、二人は帰路についていた。せっかくだから、もう少しどこかへ行ってもよさそうなものだが(ほら、映画とかこう王道な感じじゃないか)、名前は早く戦利品が読みたくて仕方ないらしかった。こいつの体の主成分は、自分勝手と自己中に違いない。

「ねぇ、文次郎」

 文次郎に買った本を押しつけ、手持ち無沙汰で先を歩いていた名前が、ふと立ち止まって振り返った。

「なんだよ」
「今日の私、なんか違うと思わない?」
「はぁ?」

 と言ってから、この間の出来事を思い出した。タカ丸に髪をいじってもらったのに気づかなかったために、ひどい目にあったのだ。慌てて名前の髪型を見るが、今日はいつもの通り髪を下ろしていて、特に何か変化は見られない。いやしかし、そういうナチュラル感みたいなのが狙いなのかもしれない等と考え出すと、いよいよ訳がわからなくなる。
 名前を凝視したまま硬直していると、名前が小さく舌打ちをしたかと思うと、

 バシッ!!!!!

「おわぁああっ!!」

 ワンピースから伸びた名前の長い足が、文次郎の脛を思いきり薙ぎ払った。所謂足払いという奴だ。突然の攻撃に、運動神経が決して悪くない文次郎も、なすがまま道路にべったんと顔から倒れ込んだ。あぁ本! という絶望的な気持ちは、『本が散らばってしまう』とか『本が降ってきたら痛いだろうな』ということではなく、『名前の私有物を道路へぶちまけたらどんな罰が自分には下るのだろう』というものだった。

「…可愛いでしょう?」

 見上げると、名前はちゃっかり本の袋を持っていた。足払いをかける前に、袋を奪っていたらしい。なんて計算高い。ことごとく自分の身だけは守りたいらしい。

「あ、あぁ。ピンクにフリルにリボンに、なんか、女の子って感じだな」
「文次郎、何の話してるの? っていうか鼻血キモイ」
「ぬわぁっ! お、お前が見せつけてくるからだろう!」
「あんた靴見て興奮するの? 馬鹿なの死ぬの?」
「靴だ、と?」

 名前を見上げていた視線をぐぐぐっと落とすと、文次郎の眼前に、ヒールが十センチはあろうかと言うパンプスを履いた名前の足があった。

「いいでしょう? セールで安かったの。実際身長も盛れるし、脚長効果もあるのよ」
「あぁ…」

 だから今日は高い棚にも手が届いたのかと納得した。ほっとしたのもつかの間、文次郎の手に激痛が走った。

「で、文次郎。さっきのピンクにフリルにリボンってなんのことかしら? ねぇ、見たの?」
「いだだっだっ、みでないっ、見てないです!」

 ぐりぐりとヒールの先端が文次郎の手の甲にめり込む。

「フリルなんて、よっぽど目を凝らして見たのね」
「ひぎぃぃいぃい!!」
「どうせあれでしょう、あんたみたいな変態は、この晩に私のパンツをオカズにするんでしょ?
 あーやだやだ汚らわしい!」
「そりゃもちろ…ぎゃぁああぁああああっ!!」
「ふんっ、パンツくらい好きなだけ見なさいよ。ほーら、こうやって思いきり踏んづけるとよく見えるでしょう?」
「あぁあっ! ふごっ!」







 後にこの話を聞いた仙蔵は、「名前に『ムチピンヒ』のタグをつけるためにも、鞭を贈らないとな」と言ったとか言わないとか。
 本当に鞭をあげたとかあげなかったとか。











その弐、
ちゃんと靴まで見ること








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