その日、潮江文次郎は寮の四年生のフロアを訪れていた。委員会中に終わらなかった書類を三木ヱ門に手渡すという目的は既に果たしたので(明日までにまとめてこいと告げると三木ヱ門の顔は真っ青になった。根性が緩んでいる証拠だ、今度特別メニューを組もう)、自室へ戻ろうと急いでいると、とある部屋から聞こえるはずのない声がしたような気がして、ふと足を止めた。

「大丈夫なの?」

 間違いない、名前の声だ。
 しかし女子の名前が男子寮、しかも何故四年生の部屋に?
 文次郎が訳がわからず困惑していると、中から「大丈夫だよ〜」と別のへにゃりとした声。

「名前ちゃん、ボクのこと信用できない?」
「そうじゃないけど…初めてだし」
「ふふっ、名前ちゃんって結構怖がりさんなんだね。意外。可愛いなー」
「からかわないでよ、タカ丸」

 部屋のプレートに目をやると、確かにそこには斉藤の文字があった。

(名前が斉藤の部屋に…?)

 斉藤は実家が美容室で、自身も手先が器用で女子に人気があるらしい、というのは大した接点のない文次郎も知っていた。名前と斉藤が会話しているところも何度か見かけたことがある。

「名前ちゃんに気に入ってもらえるように、ボク頑張るからさ。だから、ボクに全部任せて、ねっ?」
「…うん」

(な、なんだと?!)

 さっきからこの二人、ひどく不健全な会話をしているのではないか。まだ日も暮れてないのに何たることかいやいやそれより高校生にあるまじきふしだらで淫らで卑猥な不純異性交遊なんと破廉恥極まりない! お天道様が許してもこの潮江文次郎が許さんがちなみに俺の口癖のギンギンはそういう意味じゃねーぞこるらぁぁ!
 と、割って入るどころか、文次郎は真っ赤な顔でドアに耳をつけたまま固まっていた。立派な不審者である。

「やっ、タカ丸、痛い」
「ごめんごめん。これならどう?」
「あ、それなら…なんとか…」
「名前ちゃん、本当綺麗ー」
「改めて言われると、何か恥ずかしいんだけど」
「えー自信持ちなよ、ボクが言うんだから!」

 千人切り(推定)のタカ丸から見ても名前は綺麗なのか!! た、確かに名前はスタイルがいい。制服でもわかるのだから、生まれたままの姿はさぞかし……っ!!

 ぶふぉっ!!

 文次郎の鼻から鮮血が吹き出す。

「あれ、何か今外で音しなかった?」
「あー名前ちゃん動いちゃダメだよー」

 ごふっ!!

 更に鼻血放出。辺りはまさに血の海と化した。
 見つかったらマズイとそそくさとその場を去る文次郎だったが、悲しいかな、健全な男子の身体はすっかり反応してしまい、その体勢は前屈みだった。














「文次郎ー! 遊びに来てやったわよ!」

 ノックという行為を知らないように、名前は来るなりバーンッと思いきりドアを開け、つかつかと部屋に踏みこんできた。あんな事の後なのに元気なものだ、と咄嗟に考えてしまい、文次郎はかぁっと自分の顔が赤くなるのを感じた。

「人が来るなり顔赤くして……やらしくて気持ち悪い、略してヤラキモね」
「バ、バカタレ! やらしいのはどっ」

 どっちだ、と言いかけて文次郎は慌てて口を押さえた。
 他人のプライベートにむやみに首を突っ込むものではない。まして色恋とならばなおさらだ。第一、名前がどこで誰とナニをしようと、自分には関係ないではないか。

「ヤラキモって……いいとこ一つもねぇじゃねーか」
「当たり前じゃない、侮蔑してるんだから」

 断りもなしに、名前は空いている仙蔵の椅子に腰を掛けた。

「で、何の用だ?」
「あら言ったじゃない。遊びに来たの」
「遊びにって…お前小学生か」
「文次郎と遊びに来たのよ」
「はいはい」
「本当は、文次郎で遊ぶんだけどね」
「はいは…え?」

 それはタカ丸に弄ばれた鬱憤を文次郎で晴らそうということなのだろうか。
 ――名前に遊ばれる。

『うふっ、文次郎。もうこんなになっちゃって…』
『やめろ、バカタレ…』
『口じゃどうとでも言えるけど』
『あっ…』
『体は正直なのよ』
『名前、やめっ』
『やめてほしいの? こんななのに?』
『は、うぁっ…』
『文次郎、可愛い』
『可愛くなん、かっ…あっ、あぁっ!』

「だ、ダメだ、名前! それ以上したら出る!」
「妄想は既に漏れ出てるけど、それ以上何が出るっていうの?」

 マズイ、つい想像がたくましくなってしまった。
 一層顔を赤くした文次郎に、名前は害虫でも見下げるような冷たい目をしていた。
 いかんいかん。

「で、本当に遊びに来ただけなのか? 予算案を作るので忙しいんだが…」

 後輩にだけ仕事をさせる訳にはいかない。会計委員長として、手本になるよう働かなくては。
 という訳で、文次郎は委員会の仕事に追われていた。
 とっとと仕事を終わらせたいという以上に、名前がそばにいては先ほどのように妄想に走ってしまいそうだったので、一人きりにして欲しかった。

「…それ本気で言ってるの?」
「どういう意味だ?」
「は?」
 
 名前の声が一オクターブ低くなった。地雷を踏んでしまったらしいことはわかるが、何がいけなかったのか、全く心当たる節がない。

「え、何? あんたのその目は隈を作るためにあるの? 節穴なの?」
「ちょっと待て。意味わかんねーぞ」
「せっかくタカ丸にしてもらったのに!」
「はあ?!」

 いよいよ訳がわからない。
 何故名前は斉藤にシてもらったのを、自分に見せつけにくるんだ?! あれか、セックスをすると女性は美しくなるという奴なのか?! ここは「綺麗になったな」とでも声を掛けるのが正解なのか?! ああでもそれだと、自分が名前と斉藤が事に及んでいたのを覗いていたのがバレるのでは?! 
 いや違う。名前は斉藤に無理矢理手込めにされたのだ。それでも斉藤を庇おうとしている。でも体に残る斉藤の感覚は消えなくて――。

『文次郎、私…』
『名前、何も言うな』
『でも私、汚れちゃったの』
『俺が全部愛してやる』
『文次郎…ぁっ』
『名前…』

「この髪型、タカ丸自信作だって言ってたのに! あーあ、文次郎のとこなんか来るんじゃなかった!」
「ああ名前かわいいよ名前ハァハァ……って、髪型?」
「タカ丸がするんだから、髪に決まってるじゃない」

 「ほら、ハート全方位噴射型ポニー」と名前は自分の頭を指さした。
 確かに、いつもは下ろしている長い髪が、何やらふんわりと盛られたポニーテールにされている。

「なんだ、髪か」

 あの時聞こえた「痛い」とか「綺麗」とか「動かないで」は、全部髪のことだったという訳か。
 文次郎は胸を撫で下ろし、安心のあまり椅子の上でくったりと脱力した。

「なんだって……こんなに変わったのに何も思わないワケ?」
「え? ああ、いや…似合ってる、ぞ?」
「何その取って付けたみたいな言い方」
「か、可愛いというか、なんというか」
「文次郎の口から可愛いなんて…。普段は可愛くないってことかしら?」
「違っ」
「男って嫌ね、本当鈍感なんだから」

 何を言っても、名前は眉間の皺を深くするばかりだ。

「…わがままな奴」
「文次郎、何か言った?」

 名前は物凄く良い笑顔で、文次郎の耳を引きちぎそうな程引っ張った。

「なななんでもないです。名前さん放して痛い耳千切れる」
「文次郎のミミガー…まずそうね」

 耳が引き千切れたらポン酢と和えて食べるつもりだったらしい。恐ろしい子。
 名前から解放された耳を撫でながら、文次郎は叫んだ。

「お前、何様のつもりだよ!」
「お姫様よ、当然じゃない」








その壱、
いつもと違う髪型に気がつくこと












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