「用事終わったら、すぐ戻るから」

 と言って名前が出て行って既に数十分。藤内は一人、作法委員会室で待ちぼうけを食らっていた。どこかで友達とでも遭遇したのだろうか、女の人のおしゃべりは長いから、と忍たまの友をぺらぺらと捲っていると、ふわあぁとしどけない欠伸が響いた。
 予習をしていたら、どうしてもわからない難題にぶつかってしまい、昨晩はあまり寝ていないのだ。委員会中もぼーっとしていたら、いつもと違う藤内の様子に気づいた名前が「どうしたの?」と声をかけてくれ、事情を説明すると「そこなら私、得意ー! 委員会終わったら教えてあげるね」と約束をしたのだった。
 そして委員会活動が終了し、今に至る。

「先輩、遅いなぁ…」

 忍たまの友も二巡目にさしかかる頃になると、さすがに心配になってきた。しかし呼びに行って入れ違いになってしまう可能性もある。第一、名前がどこへ行ったのか知らない。藤内には『待つ』という選択肢しか残されていなかった。

(手裏剣にはこのように様々な種類があり、それぞれ主な用途は…)

 段々文字が霞んできた。瞼が重い。首が重力に引き寄せられるように、かくんとなる。顔をふるふると振ってみるが、眠気は執拗に藤内に絡みついてきた。手の甲をつまむ、頬を叩く……思いつく限りの方法を試してみるが、それでも眠くてたまらない。

(しょうがない、ちょっと寝よう)

 先輩に教えを請うのに、うつらうつらだったら失礼極まりない。だったら今、少しでも睡眠を取って頭をすっきりさせておいたほうがいいだろう。
 藤内は座布団を枕代わりに、横になった。






「んっ…」

 どれくらいの時間が経ったのだろう。藤内は体の違和感で目覚めた。

「え……えぇっ?!」

 身動きが取れないと思ったら、背後から誰かに抱きしめられていた。まるで抱き枕代わりである。藤内の腰をがっしりとホールドする腕は白く細い。何より背中の辺りに、膨らみが当たっている。女子であることはもちろん、こんなことをするのは一人しか考えられない。

「むぅ…」

 寝息と共に、名前はあろうことか藤内に足を絡ませてきた。いよいよ藤内は身動きが取れなくなる。

「せ、先輩! 名前先輩!」

 心臓が壊れてしまいそうなほど高鳴り、顔が赤くなるのがわかった。悲鳴にも似た声で名前を呼ぶと、

「あれ、藤内…?」

名前が目を覚ましたらしい。

「先輩、こ、これはどういうことなんですか?!」
「だって戻ってきたら、藤内、気持ちよさそうに寝てるんだもん。私も眠くなっちゃって」
「だからって、こんな体勢で寝なくても…っ!!」
「私、抱き枕ないと寝られないんだよねー。大きさもちょうどいいし、抱き心地もいいし、寝相良いし!
 うん、藤内ってば良い枕! 優秀優秀!」

 名前と向き合うように転がされ、頭を撫でられる。その行為はもちろん、名前の顔が、体が、こんな身近にあることが、更に藤内の心音を速くした。こんなに密着していては、先輩にドキドキしているのを気づかれるのはないだろうか。そんな不安が過ぎる。

「名前先輩、ひと眠りも済んだみたいですし、勉強を…」
「予定変更ー。今日は特別授業を行いますー」
「特別授業ですか?」

 上級生から直々に、いったい何を教えてもらえるんだろうと一瞬期待した藤内だったが、

「えー、忍者はどんな悪条件でも眠れないといけません。
 というわけで、今日は敵の忍者に羽交い締めされたまま寝るという状況に見立て、実践をしまーす」
「あの、それって単にこのまま昼寝続行っていう…」
「おだまり枕ー」

 むぎゅぅと背中に腕を回されたので、藤内は名前の胸に顔を埋めるような形になってしまう。同級生達とフザけあう時にこれくらい体がくっつくことがあるが、その時とは全く違う、甘い体臭が藤内の鼻先をくすぐった。

「せ、先輩っ!!」
「おやすみー藤内ー」

 言うや否や、名前は本当寝息を立て始めた。「名前先輩!」ともがいてみるが、名前は目覚める気配がない。名前の腕の中で、藤内は盛大な溜め息をついた。

(もう、名前先輩ってば…)

 腕を振り払って逃げることもやろうと思えばできたが、名前の寝顔を見てしまったら、なんだかやる気がそがれてしまった。いつもは先輩風を吹かせている名前の、子供のような無邪気な寝顔に思わず頬が緩んでしまう。

「おやすみなさい、先輩」

 藤内もは名前が抱きやすいように、体を丸めた。こうしていると、昔、故郷の母が添い寝をしてくれたことを思い出す。名前は先輩であって母と言える年ではないのに、あの時と同じように、何かに包まれているという安心感を与えてくれた。
 これが母性というものなのだろうか、と再びぼんやりとしてきた頭で、藤内は思った。柔らかくて暖かくてほっとして。どんなに頑張っても男の自分では、誰かをこんな風に安心させることはできないだろう、と直感する。

 とくんとくんという綺麗なリズムを刻む名前の鼓動を子守歌に、藤内も眠りについた。




 







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