梅雨の足音が近づくある休日。 春の名残を楽しむ暇もなく、鉛色の空からは質の悪い鼻風邪のような、ぐずぐずとした雨が降っていた。 せっかくの休みなのに。どうせ晴れていたってどこへ行く予定もないのに、こう天気が悪いとなんだか気が滅入る。一人でいると本当に陰鬱とした気分になりそうだったので、誰かといようと決めた。足は自然と三郎(と雷蔵)の部屋へ。
「さぶろ…う?」
戸を開けると、部屋の隅で丸くなっている――三郎? 雷蔵? いくら付き合いが長いとはいえ、寝姿を一目見ただけで判別するのは難しい。起こさないようにそっと近づくと、首と顎の境に化粧の後が見えた。三郎だ。 そういえば、化粧のノリも鬘の具合も悪くなるから雨は嫌いだ、と言っていた。湿り気厳禁といえば、作法委員長の専売特許かと思ったが、そういう訳でもないらしい。 化粧が上手くいかなかったから不貞寝でもしているんだろう。 日頃の仕返しに悪戯でもしてやろうかと思ったが、後が面倒臭そうなのでやめる。 体を丸めて眠る三郎は、長いふさふさの髪のせいで、まるで冬眠中の狐のように見えた。ということは、雷蔵も寝ると狐になるのか。二匹の狐が身を寄せ合って眠っているところを想像して、微笑ましい光景に頬がゆるんだ。 そういえば、誰かが寝相で性格がわかるらしい、と言っていた気がする。いや、本で読んだのだろうか。情報元はともかく、内容は何故かはっきりと覚えていた。
(あおむけで寝る人は自信家、うつぶせで寝る人は消極的。体を丸めて寝る人は、自己防衛本能が強いんだっけ)
ちなみに名前は横向き――非常に安定した性格、とのことだった。 別に自分がそんな大層な性格だとも思えないし、三郎だってそんな内向的だとは思わない。占いって当たらないな、とつくづく思う。
(確かに、体丸めて寝ると落ち着くよね)
特にお腹の痛い時は。 名前も月の物が重い時は、ずっと膝を抱えたまま横になっている。 その格好をしながら、おたまじゃくしを逆さにしたようなこの形は何かに似ていると思っていたのだが、三郎が眠っているのを見てふと今その答えが出た。 胎児だ。母親の腹の中の胎児。生命の芽生え。人間の始まり。
(三郎にもそんな時があったんだよね)
彼の父と母が出会い、恋に落ち、体を重ね、幾億というから三郎の遺伝子を持った精子が生き残り、たった一つ卵子と結び、受精し、少しずつ人の形になって、母の腹を膨らまし、時に腹を蹴って意思を伝え、十月十日の後に、この世に生を受けた。 この世界に生きている人間が皆、そんな壮大な過程を経て生まれてきたのだと思うと、圧倒されて言葉も出ない。 遠い南蛮の国では、年齢を数え年ではなく、生まれた日――誕生日に祝うのだという。皆でボーロやご馳走を囲い、生まれてきたことに感謝を伝えるために贈り物をするのだと聞いた。そうやって祭りのように騒ぐだけの価値はあると思う。 ――もし間違って別の精子が卵子と結びついてしまったら、貴方は生まれてこなかった。 そっと三郎の髪に手を伸ばす。湿気を含んでいるせいか、いつもより広がっているような気がする。 梅雨に入る前に俺は生まれたんだって、といつだか三郎が言っていた。数えではもう十四歳だけれど、本当に十四歳になるのはいつなのだろう。もう過ぎてしまった? それともまだ? 早くても遅くても伝えないよりは、ずっといいだろう。だって名前は、この奇跡に気付いてしまったのだから。
「誕生日、おめでとう」
君が生まれてきたことに。 君と出会えたことに。 君のそばにいられることに。
「ありがとう」
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